「ウンディーネ」 フーケ「水妖記(ウンディーネ)」柴田治三郎訳/岩波文庫/1978年改訳

Arthur Rackham”Undine”Tigertail Virtual Museum

「ウンディーネ」は私の好きな物語の一つです。これは短い話ながら何度読んでも泣けます。とても美しい話です。
作者はドイツ後期ロマン派、19世紀の作家フリードリヒ・バローン・ド・ラ・モット・フーケーです。
ご存知の方も多いと思いますが、ウンディーネというのはヨーロッパの伝承の水の精です。フーケ―は16世紀のスイスの錬金術師(医者)パラケルススの著作『妖精の書』(『ニンフ、シルフ、ピグミー、サラマンダー、ならびに霊的媾合についての書』)からヒントを得てこの話を創作したとのこと。パラケルススは四大エレメンツ(ギリシャ哲学にある世界を構成する4つの元素、土、水、火、空気)の一つ水の精を、ラテン語のunda(波)に基づいてウンディーナと名づけたそうです。これはドイツ語では「ウンディーネ」、フランス語では「オンディーヌ」です。
パラケルススによると、ウンディーネは人間の女の姿をしているが、魂が無く、死んだら水に返っておしまいである。しかし、人間の男と結婚すると魂を得る。ところが、夫が妻を水の近くで罵ったら、妻は永久に水中に帰ってしまい、しかし死別ではないので、夫は妻に対し貞節を守らねばならない。夫が他の女と結婚すれば、水の精は自分で夫の命を奪いにいかねばならないという掟があるということです。

そしてフーケ―のストーリーは多分、読んでいない人にも想像がつくと思うけれど、その禁忌をめぐって悲しい最後を迎える、というものです。

私たちが子供のときから親しんできたアンデルセンの人魚姫も着想が似ています。この人魚姫では、魔女の呪いという作用ではありますが、尻尾を取った、つまり人間になることと引き換えに、声を失い、そして恋した王子と結婚できなければ水の泡になってしまうという掟を背負います。しかし、恋がかなわなかった(裏切られた)結果その呪いを解く唯一の手段は、恋しい王子の心臓を、剣で一突きにし、その血を足に浴びること。そうすれば彼女はまた人魚に戻れるのでした。
これに対し、ウンディーネは人間との結婚により、妖精には無いはずの「魂」を手に入れます。これが上の話の「人間になる」ことに当てはまると思います。そして、夫に裏切られたら、夫を殺さねばならない掟。人魚姫には王子の命と自分の命どちらか一つを選択できる余地がありましたが、ウンディーネには有りません。私にはここがフーケ―のウンディーネの美しく、悲しく、素晴らしいところだという風にも思えます。

さて、このウンディーネをもとにして、フランスのジロドゥという人が「オンディーヌ」という戯曲を書きました。 そのあらすじは大体においてウンディーネと同じですが、戯曲だけあってもっと詩的に、装飾性を高めた美しい作品になっています。
オンディーヌは夫の命を救うために、心変わりしたのは夫ではなく自分であると偽ります。そうすれば自分は罰せられても、夫は殺される必要がないからです。
ここにまた一つ美しいけなげさが付け加わりますね。フーケ―には無かった展開です。
でも私は、むしろこれは無くても構わなかったように思います。もちろん、ジロドゥの中では不可欠の部分ですが、夫を庇うためにこのような行為に出なくても、フーケ―のウンディーネが可憐で、けなげで、異形のものであってさえ、人にも神にも愛されるはずの存在であることは間違いありません。

byなのり
先ほどから、「魂を得る」と書いていますが、これはキリスト教的な考え方に基づいた言い方だと思います。日本で言うなら、死後輪廻によってまた生まれ変わるかもしれないという希望が有るかも知れませんが、ここではそういう話ではなく、魂の永遠性が無ければまた、愛も存在できないという話につながるのではないでしょうか。精霊は人間に恋をしても、それは決して落ち着いたものではなく、まだ魂が無かった頃のウンディーネのように、奇妙で、一秒だって落ち着いていられず、気まぐれで、禍々しく、隣の席の異性にちょっかいを出す小学生のような煩わしさを持っています。(それはもしかしたら、人間の恋も同じなのかもしれませんけれど。)しかし、司祭によって結婚を祝福されたウンディーネは、その瞬間から深い情愛を持ち、けなげで、落ち着いた、とてもピュアな魂を持ちました。
恐ろしいことに、もともと裏表の無いピュアな存在であった妖精だったからこそ、人間ではなかなか得られないような穢れなさを体現しているのかもしれません。ウンディーネは外見が美しかっただけでなく、人柄も優しく、哀れみ深く、どんなに夫にないがしろにされ辱められても決して恨まず、ただいじめられる子供のように泣き、時々注いでもらえる愛情を極上のものとして受け、疑うことを知りません。その姿はまるで敬虔な宗教者です。
実は私は人魚姫やロミオとジュリエットのたぐいの不幸話を、ある時期から敬遠するようになったのですが、その理由は、彼らの中に「不幸になって自分達を苦しめる世界を後悔させ、この悲劇に対する復讐をしてやりたい」という思いがどうしても感じられたからです。いえ、登場人物達の問題というよりも、そういうカタルシスを生みやすい物語なのかもしれません。それが私には少し不快に感じられました。
しかし、ウンディーネに関してはそれが全く見つけられないのです。むしろ、読む人をどこまでも純粋にし、そして、彼女と共に許し、愛し、喜び、感謝するという非常に不思議な体験をせざるを得ない何かが、このフーケ―の物語の中に潜んでいるように思えるのです。これは奇跡のような事実です。

ウンディーネと騎士フルトブラントの結婚に立ち会った司祭は初め、ウンディーネが悪霊に憑かれていると思ったり、何か異端めいた不気味さがあることを感じますが、それでも神を称え、どこにも悪意の無い彼女の信心深さに打たれ、妻を大事にするように夫に言います。この話では彼は一番彼女の敵になりそうな存在でありながら、神に仕える司祭だからこそなのか、その信仰の真偽に最も敏感で、フルトブラントがどちらかというと情に弱いという性質の優しさを持つ人間であることに対し、彼よりずっとウンディーネの本質を捉えるのにはふさわしい人物だと思います。
そしてお約束どおり、騎士は妻を憎み始めます。その最も大きな理由は、ウンディーネが人間ではないからです。
魂を持っていても、彼女は人間ではなくあくまで妖精の掟に縛られた妖精です。逆にベルタルダ嬢という女性は、人間でありながら、魂を持っていないかのように無神経で自分勝手な振る舞いをします。しかし、ウンディーネをいじめる彼女を怒って水の妖精たちが出現すると、それにおびえるベルタルダを哀れんで、騎士はウンディーネより彼女の味方をするのでした。ウンディーネが「人間でな」く、ベルタルダが「人間である」ということが、騎士にとってとても重要なことになってきてしまうのです。そしてもともと騎士が彼女に憧れていたところから話が始まっていたのですから、彼の心がベルタルダに移って行くのも自然なことでした。

ウンディーネの魅力のひとつとも私は思うのですが、彼女はやはりどこまでも「妖精らしい妖精」です。妖怪と言ってもいいです。とても不気味で、禍々しく、低い声でおかしそうに笑っている最初の頃のシーンや、白い腕をにゅっと伸ばして(このイメージは私の想像)噴水のように泉から出てきた姿、川くだりの時にドナウの水精から珊瑚の首飾りを受け取る姿など、ぞっと鳥肌が立つようです。
この不気味さが騎士にはだんだん我慢ならなくなってくるのも、当然と言えば当然です。そしてとうとうウンディーネを水の上で罵ってしまい、彼女は嘆きながら水の中へ消えていかざるを得ませんでした。この悲しい嘆き!

騎士は妻を永遠に失ったことに気付き、熱い涙を流します。そうです、この涙です。
彼もまた彼女を愛していたのですから。かわいいウンディーネとの幸せな思い出は何もかもが彼女の彼への愛を告げ、そしてまた自分が彼女を愛していたことを知り、その後悔からしばらくは騎士のベルタルダへの愛情も消えてしまいます。
ところが、月日が経って悲しみも薄れ、やがてウンディーネの養い親がベルタルダを連れて行こうとしたことで、騎士はまたベルタルダへの愛を思い出してしまいました。そして急遽、ベルタルダとの結婚へと話は展開して行くのです。

ベルタルダも騎士も、普通の人間で、少々性悪だとか現実逃避型ロマンチシストだとか非難はできても、彼らは人非人ではありません。妖怪を恐れる心や、嫉妬、傲慢、弱いものへの憐憫の情、罪の無い者に酷いことをした後ろめたさなど、普通の人間の感情を過不足なく表現しているに過ぎないのです。そんな彼らを許し、どこまでも愛し、決して恨まないウンディーネこそが、非人間的なのです。彼女は魂を持ったことで、人間より更に神を称えるにふさわしい、天使のような存在になったのでしょう。私はそんなけなげなウンディーネがとても美しいと思います。そして、何かあるごとにウンディーネを思い出して心を痛める騎士や、わがままながらウンディーネに姉妹のように慕われたベルタルダが、彼女によって非常に高められているように感じないでしょうか。彼らは既に「愚かな人間」ではなく、そこには許された苦しい魂が存在するように思うのです。

そして、夫に裏切られたウンディーネは掟を遂行するため、泣きながら夫に接吻し、その涙でもって彼を死なせました。彼はウンディーネの腕の中、愛し愛されながら死んでいくのです。

huyuさんより
騎士は悲しい最後です。一族の最後の者で、後継ぎも有りませんでした。ただ、優しいウンディーネが泉となってその両腕に夫を抱くように、墓の周りを囲みました。
妖怪の妖怪らしさ、透明な涙、そして尚満たされる愛と信仰、これらを抜きにウンディーネの美は語れないでしょう。
そしてそれは、フーケ―の自らの体験、伝記を見れば容易に見つけられる事実、自分が傷付けた、離婚した妻への生涯変わらぬ愛情と悔恨の物語でもあるのかもしれません。
非常に美しい話だと思います。



John William Waterhouse - Undine (1872)

※岩波文庫で再販した模様。ここで買えます


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(2010.3.4更新)