グロリアの物語・南の国の王子レイモルドと彼の支配するルージニア城のモデルとなった「レモンダン・ド・リュジニャン」とメリュジーヌ物語について

中世ヨーロッパの有名な物語の一つにメリュジーヌという妖精の話があります。
様々な類和はあるようですが、最も古くは西暦1210年頃、ブルゴーニュ宰相ジェルヴァシウス・ド・ティルビュリィ「オテリア・イムペリアリア」に見られると言われます。ただこれに関しては何も残っていないのでよくわかりません。

現在写本が現存する中で最も古いのは1393年8月7日、ベリー公ジャンの命令でジャン・ダグラスが書いた「メリュジーヌ物語」(散文)です。また、その後1401年以降(注1)になりますが、パルトゥネの領主ギョーム・ラルシュベックの命令で、クードレットが「メリュジーヌ物語、あるいはリュジニャン一族の物語」(韻文)を書きました。クードレットらの文章の記述を見ても、これら以前にも多くの口承伝承が残っており、また別の人物により既に本になっていた物が複数存在したと考えられます。

注1:何故「以降」かというと、この本の中でギョーム・ラルシュベックの死んだのが1401年と記されているから。生前執筆を命じられたが、ギョームの死後本が完成した様子が書かれている。
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今回は私が読んだクードレットのメリジューヌ物語からいくつかのエピソードをご紹介したいと思います。

アントワーヌ・ソルグ「メリュジーヌ物語」の挿絵より(1485年)
窓から飛び立つメリュジーヌの絵
まず、レモンダンが伯父である領主を獣から守ろうとして、誤って殺してしまったことから話が始まります。レモンダンは悲嘆にくれ、自分がこの世に生まれたことを呪いながら森を彷徨っていました。すると美しい泉のほとりで美しいメリュジーヌに出会います。レモンダンは彼女の申し出を受け彼女と結婚し、その力で大きな権力と勢力を持つことになりました。ただ決して毎週土曜日に妻が隠れている場所を覗かないという約束をして。さもなければ妻は永遠に夫と別れ、レモンダンの一族は衰退していくことになります。これは厳然たる約束で、決して破られてはならないものでした。

メリュジーヌはレモンダンの為に城を建て、自分の名前をとって「リュジニャン城」と名付けました。それから各地にすごい勢いで次々城や修道院を建てました。

メリュジーヌは、アーサー王の物語にも出てくる妖精モルガンの姉妹、プレジーヌの三人娘の末っ子でした。プレジーヌはアルメニアのエリナス王と結婚しましたが、産褥の床を覗いてはいけないという約束を破って、王はプレジーヌの出産しているところを見てしまいました。それはどういう光景だったのかわかりませんが、とにかく約束を破ったことでプレジーヌは三人の娘達と共にエリナス王のところから姿を消し、妖精の国アヴァロン(これはアーサー王が最後船に乗って三人の乙女に連れて行かれたという場所ですね)へと去らねばなりませんでした。ところが、三人の娘達が長じて事情を知ると、母親の為に父親に対する復讐をしようと、エリナス王をイギリス北部・ノーザンバランドの岩山に幽閉しました。
しかし、それでもエリナス王を愛していたプレジーヌは娘達の行いに怒り、それぞれ妖精の掟に従った呪いを授けます。一番下の娘メリュジーヌは、土曜ごとに下半身が蛇の姿になる呪いを与えられ、夫がその姿を見たら彼女は永遠に夫と別れねばならなくなりました。

さて、彼女はレモンダンと十人の子を成しました。それぞれ不思議な身体的特徴があり、私が一番不思議に思えたのは、四男アントワーヌの片方の頬からライオンの前足が生えていたことです。その他、目が額に一つの子供など、さまざまでしたが、メリュジーヌは彼等を大事に育て上げ、いずれも劣らぬ丈夫で健やかな、勇敢な騎士になりました。そして長男ユリアンは婚姻によってキプロスの王に、ギイはアルメニアの王になり、アントワーヌはルクセンブルグ公、ルノーはボヘミア王、アントワーヌの息子ベルトランはアルザス王になりました。リュジニャンの一族は広くヨーロッパを支配し、名声をほしいままにしていました。

これらは中世ヨーロッパで権勢を誇ったリュジニャン一族の史実をモチーフにした物語です。リュジニャンの兄弟がそれぞれキプロス王とアルメニア王になった事実、その他彼等一族が支配した土地も、多く変えてはありますがかなり史実に基づいているようです(私は歴史書の原典にはあたっていませんが)。その一族がごく短い期間で権勢を誇り、衰退し、歴史の舞台から降りていってしまったことの不思議さに、中世の人々はこのような物語を考え出したのかもしれません。不思議なロマンを感じます。が、この時代の歴史的日本文学(14世紀「太平記」など)と比較してみると、女性や、妖精などの異界の存在が人間の一族の存亡に関わり、それどころか意味不明な掟によって「運命付けてしまう」ヨーロッパの発想は文化の違いを感じておもしろいと思います。
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ランブール兄弟「ベリー公のいとも華麗なる時祷書」三月より、一部
ベリー公のいとも華麗なる時祷書メリュジーヌ
さて、メリュジーヌが十人の息子を産んだ頃、レモンダンは実の兄の忠告で、妻の浮気を疑い、禁じられていた土曜にメリュジーヌのいる部屋をこっそり覗いてしまいました。すると、なんということでしょう、彼女の水浴している下半身は蛇で、そのしっぽを振ると水が逆巻く姿に彼は非常なるショックを受けました。何もかもお見通しのメリュジーヌは傷付きながらも、誰にも言わず誓いを破ったことを後悔して嘆き苦しむレモンダンを許し、無かったことにしました。ところが或る事件が起こります。
彼等の息子ジョフロアが、弟フロモンが騎士にならずに修道僧になったことに怒り狂い、修道院ごと弟たち修道僧を焼き殺してしまったのです。
それを知ったレモンダンは非常に嘆きます。そして、メリュジーヌに向かって「おまえのような蛇の産んだ子供がまともな人間になるはずがない」と言い放ってしまいました。
その言葉を悪魔に聞かれてしまったことで、もうメリュジーヌはレモンダンの傍にいることはできなくなりました。とても悲しい別れです。すぐに後悔したレモンダンですが後の祭り。彼女は嘆きながら飛竜に姿を変え、飛んでいってしまいました。
このくだりにちょっと、以前ご紹介したフーケーの「ウンディーネ」を思わせるところがあります。
また、ウンディーネもそうでしたが、メリュジーヌが妖精でありながら熱心なキリスト教徒であったということはこの物語にはずせない要素だと思います。
それにしてもこのレモンダン、伯父を殺してしまった所でもそうでしたが、嘆く姿に大変痛ましいものがあります。

「レモンダンは、激しい悲しみにさいなまれていました。泣き濡れ、うめき、涙にくれ、何度も青ざめ、顔色を失って・・・」

「彼は毛髪を引きむしり、胸をこぶしで打ち、何度もメリュジーヌを失ったことを嘆くのでした。寝床に戻っても、少しもじっとはしていられず、仰向けになったり、うつ伏せになったり・・・」

クードレット「妖精メリュジーヌ伝説」より


リュジニャン家の紋章
リュジニャン家の紋章の写真
と、ここでちょっと思い出す物がありませんか?我が日本の神話(歴史書)「古事記」「日本書紀」にも似たような話があります。
ヤマサチヒコ(ホヲリノミコト)の妻となった海神の娘・トヨタマビメノミコトは、出産の際産屋を建てて中にこもりますが、夫に中を決して覗いてはいけないと言います。しかし夫はつい覗いてしまいました。するとそこにいたのは八尋の和邇(サメ、フカ)で、苦しげに這い回って身をくねらせていました。夫は恐れて逃げ出してしまいますが、それを知ったトヨタマヒメノミコトは恥じて、怒り狂い、海へ帰ってしまいました。
このヤマサチヒコは娘に幽閉されたりはしませんでしたが。
竜蛇の女、特に水や海を司る王の娘と人間との結婚で、夫が見るなの禁忌を破って妻の本性を知り、別れることになるという、この手の話の類型は世界にあり、メリュジーヌの名から「メルシナ型」(またはずばり「メリュジーヌ・モチーフ」)と呼ばれます。

「グロリアの物語」ではグロリアが余所の国の王女だったということがばれて、ただ単に国へ戻っていきます。また、レイモルド王子の家紋は飛竜なのです。

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さてレモンダンは妻の為に祈りを捧げ、神にこの苦しみを和らげてもらえるよう祈りを捧げて余生を過ごしたいと思い、二度とポアティエには戻らず、隠者となることを決めました。こうしてローマ教皇の勧めによって赴くことになったのがアラゴン、現在のスペインに有るモンセラート(注2)です。

注2:モンセラート修道院に残されていた中世の歌は有名。「二月はじめに・・・」のトップページにその一つのMIDIを貼っています。

彼は悲しみに包まれながら生涯神に身を捧げました。この世を去るとき、メリュジーヌの言った通り、リュジニャン城の周りに蛇が姿を現しました。自分の名を与えた城の代々の城主が死ぬ三日前に、必ず自分が現れると彼女は言い残したのでした。

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ランブール兄弟「ベリー公のいとも華麗なる時祷書」三月(1413-16)
ベリー公のいとも華麗なる時祷書挿絵
この右の絵は15世紀の画家による絵です。少し見づらいですが、畑の向こうに有るのがリュジニャン城です。一番右の塔の上に、黄色っぽい竜が左向きに乗っているのがわかるでしょうか。これがメリュジーヌです。(上の拡大写真参照)
ジャン・ダグラスの「メリュジーヌ物語」を書かせたベリー公ジャンが、ランブール兄弟に描かせたミニアチュール(時祷書の挿絵。祈りなど日時によって細かく決まっている聖務の日課を書いたものを時祷書と言う。)です。当時このベリー公ジャンはこのリュジニャン城を支配していました。そして彼の配下で、リュジニャン城を手に入れる為の資金を運ぶ役目を負ったパルトゥネ領主ギョーム・ラルシュベックが、クードレットに「メリュジーヌ物語、あるいはリュジニャン一族の物語」を書かせたという意外な繋がりもあります。

この奇抜な物語の楽しみや、リュジニャンの一族に関する細かい逸話は「メリュジーヌ物語」を、当時の歴史に関してはhttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/9333/lou.html等を読んで頂くことにしましょう。

私が大変興味を持った人物のひとりが、大牙を持つジョフロアです。彼は父レモンダンに似たのかそれ以上に感情的になりやすく、かっとなったら数日間気持ちも収まらないらしく、ゲラーンドからマイユゼまで数日かかったようですが、一気に駆け抜け、弟フロモンが僧籍に入った修道院に突撃しました。そして修道士達を閉じ込め、火をかけました。弟フロモンも含め百人の修道士と修道院長が全員死んだのでした。
しかしその時になってようやく、ジョフロアは犯した過ちに気づき、取り返しのつかない暴挙を悔やみました。そして「自分はユダよりも酷い罪人だ」と嘆きます。かわいそうなジョフロア。もちろん彼がしたことは恐ろしい罪悪です。(ただ、のちのメリュジーヌの台詞で、彼らマイユゼの修道僧達の堕落に対する神の罰であったということが示されます。)しかし彼の後悔と自責の念はレモンダンが慕っていた領主を死なせてしまった(それも星占いで示された神の導き通りであって、レモンダンの行いも物語上一応正当化されうる)時の嘆きと重なりあい、何度も繰り返される恐ろしい過ちと後悔、また、同じく人物を替えて再び破られる禁忌と恋人との別離という輪が、一層物語に弾みをつけます。

レモンダンは息子の所行に怒り狂い、それがもとでメリュジーヌを失い、やがて一族の衰退にも繋がってしまうのでした。しかしジョフロアとレモンダンの和解は涙を誘い、やがて二人が別れていく場面はとても悲しいです。ジョフロアは自分が破壊したマイユゼの修道院を再建し、多くの善行を積みました。
また徐々にわかってくるメリュジーヌやプレジーヌ、リュジニャンの一族の逸話が、この物語に徐々に深みを与えているように感じます。

正直言って人物に共感するのは難しいですが、美しい心や美しいものへの幻想的なまでの憧れ、非論理的な感情といったものが各所に散りばめられていて、それに即した理不尽な言動は断罪され罰されつつも、愚かなことと一蹴されてしまうのでなく、それぞれがそれぞれに寛容で、とりかえしのつかない罪も永遠の別れさえももっと大きな愛に包まれているような、そんな不思議な世界でした。

以上、クードレット「妖精メリュジーヌ伝説」(森本英夫・傳田久仁子訳、現代教養文庫1995年)を参考にしました。(引用部分は本書より)


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