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季節の境でまた会えたなら

第4章

一応エーコさんと携帯の連絡先を交換したけれど、連絡を取り合うつもりもなかった。やはり電車は同じ時間にならないのであれきり会うこともないが、連絡を取ろうと思えば取れる、という状況でもう満足してしまった。
それから時々あの喫茶店に一人で行くようになった。席が多くて入れ替わりも早く、安くてそこそこ店員の対応もいいので、気軽に入れるのだ。あいかわらずコーヒーしか頼んだことはないけれど、今吉を連れてきたら大喜びするんじゃないかと思われる巨大なパフェのサンプルがショーケースに飾ってある。あいかわらず平日も休日も彼女は忙しくて、最近本当に全然会えなかった。
窓の外を見ながら考え事をしたり、レポートを書いたり、今吉と会えない時彬人はよくそうして一人で過ごした。エーコさんもここでこうやってよく一人で過ごしているんじゃないかという気がした。そういえばこの間は禁煙席にいたな・・・彬人に気を遣っていたのかな・・・。

気がつくと、すぐ席の隣に男性客が入って来ていた。じろじろ見るのは悪いので下を向いたままでいると、あ、と小さくつぶやく声がした。思わずちらっとそちらを見ると、隣の客が彬人の方を見ていた。
「やあ。」
背広を着たサラリーマンがいた。営業をしていそうな、こざっぱりした様子の若い男だ。
初め誰だかわからなかったが、ようやく思い出した。エーコさんとここで会った時に来た男だ。こうしてみると感じのよさそうな人である。どうも、と会釈すると、彼はこんにちは、と彬人に笑いかけた。
「この間は済まなかったね。エイコちゃんから君のことは聞いてるよ。」
ちょっとぎょっとする。なに。彼女は彬人のことを人にどう言ったのだろう?
何と言っていいかわからないまま、そうですか、と適当に返事をした。
彼はコーヒーを頼むと席に座り、水を飲む。
「いや、何もそう詳しいことを聞いたわけじゃないんだ。学生さんで、世話になった人だって。」
「いえ、そんな、大した事してませんけど・・・。電車で気分が悪そうだったから。」
そう言いかけると、男の顔が少し曇った。
「へえ・・・また?いつのこと?前の時は家族にも体の調子が変なの隠してたらしいもんなあ。もうそんな隠したりしないって言ってたのに」
隠す。彬人は何かただならぬものを感じて問い返した。
「エーコさん、病気なんですか?それは確か1年も前の話ですよ。」
それに病院に行って完治したって・・・いや、完治したとは聞いていなかったけれど。
彬人が何も知らない様子であることに気付き、男はしまったという顔をした。
「いや、エイちゃん何も言ってなかった?まずいなあ・・・しゃべっちゃったよ。」
男は彬人がエーコさんと相当親しいと勘違いしているらしかった。多分、彼女がこの男に彬人のことをそんな風に思わせるような伝え方をしていたんだろう。しかし、実際はそうでもないのに、立ち入ったことを聞くのも憚られた。でも、ここまで聞いたからには、「どうかしたんですか?」と聞かずにはいられない。
男は迷っていたが、とうとう、ここだけの話にしてくれよと言いながら、
「卵巣腫瘍だったんだ。」
卵巣腫瘍。突然の言葉にびっくりした。
いままで自分の周囲では、彼の幼い頃脳卒中で亡くなった祖父以外、手術の要るような深刻な病気になった人はいなかった。祖父の死を思った時ぞっとした。しかし、卵巣腫瘍で死ぬっていうこともないだろう、確か・・・。
混乱しそうになるのを抑えていると、男はため息をついて、そうか、と言った。
「そう、1年ほど前の冬だったよ。わかったのは。仕事に行ったのに早く戻って来て、そのまま一人で病院に行ったらしいんだ。その時は貧血だって言って帰ってきたんだけど、病院から家に電話がかかってきて、別の検査が必要だって言われて。早期発見でよかったよ。その時君に世話になったんだね。てっきりその後のことももっと詳しく知っているのかと思った。」
早期発見。そいうことだったのか。でもそんなに大した病気でなく無いのではないか?
「あの・・・よくわからないんですが、大丈夫なんですか?もう完治したんですよね?」
「ああ、そのはずだよ。良性だったし。手術後しばらくはあんまり動けなかったしつらかったと思うけど。ほら、君も知ってるんじゃない?若い歌手の女の子がこないだ同じ病気でさ。いや、エイコも若いけど。」

後のことはろくに聞いていなかったが、とにかくエーコさんがもう大丈夫なのだということにほっとした。
そうだったのか。冬に電車で顔を合わせていた時、彼女は既に病気で、彬人が受験にかまけている間、いつの間にか手術も終わって、それから一年、会わなかった。その間彼女はどういう思いで生きて、そんな中どういう思いで彬人のことを考えて、それをこの男性に伝えたのだろう。アキヒトくん。彼女の中で一年間かけてやんわり馴染んだようなその呼び名が、彼に対するこの世で最上の呼びかけのような気がした。

結局その男性とエーコさんの関係もはっきりわからないまま、別れて来た。彼は神崎という名前で、20代後半くらいのサラリーマン、会社の名刺をくれ、何か有ったら連絡してと気さくに言ってくれた。
彬人とエーコさんの関係を聞かれなかったのは、エーコさんが彼に何か説明しているからだと思うが、彼がエーコさんの恋人なら、彬人のことをどう認識しているか気になる。聞かれもしないのに下手なことをしゃべって、エーコさんの説明と矛盾することになってしまったら、変な誤解に発展したりして、トラブルに巻き込まれてしまうかもしれない。だからついつい慎重になってしまった。彼女とんでもない人だよな、と思いつつ、それなら関わらなければいいのだとやっと気付いた。
しかし、彼はそれほど彬人の存在にこだわっていない様子で、よほど信頼しあっている恋人同士なのか、それとも実は恋人ではなく親戚だったとか、そういった落ちがある可能性も無いでは無い。

それから彬人は喫茶店の向かいのビルにインターネットカフェが入っているのを見つけて、思わず足を向けていた。結局彼はこうするのだ。パソコンに向かい、Googleで検索する。
卵巣腫瘍。
9割は良性で、悪性のものは1割程度の確率。良性でも腫瘍が大きくなれば摘出手術をするのが一般的。
悪性なら卵巣ガン。でも神崎は、彼女は良性だと言っていた。だとしたら心配ないはずだ。2つ有る卵巣を一つ取っても子供が産めなくなるわけではないようだし。でも、彼女は実際どのように感じているんだろう。
あれこれ関連サイトを辿りながら、ぼんやり彼女の顔を思い浮かべた。
いや、ここで自分がそんな心配をしたってどうしようもない。それは自分がしなくてもとっくに神崎がしていることなんだろうし、自分にはエーコさんよりも大事な女性がいるのだ。それは確かだ。それでも気に掛かるのは、彼女に同情しているだけなのかもしれない。彬人の同情なんてそれこそ彼女には不要なものに違いない。
彬人はネットカフェから出ると、携帯を取り出す。着信は無い。メールも無い。エーコさん、今どうしているのだろう。仕事は続けているのだろうか。神崎に聞けばよかった。いや、もうあの二人には関わらない方がいいのかもしれない。だけど、それでも彼女にこだわってしまうのは何故なんだろう。
駅へ向かう。空には半欠けの月が出ている。ギターを弾きながら若者がラブソングばかり歌う。少し耳につく声だった。

それから2週間ばかり経った頃だろうか。いつものように今吉と夕方会ったが、なんとなく彼女の様子が変だった。機嫌が悪いのかなと思って冗談を言ってみたりしたが、彼女はむすっとして返事をしない。だんだん心配になってきて、どうしたの、と聞いてみると、今吉は冷たい目で彬人を見る。
「最近さあ、変だよ、アキト。」
唐突なのでややめんくらった。
「変って?何が」
「アキトが変なの。」
「わかんないよ。もっと具体的に言ってよ。」
彼がそう言うと、いらいらしたように今吉は睨む。しかし彼女も自分の不安を上手く言葉にできないらしい。しばらく考えて、とうとう思い切ったように言う。

「アキト、他に好きな人でもできたんじゃないの?」
ぎくりとする。いや、後ろめたいことはしていないはずなのだけれど。
「何でだよ。そんなはず無いだろ。」
「何よそれ。有ったっておかしくないでしょ。だけど、それでもう私と付き合いたくないと思ってるなら、ちゃんとそう言って欲しいわけ。」
いつものように平静を保って憎まれ口をきこうとしているが、今日の今吉の声はややうわずっていた。
「ちょっと待てよ。何でそんな風に思うんだよ。もし俺がそんな誤解させるような態度とってたなら悪かったけどさ、思い違いだよ。」
今吉にそんな思いをさせていたとは彬人も全然気付かなかった。なにしろ、忙しくて彬人をほったらかしにしているのは彼女の方だし、それで何となく置いていかれるような、寂しい思いをしていたのは彬人の方だと思っていたのだ。ひょっとして、今吉、自分が他に男ができたんじゃないか?今忙しいから会えないというのも部活のことだけじゃないのではないだろうか?様子のおかしい彬人に対する不安を慰めてくれる人が、今吉の前に現れたのかもしれない。そこまで考えて焦りが生じてきた。
しかし、今吉の顔を見て、そんな身勝手なことを考えた自分が突然恥ずかしくなった。馬鹿だな。なにもかも、悪いのは自分じゃないか。彬人はそう思った。他の女を心配するあまり、自分の一番大事な女性を泣かせるなんて、自分はとんでもない男だ。今後一切他の女性のことなど考えるのはよそう。そう決心した。


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