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季節の境でまた会えたなら

第2章

国立大の前期日程の入試が終わったのは2月の終わりだった。3月上旬に発表があり、不合格なら後期試験も受ける。私大は1つ受けて合格したが入学手続きをしなかった。手続きの締め切りは第一志望の国立の合格発表に間に合わない日程だったのだ。そこは腕試しといったところなのでどっちでもいい。国立前期に受からなかったらもう一つ願書を出してある私大も受けるつもりだ。今のところ全てが計画通りで、それはよく練られた受験計画だった。これで国立に受かれば完璧なのだが。
発表までにまだ5日以上有り、どっちつかずという状態は中途半端で嫌なものだった。理科関係や英語の教科書をぱらぱらとめくっては、気の向くところを読んだりしたが、あまり身が入らない。気分を変えるためにまた予備校の自習室にでも行こうかと思い立ち、次の日が火曜日なのを思い出し、なんとなくまた朝早くあの電車に乗ってみることにした。本当に、あまり深く考えたわけではなかったのだが・・・。
次の朝、もう定期が切れているのに気が付いたが、確か少しキャッシュがチャージされていると思ったので、そのまま改札を通る。この定期券はかざすだけで通れて、定期の区間外清算もいらないJR東日本の新システムだ。
以前のように電車に乗り込む。しかし、なんとなく、彼はいつもの席に座らなかった。彼女と以前のように顔をあわせても、どういう対応をすればよいかわからなかったのだ。多分彼女の方も同じだろうし・・・。そう思って彬人はいつも彼女が乗ってくる扉の、向かい側の扉の前にいた。
思った通り、次の駅から彼女が乗ってくる。そして、すぐに彬人の姿を認めて、表情を和ませた。
「おはよう」
今日の彼女はいつもそうしているかのように自然に、笑いかけて来た。戸惑った。
「試験は?」
「結果はまだ・・・5日後発表です。」
「そう。うまくいくといいわ。」
・・・ちょっと懐かしいわね、入試なんて。何年も前のことだもの。彼女はあたりさわりのない事を本当にあたりさわりのない口調で話す。ややほっとする。

蓼川で降り、手を振って去っていく彼女を見送っていると、後ろからぽんと背中を叩かれた。驚いて振り向くと、今吉和子がいた。彼女の第一声はいつもの
「おはよ!」
ではなかった。
「カノジョ?」
興味津々な目をきらきらさせて、今吉は会うなりそう言った。
今吉は彬人の高校の同級生で、また予備校の同級生でもあった。顔は知っているので塾でも話すことはあったが、高校の時から個人的な話をする程親しくはなかった。しかし元気で人懐っこい性格なので、誰に対してもこんなに馴れ馴れしく話し掛けてくるのだ。そんな彼女がうらやましいと思う事もある。
「違うよ。」
「親しそうだったじゃーん。」
からかうように今吉は言って、歩き出す。変な噂を立てられたらたまらない。慌てて追いかける。
「ほんとに違うって。変な事しゃべるなよな。」
「美人だったじゃん。飯田くん、ああいう年上のひとが好みだったんだ。」
全然聞く様子がない。
「関係ねーだろ。」
予備校に着いてしまった。自習室でしゃべるわけにいかないし、そのまま別れて空いている席についた。塾にはそれほど同級生は来ていない。彬人の高校は一応の進学校だし、特に女子は、大抵たくさん受けた私立大のどこかに入っていた。しかも学区の関係で、彼の学校から蓼川の予備校に行く人は少なかった。だから多分今吉があの女性の事を言いふらす相手はまずいないと思う、という結論に達して、ようやく落ち着いた。

彼の斜め前の方に座っている今吉を見ると、意外に真剣な顔で赤本(過去問集)を読んでいる。斜め後ろから見ると、おかっぱを無造作に頭の後ろで一つに縛って、頬や顎がすっきりと見えている。まつげが上下にしばたいていた。白い衿のシャツの上に、目の粗い薄い緑のセーターを着て、ほそいえりあしがとても白く見えた。
昼に一旦自習室を出ると、今吉も出て来た。空いている教室で一緒にお昼を食べようと言うので、断る理由も無く、がやがやとうるさい教室の隅でふたりしてパンをかじった。予備校の近くにあるコンビニのパンは既に全種類食べ飽きたので彬人は大抵家の前で買って来るが、今吉はあまりこだわらないのか、それとも死ぬほど気に入っているのか、そういえば彼の記憶の中で思い出す限り、彼女はいつもヤマザキのアップルパイとクリームパンを買って来ていた。今日もいつものメニューを満足げに広げている。
「飯田くん、試験どうだった?」
今吉はもごもご食べながら言う。今吉は文系、彬人は理系だが、志望大学は同じだった。彼女の食べっぷりを見ていて、女らしさってものが無いなと彬人は思いながら、
「どうかなー。わからん。」
と返事をする。最近あたりさわりのない会話が多いよなと思う。
「今吉さんはK女受かったんだろ?国立だめでも安心じゃん?」
ふと思い出して言うが、彼女も自分と同じような理由で滑り止めに行くつもりはないのかもしれないと彬人は思っていた。しかし、彼女の答えは少しだけ予想外だった。
「K女蹴っちゃった。・・・先輩と同じ所行きたいもんね。」
「はあ?」
「だから、山本先輩と同じ所行きたいから頑張ってるのよ。もし前期試験駄目でも、後期で粘るわよ。」
山本先輩という人が誰だか彬人は知らなかったが、聞くところによると、一つ上の学年だった、弓道部の有名な元男子部長で、女子の憧れの的だったそうだ。
そんなことで?と驚いて言おうとしたが、反応が怖いのでやめておいた。しかし、片思いなわけだし、そこの大学を志望するのはそれだけの理由ではないだろうが、何の意味が有ってその先輩と同じ大学に行かなければならないのか、彬人にはちょっと想像がつかなかった。
「ま、飯田くんにはわかんないだろうねー。」
今吉は、意味ありげにくすくす笑いながら、二つ目のクリームパンの袋を開ける。
「なんだよ、偉そうに。」
「女嫌いで有名だもんね。」
女嫌い。そういうつもりは無かったのだが・・・。しかし言い返せず、敢えて静かに聞いてみる。
「何?俺ってそんな風に言われてんの?」
今吉はとうとう吹き出して、お腹を抱えて笑った。何が可笑しいんだ。むっとして睨むと、ごめん、と言いつつまだ彼女の目は笑っている。
「違うの?でも、そういう話って好きじゃないでしょ?」
「・・・気持ちはわかるよ。」
全くわかりもしないのにそんな言葉が口をついて出て来た。
「無理しないでいいって。受験生ならわかんなくってあたりまえだもんね。片思いの人の側にいる為に大学決める、なんてさ。大人な飯田くんには信じられないでしょ?」
「わかるったら。」
つい強く言い放ったその自分の声が、ちょっと異質に思えたのでややぎょっとして今吉を見ると、彼女も驚いたように口ごもっていた。気まずくなった。
しかし、気を取り直すように今吉はまた笑いかけ、
「でも、飯田くんにもああいう人がいるんなら。」
そう言って目を細くして笑うので、彬人はややほっとして、だけど別の意味でかっとして、また言い争いが始まった。
そうしているうちに1時になって、今吉はとっとと自習室に行ってしまった。

今吉にからかわれたのが面白くなくて、もうあの電車の彼女には会うまいと思っていたのだが、第一志望の合格通知を手にして、世界が一変薔薇色に転換すると、つまらない意地はどうでもよくなってしまい、それからすぐの火曜日に切符を買ってあの電車に乗り込んだ。通知が来た時、彼女に一番に知らせたいと思った。そういうわけにはいかなかったが、できるだけ早く知らせたくて、仕方がなかった。今吉にあんなこと言われたからだろうか?我ながらちょっと意識し過ぎているような気もしたが、心配してくれていたんだから、知らせるのが当然なんだと、ちょっといいわけがましく考えて、どこかしらぬぐえない後ろめたさのような、純粋でない部分を必死の表情で打ち消そうとしていた。

また扉の所に立って、電車が彼女のホームに着くのを待っていた。扉が開いて彼女が現れるのを待っていた。一区間がいつになく長い気がして仕方無い。そうしているうち、それにしてもまるで今吉が言ったように、彼女が自分の恋人であるかのようなおかしな錯覚に陥る。あの扉が開いて、彼女が笑いながら駆け込んで来て、自分の腕に飛び込む。周りには誰もいなくなり、そこは静かな山の中の一軒家で、木の扉を両方に開いて、カールした髪を跳ねさせながら彼女が駆け込んでくる・・・。

しかし、電車が停車し、夢から醒めてみると、とっくに扉は開いて全ての乗客が乗り込んで来たというのに、彼女の姿だけがどこにも見えなかった。
辺りを見回すが、どこにも見つからない。やがて扉は閉まり、電車は発進した。
やや茫然としていたが、冷静になって考えてみればそれも当然だ。彼女がいつもこの電車に乗ってくるとは限らなかったし、いつ会うという約束もしていなかった。

「会えなかったら仕方ないね。もし会えたら、きっと運命なんだから、また会いましょ。」
そう言った彼女の言葉を思い出す。
考えてみたらお互い名前も知らなかった。彼女が何をする人なのか、いつもどこまで通っているのか、彬人は知らなかった。彼女も彬人の行っている予備校も、受けた大学も知らないはずだ。会うには、偶然、に頼る他なかった。
「きっと運命なんだから」
照れたように言った彼女の言葉が、何故だか切なく心に残り、ポールにつかまったまま彬人は、この数ヶ月のとりとめない思い出やらいろんな人の言葉やら、様々なものにざわざわと心浸されて、銀幕のように流れて行く家や雑木林を、あてもなくいつまでも見ていた。
外には春がやってきていた。


つづく

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