架空の喩話-かくうのたとえばなし-


Aがどこにいたのかはよくわからないが、とにかくAと同じ場所に、A'がいた。A'は長い真っ黒なストレートヘアが似合う、目の大きな美人だった。ところがとても気が強く、なにかにつけAを精神的な方面でひどくいじめたのだった。
「なんなの?あんたほんとにそんな純情なの?そんなわけないでしょ?とろいだけじゃないの。あったまくるわねこの偽善者!」
そんな言葉のいじめならまだよかったが、時々キレて、物騒な事に刃物まで振り回し始める始末。
「あんたなんかこうしてやるわ。こうしてやるわ。」
それがあまりにエスカレートして、とうとう黙って耐えていたAは怪我をしてしまった。Aは幼い子供で、不格好だが、とても純粋に物事を見て生きていた。生まれつき他人に無い不思議な能力を持っていたが、目がよく見えず、耳もよく聞こえず、ほとんど動けなかったので、いつも座り込んでぼんやりしていた。そのせいでA'は大変な迷惑を被っていた。彼女はAの希望通りにしか動く事ができないという境遇に有ったのだ。それは一種身分制度というようなものがこの空間に存在していたからだ。
とはいえここでのAの存在価値を決めるらしいその能力というのがまた、現実的にはおおよそ役に立たないもので、例えば、足の皮が針山の上を素足で歩けるほど固いとか、彼女の口がダチョウほどの大きな鳥をまるごとのみ込めるとか、そういった類だった。
しぶしぶ秩序に従って生きてはいても、A'はとても自由になりたくて、そうなれないという境遇にかなりの不満を持っていた。ここ以外の世界なら自分はもっと楽しく生きられるのに。みっともないAと一緒にいることで周りから責められたり嘲りを受けたりしなくて済むのに。
いや、そんな風にいろいろ理由を付けてみるのだが、実際の所どうしてこんなにAを憎んでいるのだか自分でももうわからなくなっていた。とにかく強迫観念にかられるように、憎まねば憎まねばとA'はAをいじめ続けた。

ある時、一人の女性がやってきた。彼女も一体どこから来たのか誰にもよくわからないのだが、彼女はA"といった。新参者で見た目はとても地味、無口なのに、正義感が強く、力も強かった。またいつものようにAをいじめようとしているA'の前に立ちふさがると、A"はきっと彼女を睨み付けた。
「あんたこそ、いったいなんなの?いい加減にしなさいよ。あんたの方こそ、そんな偉いの?自分では何にも考えられないからっぽの頭だから、人の真似してAを責めてるだけじゃないの。」
A'は怒って、ナイフを持ち出し、髪振り乱してとびかかっていった。とそこに、A"の盾が有った。盾はA'のナイフ如きにびくともしない。とうとうA"はA'の攻撃からAを守ることができた。
「よかったわね。もう大丈夫よ。」
A"はにっこりと笑ってAの頭を撫でる。
「これからはあたしがあなたを守ってあげるわ。」
自分の身に何が起こっていたのかわからないAは、ようやく自分に味方ができたのを知って喜んだ。

しかし、A'はまだ諦めていなかった。なんとしても鬱陶しいAを、いや、Aのもつ性質の鬱陶しさをここから排除しなければならないと思っていた。それさえ消えれば、何もかも上手く行くような気もした。けれど、Aを殺す事で自分がAに成り代われるものとは思っていなかった。なぜなら、生まれつきAに有るものが、A'にも、またA"にも無い事を知っていたから。そして、Aが死ねば自分ももう生命を維持していくことはできないことを知っていた。だとしたら、自分が生き残るためにできるのは、Aを眠らせてしまうことだ。Aに舵をとらせてAが下手に動いたら自分の身も危ない。Aが全く動かなくてもやっぱり危ない。だとしたら、Aの代わりに自分A'がここの支配者になるのだ。そのためなら、Aの希望や夢や将来などどうだっていいことだと思った。

今やAを支配するA"がこの世界で一番大きな影響力を持ち、静かで安定した空気がA'の体内にさえ漂い始めていた。しかし、そのままAは安心して動かなくなってしまった。A"はAを我が子のようにかわいがっている。このままでは、A'は檻に入れられたも同じ事だ。A'はAを奪い返すため、A"の盾を破るような強固な剣を作った。そして戦った。A"は負けそうに感じ、一時退去すると、どこからか不思議な素材を探して来て、それで新たな盾を作った。A'の剣はこのA"の盾を破る事はできなかった。A'は負けじともっと強い剣を作り、それに対抗してA"はもっと強固な盾を作った。戦いは決着がつきそうになかった。もっとも、攻撃するのはA'側だけなのだが、戦闘はエスカレートし、飛び散る火花のその激しさにこの世界が炸裂するかに思えた。その時・・・。
大地震が起こった。何もかもめちゃくちゃになった。建物はすべて崩壊し、Aも、A'も、A"も瓦礫の下敷きになった。しかし、A"の大きな盾は、Aも、A'も、A"も覆えるほど大きな物だったので、その下に入った3人は全員命拾いをした。
揺れが収まると、皆びっくりしながら盾をどかし、瓦礫を掘り起こして外に出て、ようやく自分達が助かった事を知った。
先程まで戦っていた敵同士だが、こんな時には助け合う他に無い事をA'は知っていたので、呆然としているA"からAの手を奪うと、一人で何もできないAを誘導して、安全な場所まで歩いていった。A"も後から着いて来た。
しかし、いつもとろいと思っていたAだが、いつにも増してよろよろとして、だんだん歩けなくなってきたので、瓦礫でどこか怪我でもしたのだろうかと思い彼女の長いスカートをめくって見ると、驚いた事に、有るはずの右足が無い。ぎょっとして、あわてて傷口を見ると、それは今千切れたわけでもないらしく、一滴も血は出ていないし、傷口はもっと前にふさがっているように見えた。
「ああああ〜。」
と、叫ぶようにして突然、先程から黙ってついて来ていたA"が泣き崩れた。それはもう悲しげな声をあげ、顔を覆った手の指の隙間からぼろぼろと涙の粒が溢れた。
A'のどんな鋭い剣でも突き通さなかったあのA"の盾は、3人を守ったあの盾は、なんとA"がAの足を切り取って作っていたものだったのだ。そして反対の足の指も既にあらかた無くなっていた。
そうだ、Aの不思議な能力を持つ足でできた盾なら、どんなものからも身を守れるだろう。しかし、さすがのA'もショックを隠せなかった。
A"は、Aの心をなにものにも踏みにじらせないようにするためなら、Aの肉体がどうなったってかまわなかったのだ。Aの心を守るためなら、Aの生命さえどうなったってよかったのだ。何度も繰り返すが、Aが死ねばA"も死ぬのに、それでも、自分の命よりも、Aの体よりも、Aの脳、或いは心を守るために、A"はAの足を切り刻んだのだ。

泣いて泣いて、A"は一日その場から離れなかった。夜になって、次の朝が来てもA"は泣き続けた。A'はどうしていいかわからずにただ見守っていたが、Aに何か食べさせねばならなかったので、Aを背負って食糧を探しにいった。幸いすぐ食べられそうなパンや井戸が見つかったので、二人してそれを食べて飲んでから、A"の分の食糧を持って先程の所へ戻ってみると、そこにA"はいなかった。ただA"の盾と、彼女の来ていた衣がぐったりと横たわっていて、その周りを人の形に涙が水溜まりになっていた。
Aは何もわからない様子でぼんやり見ていたが、A'は荷物を放り出しその涙の跡に身を投げ出して、泣いた。

この世界にはただAとA'だけになった。A'はAの面倒を見るようになったが、長い時の中、消滅してしまったA"のことばかり考えていた。
しかしだんだんAの世話にうんざりして、A'はAを蹴飛ばした。
「なによ。こんな子供!」
しかしA'はどうっと倒れたAの姿が、以前は確か5,6歳の少女の姿だったはずなのに、いくらか大きくなって14,5歳に見えるのに気付いた。そして、よく見ると、横顔がどことなく死んだA"に似ているような気がした。
「なによ。あんたなんか、何にもできないくせに、愛されて、かわいがられて。知らないでしょう。或る時A"が、自分がいなくてもあんたがいきいきと輝いていられることを知った時、どんなに喜んでいたか。どんなにあんたを愛したか。どんなにあんたに惹かれていたか。でもね、でもね、私なんかのいじめに耐えられないくせに、どうやってあの大地震から身を守るって言うのよ。A"が守ってくれなきゃ、あんたもうとっくに死んでるわよ!それでもって、A"はもういないのよ!」
そして殴って蹴って踏みつけてやろうと思ったが、A"のことを思い出してその気も失せてしまった。そして、ようやくわかった気がした。A"はこの世から消滅したのではなく、Aの中に溶け込んで、Aと一体化したのだ。その証拠に、Aは今ではA"と同じくらいの身長で、そしていつの間にかA"のような声でちゃんと口がきけるようになっていた。
「ごめんね、私は生まれて来てはいけなかった?でも、それでも、死にたくはないの。」
A'は、Aがこんなに長い言葉で口をきいたことにやや驚いたが、それから自分の受け入れねばならぬ運命を悟った。そう、A"と同様、自分もAと同化しなければならないのだ。どんなに醜く大嫌いな姿でも、コアを持つのはAだけだと、初めからわかっていた。
しかし、それはまっぴらだ。どうしてこんな醜く生まれついた、歪んだ子供に!A'は再びAを攻撃しようと思った。しかし、いつの間にか剣が無くなっている。そこで、素手でAの首をつかむと、ぎゅうぎゅうと締め付け始めた。もちろん、こうすると自分の喉も締まって、苦しい。自分も死ぬ。とても苦しい。目を瞑って更にぎゅうぎゅうしめると、涙が出た。それでも私は放さない!放さない!放さない・・・・・・!!



(私は一番勇敢で、そして一番弱かった。皆、寂しさと戦って生きてるのよ・・・。)



気を失ってしまったらしい。どれくらいの時間が経ったのだろう。荒野をゆく風のような音がした。寒い。手を見ると、分厚い手袋をしていた。空が青かった。周りを見ようと首を動かすと、ずきりと後頭部に痛みが走った。そして、右足の膝から下と、左足の先に、激痛が走る。
そうか、思い出した。あの上に見える崖から転落したんだ。助けてくれる仲間はいない。一人で来たのだった。気まぐれに思い付き、大学を休んで一人レンタカーを借りやって来た、名も知らぬ飛騨の山、県道に車を停めてここまで登って来た。そうか、自分は死ぬのかもしれない。
風が吹く。

遠くの方で声が聞こえた。

―おーい。おーい。

耳を澄ますと、数名の人の声。
あれはきっと、行方不明になった良子を探しに来てくれた救助隊だ。ここよ、ここよ。声を出そうとして、ためらう。なんだ。私は何を考えていたのだったか?この山に一人歩いて来ながら、或いはもう帰らなくてもいいとふと思いはしなかったか?
3日前、ほんとに好きだった人にひどい振られ方をした。何も考えず、高校の時一度親と山登りをした時の簡単な登山グッズを背負い、家を出て来た。どこへ行くとも言わず、置き手紙もしなかったのに。県道に乗り捨てたレンタカーから足跡がわかってしまったんだ。

―おーい。おーい。りょうこさーん。

複数の声が大きな騒音と共に近づいてくる。
さあ、どうする?なぜ声が出せないのだろう。

A'はどうなったんだろう?A"はどこへ行ったのだろう?A'もA"も、初めからいなかったのだろうか。それとも、この胸の中に溶け込んでいるの?いとおしいA'、そしてA"。そしていとおしい私。そう思ったら涙が出た。

さあ、もう一度名前を呼ばれたら、今度は大声で返事をしよう。それできっと、それできっといいんだ。既に何かを失っていたとしても。さあ。

―りょうこさーん

さあ、息を吸って。肺一杯に、澄んだ空気を吸い込んで。叫ぼう。
美しく歪んでいく透き通った空に向かって、

ここよ・・・!私はここよ・・・・・・!!



-The End-

written by Nanori Hikitsu 2003.1
・・・Kakuu no Tatoebanashi・・・


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