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第二話:存続の危機編.10


祐天寺杉並大学生連合会長は、夏だというのにシックなスーツを着て、いかにもといった感じの好青年を装い、静かに宮様の御前に立っていた。天気の良い午前中、手入れされた庭の緑が色濃く、窓の外に見える。宮様はさすが物事に動じない、落ち着いたご様子で、目には優しげな笑みさえ浮かべておられた。
「今日は忙しいところ呼び出してしまってすみませんね。」
意外に気さくにお話しになるさる宮様は御歳七十。だがまだ髪も黒く、仕立ての良い背広をきっちりとお着こなしになり、年齢より若々しい印象を受けた。宮様は実質的に何かされているわけではないのであるが、杉並大学学生連合の名誉顧問をしておられ、年に数回学生連合会長の御挨拶や御報告の訪問をお受けになるのであった。
「こちらこそ、宮様には大変にお忙しいところ、我々学生の活動にご関心をお持ち頂き、そしてこのように学生のことでお時間を割いて頂けるとは、大変に恐縮です。」
笑みと深刻の半ば入り交じったような表情で、祐天寺会長は宮様のご機嫌を量ってみる。宮様はゆっくりとお座りになって、早速懐から一通の封書をお取り出しになった。ペーパーナイフで丁寧に開封されたその封筒は、ごく普通の定形郵便だが、裏に差出人の名前は無かった。宮様は中の白い便箋をゆっくりとお取り出しになり、祐天寺会長に差し出された。
会長は何事かとさすがに心中焦ったが、動揺を隠し、恭しくそれを受け取った。
「こんなものを送ってくれた学生さんがいましてね。」
白い便箋を開くと、下の方に杉並大学のロゴが入っている。杉並大の生協で売っているものだ。全部読む前に全て悟った祐天寺会長は、内心で舌打ちをした。
「これが事実としたら、残念なことです。このサークルに関して、担当は祐天寺君でよかったのですかな。」
「・・・はい。サークルだけのことでなく、学生全体の問題ですから。」
祐天寺会長は通常一人でこういう場に来ていたし、今回もサークル担当の桜木さんをこの場に連れてはこなかった。この場合彼女に釈明させるというのは酷であろう。
「この手紙は中傷です。」
「そうですか。事実無根、ということですか。」
「・・・いえ。事実に反するかなりの脚色があり・・・ここまでひどいことはありません。」
「・・・このような事があって、世間でフォークダンスに対する印象が悪くならなければいいのですが。」
宮様は始終穏やかな顔をされていた。祐天寺会長は神妙に、だが内心とても不機嫌に、もう一度匿名の手紙を見る・・・それは実際脚色や誇張が入っていた。フォークダンス部が学生の本分をおろそかにし、色恋沙汰で学生にあるまじき騒ぎ(かなり具体的に有ること無いこと書いてあった)を起こし、内部分裂で潰れそうだ、残った部員が再建を試みているけれど このような風紀を乱したサークルが存続していていいのでしょうか、という、いわばチクリだ。もちろん、世間でこのようなもめごとはよく有って、今時学生にあるまじきなどと驚くことではないが、なにしろ宮様や、古い時代のOBOG会の皆様にとってはやはり、あるまじきことなのだ。 男女仲良く手を繋ぐことが目的の軟弱な若者達が・・・とまでは言わないが、OBOG会の中でもフォークダンスに対する偏見は有った。そしてこのようなごたごたは、暗黙に見逃すことはあるにしろ、こうまではっきり直訴されては、宮様も無視するわけにいかなかったのだろう。
「ご心配おかけして申し訳ありません。今調査中ですので、できるだけ平穏に事を収めるよう、努力します。」
「頼みます。犯罪行為ではないし、事実関係の解明や、今後サークルをどうするかに関しては、学生連合の方で適切で寛大な処置をしてくださることでしょう。」
会長は深々と頭を下げる。親切な宮様は苦言を呈するわけでもなく、フォークダンス部のことまで心配してくださっているご様子だった。それが救いではあるが・・・しかし・・・。

星のアイコン

さて土曜日だった。またやってきた活動日。何があるかわからないのでちょっと不安は有ったが、これで活動をやめては敵の思うつぼだったので、桃子達は昼一時半から時間通り例会を始めようと準備していた。今日は依田さんや他の皆忙しくて来られなかったので、東条重美部長と桃子と、二人で寂しく踊るつもりだった。するとそこへ、なんと、数日前恐い目に遭ったばかりの四宮えりこが再び現れたではないか。
「えりこちゃん!危険だって・・・。」
「なーに。今日は昼間だし、大丈夫よ。それに、助っ人も連れてきたのよ。」
助っ人?えりこの後ろを見ると、二人の人物が覗いた。
「こんにちは。」
それは、えりこの一つ上の先輩、世羅吉乃さんと、遊行弘文さんだった。
「やあ。世羅さん。遊行。来てくれたのか!」
彼等は東条重美部長と同じ三年生だった。
「大変なんだってね。言ってくれたらいいのに。私たちも協力するわよ。勧誘デモも、人数必要だったらうちの子達連れてくるから。」
「ありがとう。恩に着る。」
「やーね。東条君相変わらず。」
吉乃さんはとてもきれいな人で、笑い方もきれいだ。面倒見も良く、頼りになるお姉さんで、桃子も結構憧れている。一方、大野女子のフォークダンス部との提携校、福徳大学の遊行さんはとても大人びた男性で、そしてすごく優しい。桃子はあまりしゃべったことはないが、パーティで一緒にカップル曲を踊ってもらったことは何度も有る。狭い世界なので学生同士結構顔見知りなのである。そしてその人のプロフィールを知らなくても、どんな感じの踊り方をするのか、どんな国の曲が得意なのか、そういったことは結構お互い知っていた。
重美部長がかなり時間をかけて丁寧にコールをし、桃子も一生懸命「ドスパトスコ・ホロ(Dospatsko Horo)」というブルガリア、ロドピ地方の踊りを習った。こんな夏の明るい昼間に踊るにはちょっと暗い雰囲気の曲ではあったが、静かで渋い曲であった。重美部長が踏む一歩一歩とても丁寧なステップを見て一緒に踊っていると、この暗い曲も悪くないと感じるのだった。

さて、例会も佳境に入った頃。
土曜日なので授業も無いし、学生課や事務室も閉まっているので、一帯は人影も少なくかなり静かだった。
開け放った窓から突如、ものすごい音がした。
パンパンパンパーン!
皆びっくりして窓の方を見ると、突然!
「きゃー火事!」
もくもくとたちどころに煙が押し寄せ、小屋の中が一気に真っ白になった。
「外に出るんだ!こっち」
桃子も誰かに腕を掴まれて、転びそうになりながら命からがら戸口に突進した。
けほけほけほ。
煙にしては甘ったるい臭いで、むせかえる。
「皆大丈夫かー?!」
部長が叫んできょろきょろしている。
「大丈夫〜」
吉乃さんとえりこの声。
桃子もやっと余裕ができて見回すと、全員外に出てきていた。
「なんなの!火事?!消化器どこ!」
吉乃さんが、戸口や窓から真っ白な煙がもくもく出てきているのを見ながら、立ちつくしてきょろきょろしていた。
「嗅いだことのある臭いだなあ。」
何だか遊行さんがそんなのんきなことを言っている。
「何言ってんの!さっさと消さないと!」
「いや、世羅さん、これ、煙幕だ。よく防災訓練で使ってる煙あるだろ?化粧水の成分を焚いたらこんな風になるんだ。」
「こんなたくさんこんな一気に?!」
裏手に回ると、なんと、「スモークマシン」に発電機がくっついてもくもくと白煙が上がっているではないか。皆あきれて立ちつくすしかない。
「・・・これって、何十万もするんじゃないの?」
ふと気になってしまったのだろうか、えりこがちょっとずれたことを言うので、桃子は何気なく箱を触ってみた。えりこが箱に貼ってあるシールを読んだ。
「杉並区役所。って書いてある・・・。」

「どどどどーすんのこれ!」
突然の騒ぎで頭の中が混乱しぼんやりしていた桃子は、一気に正気に返った。
「私たちが盗んできていたずらしたと思われたら!しかもこの煙もくもく、遠くからでも見つかって、多分もうばれてる・・・」
「そっちの問題か・・・。」
遊行さんがとうとう笑い出し、落ち着いて装置と発電機を止めた。非常警報が聞こえてきた・・・。笑い事じゃないって・・・。

守衛さんが駆けつけ、また騒ぎを聞きつけた野次馬学生達がわらわらと集まってきた。辺り一帯は甘い匂いが充満している。
「ど、どうしよう・・・。」
桃子は東条部長を見上げる。だが意外にも、部長も、遊行さんも落ち着いていた。
「本当のことを言うしかないよ。他にどうしようもないし。」
「信じてもらえませんよ〜。」
「どうしたー!火事はどこだー!」
守衛さん達が消火器を持って血相を変えて走ってくる。消防車の音が遠くから聞こえてくる・・・。

そこへ、黒いスーツの人物が、手に持ったバケツから水しぶきを撒き散らして駆け寄ってきた。そしてあっと思う間もなく、桃子達の前に立ちはだかる。
「火事ではありませんでした!私が説明します!」
桃子は目を見張った。なんと、その長い髪の人物は、桜木さんではないか!
「あ、君は・・・?あなたは・・・」
眼鏡をかけた六十代くらいの守衛さんは、突然現れた雰囲気の違う女性に、一瞬事務の人か何かかと思ったか、少し戸惑いを見せた。
「火事ではありません。申し訳ありません。私はこの大学のサークル関連全般の総責任者です。だから騒動の全ての責任は私に有ります!」
「さ、桜木さん!」
桃子はあっけにとられる。フォークダンス部を陥れようとした張本人と思った人物が、いきなり何を・・・。
桜木さんはきりっとした表情で、しっかりと立っていた。桃子達の方は見ず、じっと守衛さんを見ている。
「こ、困るね!一体何が何なんだか、説明をしてくれよ。」
守衛さんはいきり立って消火器を地面に置いた。裏門から消防車も入ってきた。
「つまり・・・。」
桜木さんが桃子達の方を振り返って何か言おうとした、その時。
彼女の動作が止まった。

彼女が全く動かなくなったので、皆一瞬時間が止まったような錯覚に陥った。その間およそ7秒。
桜木さんの視線の先には、遊行さんが立っていた。遊行さんも黙ってじっと桜木さんを見ていた。そのまま時間が止まっていた。一体どうしたのだろう?誰も状況がわからずに、皆桜木さんの視線をたどってきょろきょろし出した。

その時桜木さんのうしろから、彼女の腕をそっと掴み、彼女を後ろへ押しやった人物がいた。グレーの長袖シャツに薄ピンクのネクタイをしたその男は、言った・・・。
「つまり、こういうことです。彼らは学生連合の依頼で、この旧ロッカールームで防災訓練の準備をしていたのです。」
「うわ・・・祐天寺かいちょー・・・。」
桃子と東条部長は視線を桜木さんから彼に移し、思わずぽかんと口を開けた。
「学校側に正式な事前通知をせず申し訳ありませんでした。私は学生連合会長、政経学部四年の祐天寺です。」
「おお、祐天寺君・・・。」
守衛さんは気を取り直したように進み出た。さすがにこの派手な会長は守衛さんにも顔が知られていた。そしてその学校への寄付金の額も、この学校に長く勤める守衛さん達はよく知っていたに違いない。
「この機械は私が父の会社から借りてきたものです。防災訓練は秋ですが、それまでに、どのマシンが煙体験訓練に一番適しているかあらかじめ調べておかないと気がすまなくて。少しミスをしてしまい、煙が外に漏れてしまいました。」
「な、なるほど・・・。」
なんだか何がなるほどなのか誰にもわからなかったが、とにかくなるほどと言うしかなかった。
「だが、そういうことは本当に、あらかじめ言っといてもらわないと、困るよ。」
「それに、ちゃんと専用のハウスを使ってくれなくちゃ・・・こういう建物で使ってどんどん煙が漏れるのは当たり前ですよ。窓も開いているし。」
消防士さんもぶつぶつ文句を言いつつ、守衛さんの態度から、この会長という人物が学校の重要な存在であることを感じ取って、高飛車な態度を取るのを諦めた。
「大変申し訳ありません。改めて、祐天寺グループの会長をしております父の方からも、お詫びに・・・」
げ、祐天寺・・・あそこのご子息か。消防士達は顔を見合わせて顔をしかめた。
「ま、まあ、今回はいたずらではなく、防災訓練の為の行動だったということで。特にどこにも通達せず、無かったことにしましょう。」
「ありがとうございます。」
祐天寺会長は深々と頭を下げ、そっと懐からなにやら取り出して消防士の手に握らせた。

「優子ちゃん・・・。」
皆がやれやれと引き払い始めた時、遊行さんが呟いた。桜木さんは一瞬立ち止まったが、聞こえなかったかのように、お付の部下に指図してバケツを片付けると、何も言わず、去っていった。優子ちゃん・・・?聞き間違いだろうか?他の誰も聞こえなかった様子だが、桃子は戸惑って、じっと遊行さんを見た。だか彼は桃子の視線に気が付いて、何事もなかったかのように、笑いかけた。

「さて。」
祐天寺会長は桃子達に向き直る。
「フォークダンス部の方々には、後片付けをきちんと頑張ってもらいたいね。何のつもりか知らないが、騒ぎを起こされては困るよ。」
会長はしゃあしゃあと言ってのけ、スモークマシンをつま先でちょんと蹴った。
「ち、違います!誰かが嫌がらせしたんです!」
桃子は果敢にも歯向かおうとする。そんな彼女に会長は笑いかけ、言った。
「それは大変ですね。じゃあ、この、区役所って書いてあるマシンの行き場も君達にはあてが無いわけだ。」
っていうか、あんたがやったんだろーと桃子が目を血走らせて言いそうになるのを、東条重美部長が懸命に止め、言った。
「あの、祐天寺さん。もしあなたの顔で、どうにか始末して頂くことが可能ならありがたいのですが。」
「うん、まあいいよ。こっちで何とかできると思うから。預かっていこう。」
会長は部下にスモークマシンと発電機を片付けさせ、さっさと行ってしまった。
大した騒ぎにもならなかったので野次馬もつまらなそうに帰ってしまい、桃子、東条部長、えりこ、吉乃さん、遊行さんが取り残された。
「もう!部長は何で文句言わないんですか!」
「いや、会長の仕業って証拠は無いし、会長がやったにしろ自分で全部後始末したからもういいじゃないか。」
建物の中にはまだもくもくと煙が立ち込めていて、中にも入れない状況である。
戸を開けてばたばた手で扇いでみても、煙は動かない。むせてしまって、中にある荷物も運び出せない状況だった。
中は真っ白。逃げ出すときにカセットテープの箱やら何やらいろんなものを倒してぶちまけてしまったらしく、地面に物が散乱していた。何をどうしていいかわからず、全員ため息をつく。やっぱり後始末は我々がするんじゃないか!そしてとうとう桃子は叫んだ。
学生連合のばかやろーーーーー!!!!!



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アイコンSimple Lifeより
written by Nanori Hikitshu 2004