ラウンドの女王編p41



「富田くんごめん、私今日はもう帰るね」
「あー、うん……」
 富田くんは泣いてる女の子二人を前にして戸惑っているようだ。そりゃそうだな。いきなり巻き込まれて恐らく非常に困惑しているだろう。だから話しかけられる前にえりこはとっととバス停へ向かった。家まで歩いても帰れるけれど追いかけられるのは嫌だ。追いかける事も可能なのに誰も追いかけてくれない現実を直視するのも嫌だ。できるだけバスの多い道を、できるだけ駅の方へ向かって歩こう。途中どっかでバスに乗ろう、と思ってぐずぐず鼻をすすりながら歩いていると、後ろから付いてくる足音がする。
「あれ?」
何故か富田くんがいた。
「えりこちゃん、ポシェットと水筒」
「あっごめん。ありがと」
「花音ちゃんさ……」
「ごめん今話したくない」
「バス来たよ、乗ろうよ」
「何で富田くんも乗るのよ。駅まで行っちゃうよ。学校まで歩いてすぐでしょ」
 富田くんはバス停まで走ってバスを止め、えりこに手招きして、勝手にえりこのポシェットのSuicaを読み取り機に宛てている。何してんのとびっくりしてえりこもバスに飛び乗った。
「ちょっと富田くん、泣いてる1年生置いてくることないでしょ!」
「えりこちゃんだって置いてきたじゃん」
「富田くんがついててあげると思ったから!」
「あっ責任転嫁」
 えりこは言葉に詰まった。
「あの子は大丈夫だと思うよ? えりこちゃんの方が心配だったよ」
「私? 私一人でも大丈夫に決まってるでしょ? 何で?」
「携帯も財布もSuicaも全部置いてってよく言えるねえ」
 またしても言い返せなかった。
 しかし彼はそれ以上偉そうに何か言って来る風もなく、黙って車窓の風景を眺めている。駅まではそんなに距離も無いことを思うと深刻な話をしだす状況でもないので少し助かった気がした。ふう。こんな時普通なら同期の女の子にでも電話するんだろうけど、えりこは一度も女友達に悩みを聞いてもらった事がない。だから相談を持ちかけられた事も無い。言えるとしたら吉乃さんくらいかなあ。でもこんなこと……ぶちまける勇気は無いし。そうなんだよなあ。表面上皆と仲良くなったけど、実はえりこは独りぼっちだ。えりことしては構わないんだけど、ふと周りに誰もいない自分を客観的に見てあれっと驚く。その分富田くんが1女の花音を置いてえりこについて来てしまったことに非常に戸惑う。本当に彼女大丈夫かなという心配はどこかにあったものの、花音の心配より自分が傷付いたことに気を取られてしまって、先輩として本当に情けない。えりこは落ち込んだ。
 駅に着くとえりこは家に向かって歩き始めた。依然として富田くんがついてくるので、家まで来るのかな、家の場所知られるのもどうかなと思ったが、まあいいやと開き直って、彼の方も見ずに負の感情をさらけ出してしまった。
「要するに私って人望無いんだね。自業自得かな。歌子姫も私の事友達なんて思ってなくてさ」
「ふうん」
「ふうんて……」
「歌子姫と喧嘩したの?」
「喧嘩以前の問題よ。利用するために近付いて来ただけ」
「十年来の親友のように楽しそうに踊ってたけどねー」
「それは民舞の力で……民舞人なら大抵の人とは仲良く踊れるよ」
 しかしまあ言われてみると踊ってる時は、その時だけは両思いだった。そのことは否定できない。何だか嫌になってえりこは首を横に振る。
「花音ちゃんもさ。何考えてんだかわかんないよ。お揃いのスカート作ってくれたりさ。でもそれ以前に私の事サークルから追い出そうとしたんだよ」
「へえ。本当?」
 富田くんも流石に1女がそんなことするなんて思わないんだろうな。この人いい人だから。とえりこは半分投げやりに思った。
「私変な噂立てられて、3女に吊るし上げられそうになったんだよ。皆私の言い分を信じてくれたからよかったけど」
「なるほどね。京ちゃんの口車に乗ったってのはそういうことか。1女の中でえりこちゃんを追い出そうとする動きがあって」
「うん。そう」
「だとしたら花音ちゃんも悪いと思うけどさ、」
「わかってるよ。謝ったから許せって言うんでしょ。でもそんな簡単にいかないよ。富田くんだったら許すのかもしれないけどさ」
「いや僕はわからないけど。えりこちゃんはさ、えりこちゃんらしくないなと思って」
えりこは苛立ちを覚える。
「何それ? 私らしくないって」
 富田くんは私のことなんて何も知らないじゃない、と言いかけてえりこは口をつぐむ。いや、敢えてそれを表に出さない生き方をよしとして来たのが自分だ。怒りや苛立ちを隠して何もかも許すのがえりこらしいと言えばえりこらしいのだ。本当だ。そうしようか。そんな風に考えたらふっと心の中が冷めた。同時に悲しくなった。道端に座り込んで泣きじゃくりたいような気持ちになった。そんなことしなかったけど。
 富田くんがコンビニを指さすので何となくついて入って、ぼんやり彼の買い物を見ていると、店内の温かい空気と湿度を含んだおでんの匂いで強張った体の筋肉がちょっと緩んだ。
 外に出るともうすぐ家だ。お父さんは家にいると思うけど、土曜の午後に一人で家に帰って来る寂しい姿を見られるのが少し恥ずかしい気がした。
「それじゃ、私ん家そこだから」
「うん、じゃこれ、お家で食べなよ」
 富田くんが肉まん……さっきよく見ていなかったが多分肉まんだろう。そのビニル袋をえりこの顔に押し付けて来た。
「うあっ……。ありがと」
 頬が熱くて思わず受け取ってしまった。
「えりこちゃんは多分さ、自分で思ってるより優しいと思うよ。余計なお世話かもだけど」
「え?」
「じゃね」
 えりこがぽかんと立っている間に富田くんはもと来た道を引き返して行った。

**************

 週末バイト以外は家でごろごろしてリフレッシュしたのと、うっかり富田くんのウィンドブレーカーを着たまま帰ってしまったので返さなきゃと思ったのとで、気は乗らなかったがかねてより約束していた通り月曜日の夕方府中の森公園に行くと、特にメールなどもやりとりしていなかったけれど当たり前のように富田くんが来た。まあ彼は大学のキャンパスから歩いて来られる距離だからな。でもすっぽかすのはどうしても気が引けた。
 それに、ラウンド大会は来週の月曜日。もうのんびりなんてしていられない。それだけだ。別にえりこの中で心境の変化が有ったとか気持ちの整理がついたとかいうことじゃない。ただ、寒いのは本当に苦手なので踊る時は厚着をして、首には花音にもらった白いマフラーを巻きつけた。富田くんがそういうこといちいち何か言ってくる人じゃなくて助かる。
 柔軟してジョギングして、その後ラジカセ……携帯mp3プレーヤーに携帯スピーカーを付けても音が小さすぎて野外で踊るにはあんまり役に立たないのだ。だから富田くんが持ってきたラジカセで曲をかけ、ピボットターン練およびツーステップターン練、それから1曲通して踊ったところでやっと休憩。
「えりこちゃん体力付いたよね」
 富田くんはいつものように軽く笑う。そう言われればそうかもしれない。本格的に練習を始めてから約2カ月、ジョギングを続けたことと、日々の特訓――いつものきれいにメンテナンスされたフローリングと違い、石ころと亀裂の入ったアスファルト、土埃の中で踊るのは想像以上に体力が要った。それから幅の狭い場所をハイスピードで行き来して踊るには空間把握と即時に判断してルートを作って行く力も必要だ。そういう神経を養う為に動き回った結果、随分とえりこは逞しくなったと思う。
「まー体力勝負だってことはわかったよ」
 えりこは学校から一度家に帰ってジャージに着替えて出てきているが、富田くんは学校のロッカーに荷物を置いて民舞用の黒ズボンに穿き替えて来ている。民舞では、女子はスカート、男子は黒ズボンと決まっている。男子は立ったり座ったりするので伸縮性の有る素材のもの。ジーンズは厳禁。ジャージでいいのだが上に民族衣装を着る時も有るので横に縦ラインが入っていないものがベスト。なかなか売っていないようだが。女子がスカートを穿くのは、大抵の国の民族舞踊の女子パートが、スカートを穿いている事を想定してできているからだ。
「ね、ところで大会で何着る?」
 えりこはふいに思い出した。募集要項プリントによると何でもいいことになっている。Tシャツでもいいし民族衣装でもいい。適当に部室のを借りようかなとえりこは思っていた。
「いつかの妖精コスチュームは?」
「あれスカート広がらないし回転系向きじゃないんじゃないかな。それに演劇部のだし」
「えりこちゃんの好きなのでいいよ。僕は合わせるから」
「そう?」
 えりこは少し迷った。
「皆私に合わせてくれるけど、富田くんは着たいの無いの?」
「うーん。無いなあ」
 富田くんは困ったように笑う。
「きっと花音ちゃんは……」
 言いかけてえりこはぎょっとする。何を言い出すんだ自分は! 慌てて指で自分の口を押さえる。富田くんは何も言わないが確実に彼の耳に届いてしまっただろう。花音ちゃん、あの子ならきっと自分で好きな衣装を縫うだろう。凝ったものを自分でデザインするかもしれない。基本のスカートで色をカラフルにするだけでも大分個性的な衣装になると思う。華奢な体にまっすぐな細い足。どんなスカートにするんだろう。あの子泣いてたけど……本当に反省してるのかもしれない。まだ落ち込んでるかな。
「明日例会に出てくるかなあ」
えりこが言うと、
「あー大丈夫じゃない?」
「何で? 花音ちゃんのことだよ?」
 優しい富田くんが案外彼女の心配をしていない様子なのにえりこは驚いた。まさか関心が無いとか? それにしても冷たくないか?
「いやあんまり陰で言いたくないけどさ……」
富田くんは珍しく言い辛そうに口籠もる。
「何よ、言いかけたなら言ってよ」
「うん……芯が強いと言うか……気が強いというか」
「え。花音ちゃんのこと?」
「ちょっと苦手、かも」
「えっ富田くんが?!」
 今度こそえりこは驚いた! この平和で温厚な富田くんが、人のこと苦手だなんて! しかもあの大人しい花音のこと、気が強い? 何の事だ。確かに酷いことはされたけど彼女が首謀者な訳じゃ……。そこまで考えてふとえりこは小山田君の恋文添削メールの事件を思い出した。ひょっとして、えりこが帰った後彼女、富田くんが引くような事言ったりしたんだろうか。聞くのが怖い。何だか怖い。いやそう思っている時点でもう駄目だ。花音のこと今までのようには絶対見られない。

***************

 火曜日は大野女子大体育館での例会だった。花音と顔を合わせるのが嫌で、えりこは時間ぎりぎりに更衣室に入り、開始時間になってやっと体育館フロアに駆け込んだ。3年生が例会に出て来る最後の火曜日だ。まあ土曜の福徳大での例会が本当の最後なんだけど。3年生は皆さま半分引退気分であまり厳しいことは仰らず、例会プログラムも全て2年生に任せ、ニコニコ気楽な風に踊っていた。その楽しそうな姿もまた彼らのいなくなってしまう事を表しているようで下級生達はまた寂しくなる。葵さん、吉乃さん、北野順子さん……先輩たちの顔がひときわ美しく感じられた。

 さて花音はと言えば……ちゃんと例会に出て来ていた。いつもと何一つ変わった様子がない。本当だ! 富田くんの言った通りだ。いつもの澄ました顔で、他の1女に混じって座り、皆が笑えば一緒にニコニコしているその姿をえりこは信じられない思いで眺めた。いや別に、反省して落ち込んでろなんて言わないけれど……いやいや、今自分はそうしろと言ったようなものだ。えりこが理不尽なのだ。そう自分に言い聞かせる。彼女の内心は本人にしかわからないのだから。
「えりこさん」
 洗面所で背後から声を掛けられ、その声に身構える。花音が一人立っている。えりこが黙っていると、
「あの、ごめんなさい私」
「あ、いいよもう……」
「いくら謝っても許してもらえないですよね」
「私に謝られても。謝るのは私にじゃないでしょ」
「でも私はえりこさんのこと」
「私はいいから。遊行さんに謝って、他の1女にあの噂は嘘だって伝えるのが先でしょ」
「はい」
「……」
「でも私こんなことしてもうサークルにいられません」
「えっ?」
「民舞やめようと思ってます」
「えっそんな……」
 えりこは思ってもみない言葉に戸惑った。花音がそんなこと言うなんて。だけどありえない展開ではなかった。今になってえりこは焦る。
「や、やめることはないよ。ちゃんとひとつひとつ解決していけば。皆仲間なんだし」
「私の事も仲間って思って下さるんですか?」
「うん」
 なんということだ。うんだなんて、無意識に返事をしてしまった。花音はじっとえりこの顔を見て、しばらく黙っていたがとうとう困ったように頷いた。
「私、ラウンド選手権でえりこさんとお揃いの練習用スカート着ます」
「え……」
「それじゃ」
 花音はそれだけ言うとさっとえりこの視界から消えた。えりこはどういう感情を持てばいいのかわからなくてしばらくそこに突っ立っていたが、パートタイムを始めまーすという例会担当の声が聞こえたので急いで体育館フロアに戻った。


web拍手 by FC2
第7章:「ドヴィジダネ麗しのお姉さま方」終わり

最終章:「Queen of Queens」へつづく

前に戻る

トップに戻る

written by Nanori Hikitsu 2014