ラウンドの女王編p38


吉乃さんの予想通りだった。11月の最終週に予定されていた大野女子大フォークダンス部の次期役職を決める総会が延期になった。これは前代未聞だ。この日に必ず役職の引き継ぎが終わる事になっており、そうならない事は想定していなかったので、予備の日程や場所は取っていないしこうギリギリになって延期するリスクをそのままもろにかぶってしまうことになった。つまり、3年生の引退が12月末に持ち越されたのだ。12月末って……年の瀬の学校にも人気の無くなる頃合い、それだけじゃない、会場の都合とお忙しいOG大御所K夫人のご都合とで決まった日程はなんと12月24日の午前中だった。

「クリスマスか……」
 えりこは呟く。
「24日だから前日だよ」
 富田くんは穏やかな口調でつっこんでくる。
「クリスマスイブか……」
「イブってのは前夜のことだよ。総会は午前中に終わるんでしょ」
「長引いたら夜中まで……かかり兼ねないよ……」
「まさか。大野はミサとか有るから学校追い出されるんじゃないの?」
「ミサじゃなくて……礼拝ね。ミサは……カトリック」
「そうですか……」
 スノーバードの練習は順調だ。というか、えりこと富田くんの二人は今何故かジャージ姿で府中の森公園を走っている。民舞人にあるまじき熱血トレーニングだ。たかがスノーバード1曲踊るのに走り込みまでして体力付けるなんてえりこには信じられないが、富田くんが案外うるさいので出て来ずには済まなかった。昔は知らないが今時フォークダンスを踊る前に準備体操すらする学校はそんなに無いと思う。前踊りで緩やかな曲1、2曲踊ったらそれが準備体操だ。それがこんな……。
「あーえりこちゃん体力無いんだね。大丈夫? フォークダンスは有酸素運動の持久走だよ」
「……」
「1曲だけ全力で踊る体力があってもさ。練習する体力が無きゃ問題にならないよ。それって1曲通して踊れるってだけで、それ以上上手くなれないってことでしょ」
「……」
 仰る通りだが。えりこはもう返事をする気力も無くなっていた。
 公園の木々は紅葉には少し早いがもうすっかり秋めいて、天気の悪い日も多く昨夜の雨で湿った葉っぱが朝の光に照らされるのを見ると、過ぎて行く季節の中に何かやり残したことが有ったんじゃないかという引っ掛かりを感じつつも、綺麗な物に接するうちに面倒な事はまあいいやという気持ちになってくる。公園は思ったより広くまだ一周もしていないのに広場や林や丘や噴水や、多くの景色を見て来た気がする。この1.4kmコースをあと1周だと? 自分は今同期とはいえ男子と二人で朝から何してるんだろうと変な気分になった。
 えりこがへたばってしまったのでそこで一旦ジョギングを中止にしてくれたが、丁度そこに有った鉄棒で懸垂をさせられた。富田くん、優しい顔して結構エグイ人だ。自分ができるからってか弱い女子にまで……いやしかし、富田くんが黙々とやることやってる姿を見ると文句も言い難い。
「あと十回だよ」
「む、無理です……」
「わかった。後休んでて」
 そう言って一人で、それ程屈強でもない富田くんが表情も変えずに腹筋やら背筋やら一人でしだすのでえりこも形だけでもやらない訳にはいかなかった。
 昨夜の雨のせいで芝生の上には寝転べす、石畳の上は乾いていたのでそこでうだうだ体力作りをしていたのだが、力尽きたえりこは富田くんの足を押さえてやるという名目でほとんどさぼりながら彼を見ていた。
「で、役職の話し合いは終わったの?」
「それが……指導部以外はほとんど終わってるみたいなんだけど……」
「えりこちゃんと植津ちゃんとくるみちゃんはまだ揉めてるんだ?」
「うん……ていうか相手を説得するのは難しいよ。誰かが譲るって形でしか解決できそうになくて」
「総会までに決まらなかったらどうなるの?」
「さあ……」
「いっそのこと、信任投票じゃなくて、普通に全員指導部長に立候補してさ、皆に選んでもらったら?」
「あーー」
 言われてみればそうだ。それが正しい姿なのかもしれない。去年までは慣例に倣って話し合いで決めていたけれど、話し合いで決まらないなら普通に選挙するしかない。
「それにさ」
 富田くんはえりこの方を見てうっすらと笑う。
「ラウンド大会は12月23日、総会は12月24日、植津ちゃんとの本当の対決は大会が終わってからってことになるよね」
「うん……」
 そう、そうなのだ。ラウンド大会はまさに総会の前日。
「でもそれって、逆にすごい嫌かも。ラウンド大会の結果でどっちが指導部長にふさわしいかって決まる訳じゃないのに、そういう目で見る人もいるんじゃない? あの人の方が順位が上だから……って」
「僕はそういうの好きじゃないけどねえ。実力主義の行き過ぎみたいで。でも案外えりこちゃん、そういうの好きなんじゃないのひょっとして」
 何て無責任なことを言うんだこの人は。
「何で。嫌なんだってば」
「そうかな」
「私は自信無いよ」
「その辺実際どうなんだかね」
「え?」
 えりこは戸惑う。
「えりこちゃん本当に指導部長やりたいの? 何で立候補するの? 周囲に言われてひょっとしていいかも、とか思っただけなんじゃない? 植津ちゃんと戦ってまで勝ち取りたい?」
 富田くんは少し意地が悪いとも言える質問をぶつけてくる。えりこは言葉を失った。血の気が引くような思いすらする。だがそれを自分自身に対してまで誤魔化してしまったんだろうか。その時のえりこにはわからなかったが彼女は思わず強い口調で言ってしまった。
「ううん、私、やってみたいよ、指導部長」
 言ってからしまったと思ったが、えりこは取り消さず、開き直った。心の中で。いいよ、もう、何でも。こうなったらやるしかない。ラウンド大会も指導部長立候補も。そう? と富田くんはまたいつものこちらの邪心を恥じらわせる微笑を見せ、その件についてはもう何も言わなかった。


*********************

 スノーバード。4拍子のラウンドダンス。用語が難しいし細かい事まで正確には描ききれないので適当に読み飛ばして頂くとして――男性内側女性外側のダブルサークル。女性の左手と男性の右手を繋ぎ、イントロまず8カウント待ってから、それぞれ外側にステップ、クローズで手も外に向かって開き、元の位置にステップ、クローズ、クローズドポジションに。女性は右掌を男性の伸ばした左手に重ね、左手は男性の右肩うしろへ。男性の右手は女性の左腰へ。こうして平行に向き合って組むのがクローズドポジション。そのポジションで女性右足、男性左足からステップ、クローズ、反対にステップ、クローズ。セミクローズドポジションに。クローズドポジションから両者が、女性から見て右、男性から見て左方向つまりLOD方向(進行方向)につま先を向けるのをセミクローズドポジションと言う。その状態でそれぞれ外側の足から2歩進む。ここまでがイントロ。
 Aパート。基本女性右足から、男性左足から始める。LODに向かってツーステップ2回で勢いよく進み、ALOD(逆進行方向)側に手を開くオープンバイン、クローズドポジションになりツーステップターン1回転、2歩歩いて男性の左手の下をCW(時計回り)に女性トワール(片手の下を回る)してロックリカバー……。

 この動きを澱みなく、スピーディに、しかし着実に行う。他にパーツはBパート、Cパート、エンディングパートまである。とにかく早い曲なのでもたもたしている暇は無い。エモーションはいらない。壮大なロマンスなんて無いから楽しい曲なんだ。歌詞は少しセンチメントな恋を歌っているけれど、ユキヒメドリが飛び回るように小気味よく回るフィギュアはアン・マレーの陰鬱でない、少し冷めたような洒落た声の運びとマッチしていて、爽快でえりこの肌に合う。
 繰り返し出て来るツーステップターン、ピボットターンは重点的に練習する。テンポを合わせ正確にステップしつつも決して流れを止めないように。二人の息を合わせて。これが難しい。カップルターンは足だけでなく、腕に力をかけることによって体重バランスをコントロールしてその力で回る部分も確実に有る。女子は左手でがしっと男性の右肩肩甲骨につかまり、体をうしろに反らして体重をかけ、踏み込んだ左足でぐるんと回る。伸ばした右手を腕ごとうしろへ引く形になるので手が離れないようしっかり右手を伸ばし、伸ばした手の肘を絶対曲げないようにしたまま、ちゃんと男性の左手に手を乗せておく。男性も体をうしろに反らせ、女性の背に置いた右手に体重をかける。そのバランスが男女釣り合うように調整しあう。

 この曲のテンポにしっかりついて行きつつ、男女の回転パワーのバランスを取り続けるのは結構難しい。いや形だけ行うのは簡単なのだが、息を合わせて「整った」「綺麗な」ツーステップターンを回るのには技術とカップルの相性が要る。富田くんとえりこは多分、相性は悪くない。えりこは相手の呼吸に合わせるのが得意な方だし、富田くんは変なくせの無い端正な踊りをする。あとは足を置く位置や腕への体重のかけ方といった個人技以外の綿密な調整と、それをコンスタントに行える感覚の習得だ。今二人が練習しているのは主にそういう事だ。慣れてしまえばフィギュアはそれ程難解ではない。それは非常に地味な作業で、特に二人の間にドラマが起きたりすることもなく、なかなか納得のいくようにできないイライラともどかしさが溜まる日々だった。相手が穏やかな富田くんでなければ普段余裕ぶってるえりこもやがてキレて喧嘩になっていたかもしれない。だが基本二人は平和な人間だったのでごくごく静かに練習に励んだ。府中の森公園で、大野の体育館裏で、朝は小鳥の声を聞き夕方には町内放送の帰りの曲をBGMに、野外はラウンドダンスをするには地面の条件が厳しいのだがでこぼこの全く滑ってくれない土の上を必死に駆け回り、ジョギング市民には好奇の目で見られ、子供に指さされ、野鳥には逃げられつつ、えりこはだんだん富田くんにも遠慮が無くなって来て、休憩時にジュースを奢って貰う代わりに少女漫画を貸したりするようにもなった。考えてみたら勉強で忙しい富田くんがよくこんなに時間を割いて出て来てくれた(そしてえりこの推薦を真に受けてポーの一族を読んでくれた)ものだ。
 しかしここに同じ目標と友情と仲間意識の他に余計な物は何も無い。じゃあねと別れたらその後は次の練習予定に変更でも無い限り一切メールや電話をしなかったし、休憩中にもそれ以外にも遊んだりすることは無かった。淡白だなあとえりこも思う。しかしお互い相手に踏み込み過ぎる事を嫌った。とはいえ富田くんがいつも何を考えているのか実はえりこもよく知らない。空気を読んで個人主義のえりこに合わせて接してくれていた。彼は他の同期とは普通に何でも言い合っていたし。結局、彼もえりこと同様、相手に合わせる人、なのかもしれない。しかしカップルダンスにおいて男子はリーダーの役割をする。次の動作に進むタイミングや歩幅、他のカップルとの距離を取りカップル全体の動きを決めるのは男性なのだ。リーダーは決断力と行動力を持ってぐいぐい女子をリードしなければならない。ところが富田くんの踊りは、えりこが手を止めた位置でえりこの手を受け止め、えりこが回り終わった角度でクローズドポジションを組もうとする。気を遣ってくれてるのはわかるがえりこは女性のフィギュアの性質上全体を見ている訳ではないし、次の動作へ移るのにリーダーがちゃんと機能してくれないと流れが止まったり、下手すると踊りが崩壊してしまったりするのだ。それだけ円周上を正確に進むのは難しいのだ。
「もっと強引に引っ張っていいよ? 富田くん優し過ぎるよ」
「そうかな」
「トワールして目が回って自分の向いてる方向わかんなくなっちゃう私も悪いんだけどさ、ガッて掴んで軌道に乗せてくれる方がありがたい」
「ふうん……そうなんだ。でもあんまり強引に回して乱暴に踊ってる印象になるのもどうかな」
「……私やっぱり回転遅い?」
「うーん。僕が速すぎるのかな。尺が余って持てあましてる」
「そっか……私が遅いんだ」
「遅いってことはないよ!」
 こんな感じで変な譲り合いが始まってしまう。富田くんは上手いけれど女の子だった方がもっと人とラウンド上手く踊れるんじゃないかなあ、とえりこは思った。が、まあそんなこと考えたところでどうしようもない。えりこはこういう富田くんの性質を知らなかったが多分植津は知っていてパートナーの申込みを断ったんだ。やるな植津ちゃん。
 えりこも早く回れない訳じゃないが富田くんが自分の動きに慎重になっているのと同じく、バランスを崩して流れを乱すのを嫌ってしまうのだ。要は、いかにも焦ってスピードを出しているという風には見せないように速くえりこがトワールし、遅いと思われない程度に余裕を持って富田くんがえりこを抱きとめればいい。相手に依存し過ぎるのは見苦しいのでわからないように。スノーバードはラウンドダンスの中でもテンポの速い曲なので大変だが、速く動いてもブレないよう足首の筋力を使わねばならない。以前えりこは足首が弱いからワルツよりツーステップの方が良いと言ったが、綺麗に踊る為には結局鬼門を除けて通れないということだ。


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written by Nanori Hikitsu 2013