ラウンドの女王編p37

第7章:ドヴィジダネ麗しのお姉さま方



「寂しいわね」
「ん、どうしたのよ? 吉乃」
「私たちもうすぐ引退だし」
 下級生達が皆授業に出ていて、大野女子大フォークダンス部の部室には部長の黄葵さんと指導部長の世羅吉乃さんの二人だけ。吉乃さんは次の指導部長の為の役職引き継ぎノートを作成しながら珍しく感傷的な事を口にしていた。引き継ぎノートはサークル内の仕事をこと細かにメモして、次期指導部長が決まった時に渡すのだ。数枚の紙に大事なことだけ書けば済むのだが真面目な吉乃さんは後輩が困難に陥った時の助けになればと、具体的な指導運営の他、自分が上級生から教わったこと、役職に就いてから起こったトラブルとその対処について、等思いつく事全てを1冊のノートに記しておくことにしたのだ。
「あなたよくやったわ。思い残すことなんて無いんじゃない?」
「ありがと」
 吉乃さんは笑ったが、その瞳の奥の不安を葵さんはすぐに読み取った。
「ね、吉乃」
 葵さんは緑色のペンで非公式部室ノートに変な動物のイラストをこまこま描いていた手を止め、身を乗り出した。
「遊行のこと心配してるんじゃない?」
「えっ?」
 吉乃さんがペンを止める。動揺したのは明らかだ。
「何? いきなり」
 吉乃さんは笑って見せたが葵さんは指を耳の後ろに当てて探るような目をしている。
「あら本当はその話じゃないの? 最近様子がおかしいから気になってた。あなたあたし達に何も言わないからこれといって確信は持てなかったんだけど」
「それは……別に何も無いわよ」
「そう? 順子も気にしてたし」
「北野順子が? 何て?」
「後輩の子がね、遊行に気が有るんじゃないかって」
「ちょっと。またそんな話? 夏合宿の時のことは……」
「ええ、もちろん、誤解、だったわね。あれは確実に。でも度重なるとさ。流石に気になるんじゃないかなって。本当はそういうことですぐ弱気になっちゃうんでしょ。あなたのような美人がさ。ううん、遊行は美人だからって吉乃を好きになったんじゃないでしょうよ。そんな理由だったら大野美人の子アンケートで1位の子から売れてくわよね。私あなたがあんなアンケートちっとも気にしてないってわかってるから言うのよ。彼はちゃんとあなたの良い所わかってる」
「う、うん……」
「デリケートなこと口出ししてごめんなさいね。でも、自信持ってよ」
「ありがとう、葵」
 吉乃さんはやっと少し笑った。


*************

 授業が終わってえりこが部室に行くと、葵さんと吉乃さんが書き物をしながら何かしゃべっていた。こんにちはと入って行くと二人はにこやかに迎え入れてくれる。
 えりこは最近3年生に会うたびに切ない思いをする。全く会えなくなる訳ではないのだけれど、11月末の最終例会を境に遠い存在になってしまうことは間違いなかった。
「えりこちゃん吉乃の隣にいらっしゃいよ」
 葵さんが吉乃さんの隣の荷物をどかしてくれたのでえりこはそこへ入り込んだ。
「えりこちゃん、欲しい民族衣装有る? あげようか?」
吉乃さんはとっても優しい目でえりこに尋ねた。
「あ……吉乃さんの青いサラファン、もう誰かに譲る約束しちゃいました?」
「ううん。あれまだよ」
「あ、でも吉乃さんあれ似合ってたから持っておきたいですよね……」
「ううん。えりこちゃんが着てくれたら私嬉しいなあと思ってたの」
 吉乃さんはにっこり笑う。サラファンはロシアの民族衣装で、ジャンパースカート状になっていて白いブラウスの上に着る。金ブレードで模様の描いてある華やかなスカートだ。現地ロシアでは床に届く程長い丈だが、民舞では踊り易さを優先して膝丈にし、ウェストに紐を巻く。華やかでステージ映えする衣装だし、大野女子でも人気が高い。ハンガリーのような布を一杯使ったギャザースカートではなく、くるくる回転すると直線的なラインを描いて勢い余って裾が腿に叩きつけられるような、そんなスカートがロシア的だと思う。
「もうあれ着る機会も残り少ないわね」
「吉乃ったらここんとこすっかりセンチメンタルよね」
 そう言いながら葵さんはカチッと音を立てペンに蓋をした。
 珍しいな。吉乃さんはいつもすごく落ち着いているのに、今日は何だか感傷的だ。えりこは少し戸惑う。
「それよりえりこちゃん、これ見た?」
「緑のタヌキですか?」
「これは猫よ、猫。そうじゃなくてこっち」
 部室の机の上にはサークル全体の連絡やお知らせ用公式部室ノートの他に、各学年別に雑談、お絵かき用非公式ノートが有る。その1女用が「1女ノート」だ。書くのはほとんど1女だが別に誰が見ても構わないし、1女に伝えたい事が有る時他の学年の人が書き込んだりもする。ネットの発達した昨今ではあるがこういうアナログはアナログで使える場合も有る。
 葵さんは1女ノートに、部長からのお願い、中身の残った缶ジュースは処分して帰ってね☆という尤もなメッセージとイラストを書き込んでいたらしいが、その前のページに、明るい可愛い1女の落書きとは毛色の違うものがさり気なく混じって一行記されていた。

うらみてぞ寄るあおやぎの愛しきにいとど寄らせむ篠の深山を

 なんだこれ。恨み? 誰かの悪口?
「ねえ、相聞歌みたいじゃない?」
「何ですか、それ」
「ラブレターみたいなもの」
「ラブレターって……」
 これは1女ノートだ。ということは1女が書いたもの。そして普通考えたら1女に宛てたもの。女の子同士でラブレター? えりこは戸惑う。
「言われてみれば五・七・五・七・七みたいにはなってるけど……」
 吉乃さんも覗き込んできた。横書きノートに女子大生の筆跡で一行書いてある分には一見和歌に見えないが、どうやら短歌らしい。さりげなさすぎて他の1女にもスルーされている様子だ。
「これ、誰が?」
 そうなのだ。記名が無い。えりこには単なる覚え書きにしか見えないがラブレターというんなら相手がいるハズだろう。しかし宛名も無いので誰が誰に宛てて書いたのか、いやそれどころかえりこにはさっぱり意味がわからない。
「あの、私古文はあんまり……」
 えりこが正直にそう言うと、葵さんが適当に解説してくれた。
「創作っぽいわね。古典に似せてるけど。何か憎くて近付いたけど近付いてみたら好きになっちゃってますます近付いちゃうみたいな、ねえ? 吉乃」
「うん……私もそういうことだと思うけど……」
 そう言って3女の二人はえりこの顔を見て、
「まさか、ね?」
「あら、わからないわよ」
 二人は今度は顔を見合わせている。
「ど、どうしたんですか?」
「葵、あんまり引っかき回さない方が……」
「うーん。そうねえ。部室公式ノートに書いたならともかく、上手くぼかした手記をあんまり上級生の見ない1女ノートに書いてるんだしねえ」
 その時部室に人が入って来たので三人は慌てて1女ノートを閉じた。


 しずしず、という感じでいきなり現れたのは3年生の副部長にして指導部員、春香さんだった。おっとりとして淑やかで、大声を出したり人の悪口を言ったりしない美徳の持ち主のようだが、少々気の弱い人で、今も悲しそうな顔をしているから何か有ったんだろう。しかしこの方の場合悲しい顔をしているからといって単に悲しいことが有ったとは限らないから油断できない。悲しそうな顔で、部室の前に誰かが自転車を停めててその籠に鳥がとまっていたの、というオチのよくわからない話をし出すことだって有るし、全く同じ悲しそうな顔で、妹が補導されたから警察行って来るとか言い出して人々を仰天させたことだって有る。今度は何だろうとえりこは身構えた。
「葵、大変なの」
「どうしたのよ、春香。まあ座ったら」
「ダブルブッキングだったの」
「何が?」
 春香さんはぽろぽろと涙を流した。えりこは慌てるが葵さんと吉乃さんはもう慣れっこなんだろう。落ち着いたものだ。
「十一月三十日の総会よ。うちが取ったはずの小講堂が大学の対外説明会で既に取られてたんだって。申し訳ないけど大学行事はずらせないから、譲れって」
「なんですって」
 流石の葵さんもこの知らせに顔を曇らせた。
「もうOGにも連絡してるのよ? 春香、今日この後まとまった時間空いてる?」
「3限まで授業有るけどその後なら」
「財務のすみれと連絡取ってみる。弘樹にも先に言っといた方がいいわね。場合によってはサークル運営にも影響有るかも。春香、OBOG名簿出して」
「ええ、念の為学生課に今日確認してみてよかったけど……」
 葵さんはしゃべりながら既に荷物を片づけていて、携帯を耳にあてて歩き出していた。えりこが状況を把握できない状態のまま二人は部室を出て行ってしまった。
「どうしたんでしょうね」
 静かになった部室にはえりこと吉乃さんが取り残されていた。
「小講堂が取れないとなると……総会は延期かも」
総会というのは次期役職を決める立会演説会と投票をする一大イベントだ。
「え? どうしてですか? 別の部屋でやれば……」
「昔から絶対小講堂って決まってるらしいのよ。2年生が演説をするのにステージは必要だし……OBOGは毎年50人くらいいらっしゃるでしょ。現役は21人プラス、福徳の人も多少来るから、普通の教室だとちょっと……」
「50人もいらっしゃるんですか……?!」
 あっ……と吉乃さんは口元を押さえる。
「そうだった。えりこちゃん1年の時総会に来てなかったのね。えりこちゃん、スーツ持ってる?」
「スーツ……持ってないですけど?」
「1年生は何でもいいんだけど、2年生以上は出席者は全員華美でない礼装、ってことになってるのよ」
 えりこはなんじゃそらと大声を出しそうになるが、吉乃さんの申し訳なさそうな顔を見て黙った。いや別に吉乃さんは何も悪くない。
「ごめんなさいね、皆わかってるものと思い込んでて。前もって言っておかないと用意できないよね。入学式の時の服とか、何か有る?」
「キチンとした感じのワンピースだったんですけど……」
「ああ、それならいいと思うわ」
「薄ピンクですっごく春らしいんですけど……」
「ん……まあいいんじゃないかな。形だけが大事だから。コサージュは無しで、髪は一つにして地味なシュシュでも付けて」
 形だけが大事、か。さすが歴史と伝統の大野女子。昔は紋付でも着てたんだろうか。
 それにしてもこの総会というのが単なる立会演説会じゃないことがわかった。ただでさえ怖いOBOGが50人も集まる前でアラ探しされると思うと既にえりこは気が滅入っていた。嫌だ。やめたい……。このまま中止にならないかな。えりこはそんなことを考えてしまった。だってまだ指導部希望の人達の話し合いが終わらないし……。


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written by Nanori Hikitsu 2013