ラウンドの女王編p36




 オパスはブルガリアのドボルジャ地方の民族舞踊だ。ドボルジャは重心を落として地面をずしずし踏みつけるように踊る。踊っている本人達は結構気持ちよくずしずししてしまうが、この大勢によるスタンプ(踏みつけること)の重低音は建物全体を揺るがす程の騒音で、他団体からは評判が悪い。このように少し膝を曲げて腰の位置を低くし足裏全体を使って強く地面を踏みつけるのは本来男性の動作だ。ドボルジャの女子はショップ地方のように跳ねまわりはしないがもっとゆったりと軽やかに動く。オパスは大抵の大学で女子も一緒に踊っているがあくまで男性舞踊なので大野女子大生はコールを受けないし、生真面目な3年生女子や指導部員はよそのパーティのような自由な場であっても、人前で踊ったりなさらない。実際途中しゃがみ込む「ダウン」という動きが有るのでスカート姿の女子が混じるのはちょっとはしたないとも言えるが、えりこ達2女には別に憚られるという程の意識も無いので、男性曲好きの子は踊りに出て行っていた。普段習わない曲を踊ってみたい女子も時々いて、頑張って勇壮にスタンプしている。指導部志望の植津は……多分踊れるのに床に座って見ていた。

トントントントントントントントン……
 単調なリズムで地面に張り付いたようなステップをするのでこの曲に限ってはあまり無いことのようにも思われるが、女子は背が低いから隣の人のベルトをがしっと掴んで並ぶベルトホールドをとると、身長差でベルトを上下に引っ張られる。そのせいか、チェーン(踊りの列)に繋がっている女子の一人が自分のベルトの背中側に引っ掛けていたハンドタオルを落とした。ブルガリアのチェーンダンスは服の上に各自ベルトを巻いて、隣の人のベルトを掴み合って繋がる。男子や一部の女子がそのベルトにタオルを引っ掛けて踊ることが有る。それは単に邪魔だから。
 その女子が落としたのは小さなハンドタオルなので女子がたまに振り回したりなどして踊りに使うチーフ代わりにもなるのだろう、ピンク地に赤や緑の花模様の入った可愛らしいものだった。
 こういう落下物は踊っている本人や移動してきた他人が踏むと汚れるだけでなく踏んだ人が滑ったり躓いたりして危ないので、近くで見ている人がすぐ駆け寄って拾い、曲が終わるまで持っているか、踊りのチェーンが下がって来ない距離に置いておくかするのが慣わしだ。たまたまえりこはタオルを落とした女子のすぐ近くにいたので、駆け寄って拾いその女子を見失わないように確認した。ハンガリーの黒いスカートの子。トランシルバニア地方の衣装かな。トランシルバニアはルーマニアだけどあそこにいる民族はハンガリーなのだ。どこの大学の子かはわからない。姿勢が綺麗で少々大袈裟なくらい機敏に動いていた。伸ばしていた脚をきゅっと縮めるように体に弾きつけ、高い位置からスタンスタンとスタンプする。
 一応スタンプというのをもう少し説明しておくと、定義としては片足で強く踏みつけることで、「体重を移動してあずけるスタンプ」と、「体重を移動しないスタンプ」の二種類が有る。大抵後者で、その違いは「銀行印」と「シャチハタ」。「銀行印」はスタンプすると同時に反対の足を宙に浮かして、スタンプした足に全体重を移動してしまう。印鑑がしっかり押せるように両手を使ってぐりぐりしてしまうあのイメージだ。対して「シャチハタ」は片手でポン、のイメージ。スタンプした足でポンと地面を踏んだ直後そのままその足を宙に浮かす。つまり反対足は地面から離れないままだ。
 トランシルバニアの彼女は正しくシャチハタをしているのだけれど、テンポが先走る程に機敏に動いていて、ああ、この子自己顕示欲の強い子なんだろうかと、えりこは好き勝手な想像をしてしまった。いやもちろん踊りをよく憶えていて上手い子なんだけど。チェーンが横移動するのになんとなく従ってえりこもついていった。

 オパスが終わって、トランシルバニアが行ってしまおうとするのを追いかけ、声をかけた。まあ落し物はよくあることなので別に気負う必要も無い。しかし。
「あらありがとうございます。えりこさん」
「え?」
 いきなり知らない人に名前を呼ばれると訳がわからなくなるものだ。最近よく有るな。確かにえりこの知らない人だと思うんだけど。
「大野女子のえりこさんでしょ」
「はあ……すみません、あの」
 正直に誰かわからないことを言っていいものか迷っていると、
「はじめまして、かも? 私、板橋女子家政大2年のカナリアです」
 全日の人だった。全日というのは全日本学生フォークダンス連盟のことだが、板橋女子家政の民舞は神田学院の男子と一緒に活動している全日加盟校、という意味でえりこは全日の人、と思ったのだ。
 どうもえりこが付き合っているフリー校(全日非加盟校)の人達と踊りが違い過ぎると思った。普段フリー校のパーティに全日の人はあまり来ないし、えりこも全日のパーティに行った事は無い。仲が悪い訳ではないがやってる踊りも踊り方も違い過ぎて、たまに行き来してもお互い疎外感を覚えるので自然に交流が無くなってしまったとも聞く。えりこも詳しいことはよくわからないけれど、そうやって離れる程に踊りも変わって行くんだろうなあと思う。とまあえりこは全日の方に反応してびびってしまったが、もう一つここで説明が要りそうなのは「カナリア」だろう。これはどう考えても本名ではなく「民舞名」だ。一旦名づけられると日本中の民舞で通用するニックネームとなり、○○大のカナリア、などと言えば本名を知らなくともよく、あああの時あんな事やらかした人、とすぐわかって貰える符号となる。どちらかというと悪名の方が早く全国に広まる。名付け方は馬鹿馬鹿しい程単純で真相を知ろうとする必要すらないことがほとんどだ。彼女もおおかたしずかちゃんというのが本名だとかいうだけで(ドラえもんのしずかちゃんは原作でカナリアを飼っていてよく逃げたのを追いかけている)、意味の有ることはほとんど無い。まあニックネームなんてそんなもんだろう。しかし初対面で民舞名で名乗って来るというからには民舞では有名人だということだ。えりこは知らないけど。

「どうして私のこと?」
「最近噂にラウンド選手権に出る人達の名前が挙がってるのよ。華栄の歌子姫、京都マドンナ女子大の 等々力万里 ( マリ・トドロキ ) 、東北女子学院のびわ、筑前女学園のカンガルーポー、私が目を付けてるのはこの人達」
「……女の子ばっかり……」
 ふと思った事を口にしてしまった。カナリアはふと不機嫌そうな顔をして、
「女のライバルは女、ってね。当然でしょ」
 タオルハンカチをくるくる振り回し始めた。
「今日えりこさんも入れさせて貰った」
「私? なんで?」
「私最初、あなたがタミーを踊ってる時T大O女の人かと思ったのよ。手の上げ下げが一緒に組んでたT大の人と同じだったから。でも、コハノチカを千葉工科大の人と踊ったら、手の広げ方や向きが千葉工科大と全く一緒だった。あなたわざとやってるでしょ。ちょっといらっとした」
 えりこはびっくりした。そんなこと強く意識したことなど無かったのだ。多少人に合わせる努力はしているけれど。
「そんなこと私……」
 いらっとしたなんて言われて非常に居心地が悪いが言いたい事はわかる気がする。この人負けず嫌いなんだ。
「で千葉工の人に聞いたら、あなたのこと教えてくれて。ラウンド大会に出るって」
「ふうん……」
 カナリアは肩をすくめて首を振り、またタオルを回す。
「ラウンド大会、あんまり人気無いのよ。こんなコンテストみたいなの、嫌だって。うちの大学でも私と神田の相方しか出ないわ。そりゃそうよね、フォークダンスだもん。競技が好きなダンサーは最初から競技ダンスに行ってるわ」
「あー……それは私も思ったけど……」
 えりこは腕を組む。
「でもうちの後輩がね、他の人の踊りを皆でじっくり見て、盛り上がって、一番素敵なあの人に大賞を、って言い合うのもフォークダンスの一つの在り方なんじゃないかって言うから、私もそうかもしれないなって」
「あら」
 カナリアはタオルを回す手を止める。
「面白いこと言うのね、その子。その子も出るの?」
「ううん。その子の同期は出るけど」
「何で? 当日都合悪いの? そんなこと言うなら出ればいいのに」
 そう言われてみればそうだ。名言に惑わされて納得してしまったけどもしかして京は適当な事を言ってえりこをその気にさせただけなんじゃあないか。あんな出たがりのこれまた負けず嫌いそうな子が何で自分で出ずに花音を引っ張り出したんだろう。何か別に目的があったのだとしたらえらい策士だな……気が付かなかったえりこもえりこだ。じゃ一体何が目的だというんだ……。考え込んでしまったえりこの顔をカナリアは覗き込む。
「で、何踊るの? ワルツ? ツーステップ? チャチャチャ? タンゴかしら?」
「は? あの……」
「さっき見つめ合う恋踊るの見てたけど、もしかしてあれ?」
「えっと、その……」
 カナリアはぐいぐいとえりこにくっついてきて爛々と目を光らせていた。
「いいじゃない、教えてよ。えりこさんあれすっごく上手だった。コーラーなんじゃないの? そんな雰囲気だった。もう練習してるんでしょ? やっぱり指導部と組むのかしら? 衣装は何着るの。ねえねえ、えりこさーん」
「カナリアー!!」
 いきなり鋭い声が飛んできてえりこは飛び上がった。いやえりこだけじゃない。近くにいた人達皆驚いて振り返って見ている。
「えりこさん困ってるじゃない! しつこくするんじゃないわよっ!」
 なんと、いつの間にか体育館の向こう側からこっちへ移動してきた歌子姫がそこに立っていた。両手で青地に白いうずまき模様のついたスカートの腿辺りをぎゅーと掴んでいる。大きな目はちょっとだけ見開かれて血走っている。こ、怖い。えりこは動揺したが、そんな歌子姫の子供っぽい素振りをせせら笑うかのように細く描いた眉を上げるとカナリアは手で口を押さえ、ため息を吐いた。
「何だ、歌子姫じゃない。相変わらず不躾な人ね」
「私が不躾ならあなたは下品よ! 嫌がってる人に根掘り葉掘り」
「人の会話に割り込んで来ないで下さる? 私はえりこさんと話してるの」
「えりこさんは嫌がってるでしょ? あんたのような狡い人に近寄って欲しくないわ!」
「あらまあ親友面しちゃって、あなたまた、しつこくし過ぎて逃げられちゃったクチじゃあないのー?」
 ちょっとカナリア、それは酷いんじゃないの? とえりこは口を出しそうになったが、今の歌子姫との微妙な関係を思い出して何も言えなくなった。歌子姫も一瞬黙ったが真っ赤な顔でづかづかとカナリアに近寄る。(手を出しちゃ駄目よ、歌子さん!)とえりこが心で叫んでいると(情けない)、
「はいはい、ごめんなさいねカナリア。歌子姫ほら」
 突然現れたその人は救世主のようだ。らんさんが歌子姫をごく自然な感じで自分の方へ抱き寄せる。パニエで膨らませた花柄のスカートに抱擁されるように、歌子姫の細い体が一瞬隠れた。
「次これが終わったら歌子姫の好きなアルバンスカ・スバドベナ・イグラ(Albanska Svadbena Igra、アルバニア)よ」
この修羅場をものともせず静かに微笑んでいるらんさんに、一同言葉を失った。
「らん……」
 歌子姫が泣きそうな顔でその名を呼ぶのを聞いて、えりこははっとする。たった今えりこを守ってくれようとした歌子姫だけど、彼女が好きなのはらんさん。別にこんなことしてくれなくてもえりこは一人でカナリアから逃げることはできた。冷たいえりこは余計なお世話とすら思いかけたのに……らんさんが出てきたら急に彼女の事が惜しくなってしまったか。自分の浅ましさに思わずえりこは唇を噛む。最低だ。
 そう、最低。ずっと彼女の事を考えないようにして、花音にちょっとお姉さんっぽいことしてみたりなんかして、平気な顔をしてた。そのくせえりこはいつだって歌子姫が気にかかっていた。恋なんて感情えりこにはさっぱりわからない。しかしこれが何と名の付く思いなのかなんて本来どうでもよいはずだ。近付かれれば鬱陶しく離れて行けば気がかりで、こんな歪んだものが、少女的な、純粋な精神だとは言いたくないけれど何かしら愛情のようなものをえりこは彼女に抱いてはいまいか。そんな事実すらぞんざいにして歌子姫を守ってやれず、泣かせてしまった自分は本当に最低だ。
 そしてらんさんの、彼女だって恋人のいる微妙な立場なのに何の迷いも無く友達を助けに来て、にこにこ踊りに誘う大胆さ。それもさりげなくやってのける。えりこにはできない。
「ああ、蘭まで出て来られちゃしょうがないわね。退散するわ。それじゃね、えりこさん。うちのパーティ2週間後だから、気が向いたら来て」
 それだけ言うとカナリアはとっとと行ってしまった。引き際が潔いんでえりこは戸惑ったが、自分も大野の皆がいる所へ戻った方がいいと気付いてちらと歌子姫の方を見る。らんさんが彼女の手と肘に手を置いて二人で踊りの輪を見ていた。その姿が美しい姉妹みたいでえりこは少し胸が苦しくなる。ああ自分は誰かの特別な存在には絶対になれなくて。誰かを特別な存在にすることもできなくて。結局何者でもない。――急に孤独を感じた。


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第6章:「ライバルたちのパーティシーズン」終わり


第7章:「ドヴィジダネ麗しのお姉さま方」へつづく

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written by Nanori Hikitsu 2013