ラウンドの女王編p31

第6章:ライバル達のパーティシーズン


東京に戻って三日目。そろそろ学校が始まるので気ぜわしかったのと、合宿中休んだ分のバイトのシフトが詰まっていたのとで、えりこは合宿の余韻に浸っている暇も無かった。そんな中残暑見舞いが届いた。いや、残暑見舞いとは書いていないが本文がよそよそしく、まだまだ暑い日が続きますがご自愛下さいますようと締めくくられている一葉。差出人は相川歌子さん。他の人の目にも入る葉書なので自分の住所や電話番号、メールアドレスなどの情報を一切書かなかったのかもしれないが、えりこは彼女の連絡先を知らないのでその辺ちゃんと書いておいてくれないと返事のしようが無い。肝心の要件はというと、九月十八日、午後一時に吉祥寺ブックスルーエの前に来て下さいますようお願い申し上げます。来て下さるまでお待ちしております。
 ちょっと待ってよ。明日じゃないか。ええとバイトは! 午後五時からだ。時間的には何とかなるかな。でもえりこの都合が悪ければどうするつもりだったのだろう。来て下さるまでお待ちしております。えりこはぞくりとした。ひょっとしたら何時間でも何日でも待ってるつもりなのかもしれない。えりこは急いで合同例会名簿を引っ張り出した。これは毎年作っている関東フリー校(全日本学生フォークダンス連盟非加盟校)の民舞人の学校別名簿だ。えりこの住所はここに載せているからそれを見て彼女は葉書を出したのだろう。華栄女子短大のページを見ると、名前は全員分載っているのだが、住所や電話番号やメールアドレスは代表者の部長さんしか載せていない。それも学校の寮みたい。部員に用が有る人は部長に連絡したらその用件によっては取り次いで向こうから連絡をよこしてくれると思うけれど……。春木氏によると歌子姫は華栄の部長と大喧嘩しているんだそうだ。こんなプライベートな用事で彼女に連絡取ってくれなんて……非常にお願いしづらい。それに寮に電話しても今夏休みで、帰省していていないかもしれないし、部長の森さんのメールアドレスもac.jpの学校ドメイン。うーむ。け、携帯に転送してたり、するかな?
 なんてえりこはあれこれ考えてじたばたしていたが、とうとう合同例会名簿を閉じた。観念しよう。会うのを断る理由は無い。
 何の用が有るのか知らないが、普通ーに友人として再会して、話聞いて、じゃバイトが有るんでって帰って来ればいい。そう決めてお風呂へ入って布団に潜り込んだが、落ち着かなくて電気を点けタンスを漁り普段学校に行く時に着るカットソーを引っ張り出したり吊るしてあるスカートにあてがってみたりし始めてしまった。いや別に今更彼女とお友達を再開するつもりでもないが、彼女を責めたい気持ちが有る訳でもなく、こんなことが有っても女同士ならまた気遣い合って普通ーに仲良く接することだってできるんだと証明してみせたく思ったのだ。誰にということも無いけれども。
 歌子姫にとってえりこは駆け引きの道具でしかなくて。らんさんという人が嫉妬して割って入って来るのを歌子姫は期待したのだ。彼女は多分すごく「レベルの高い」素敵な人なんだろう。そんな人達に対抗する程えりこはずうずうしくないつもりだ。だけど歌子さんと手を取り合った時えりこはとても素敵な時間を過ごした。その時間は本物だった。それに関しては民舞人として卑下したくない。
 何か変な雰囲気で別れてそれきりになってしまったけれど、明日は自分が上手く振舞って、これからもよろしくね、と言って帰って来られるよう頑張ろう、とえりこは決めた。


 約束の場所――本屋はすぐにわかった。吉祥寺には時々来ていたし。お金が無いからショッピングなんてほとんどしたことがないけど。時間は12時20分。四十分も早く来てしまった。最初本屋の外の雑誌コーナーをうろうろ見ていたが、いつ彼女が来るかと思うと落ち着かなくて雑誌に背を向け、他のお客さんの邪魔にならないよう人が来る度にじりじり移動して……って、何で本屋なんかの前で待ち合わせなんだろう。もし片方が早く着いたら本を見ていられるように、という配慮なんだろうか。駅の方を向いて立っていると、アーケードになっている通りの斜向かいに女の子の靴下や下着を売っている店が見える。さっきから気になっているのはその靴下やさんの外にぼーっと突っ立っているマネキン人形だ。鼻や口元が少し禿げている。もう何年も前からあそこに有ったと思うから大分古いんだろう。薄い色のストレートの金髪を背中に垂らし、側面の髪がぼさっと乱れている。そして血色の悪い顔でごく僅かに微笑んでいる。更に店の商品らしき寝間着姿で路上の風にさらされている姿。えりこは彼女を「夢遊病の女」と名付けた。いやまさにそんな感じだ。アーケードを若者たちが元気に通り過ぎてゆく中、時間の中にぽつんと取り残されたかのように彼女はぼおっと立っていた。

「四宮えりこさん?」
 突然声をかけられてえりこは飛び上がった。慌てて振り向くと、えりこと同じ年頃の女の子が立っていて、こちらに会釈してきた。
「ごめんなさい、四宮えりこさんですよね? 私、華栄女子短大2年の橘蘭子って言います」
「え?! らんさん?」
 えりこは驚いた。この子、歌子姫が好きなあの指導副のらんさんだ、多分。でも何で? どうしてここへ? 何でえりこのことがわかったのか。
「突然声かけてすみません。歌子姫を待ってるんですよね。彼女いつも大体時間ぴったりに現れるから……早く来ちゃったならどこかに行ってても大丈夫ですよ」
 歌子姫の事をよくわかっているような口調で、大人びた笑顔を見せて言うその人は、少し想像と違った。これがらんさん。歌子姫のような華の有る正統派美人じゃなくて……いや、きれいな人だ。でも割と素朴な、額にニキビも有る、暗い感じなんだけどでもどこか優しい空気を身にまとった人だ。黒髪を肩で切り揃え、アイロンをかけた半袖の白いブラウスに黒いプリーツスカートという姿は、下手すると思想が有ってやっているスタイルにも見えそうだが、化粧もしない、アクセサリーも付けない、髪飾りもしないことでとてもナチュラルな大学生に見えて好印象だった。うん、ジーンズで大学に行く女の子よりプリーツスカートはむしろナチュラルに見える。しかし――
「あの、どうして私のこと。歌子さん何か言ってたんですか、私と何時にどこで会うとか」
 えりこが思わず聞くと、らんさんは手を振った。
「華栄の子は皆あなたのこと知ってると思う――パーティとかでよく見かけるし。名前知らなくても多分踊りは皆知ってますよ。ラウンド上手いけど三拍子より四拍子が得意。パ・デ・バスクどの国でも妙に高く飛ぶ人。マケドニアで膝を曲げないで伸ばしたままリフトしちゃう人」
「ええええーーー?!」
「余計なお世話だと思うけど多分あなた知らないでやってるから。マケドニアの女子はね、男みたいに足を高く上げないっていうのはあってるけど、もっと低くていい。そして膝は曲げて足を持ち上げるのよ。低い位置でね。だってほら、マケドニアの民族衣装のスカートは細い筒状でしょ。小またにしか歩けないし、あんなに足ピンと伸ばして開けない。膝も高く上がらない。地面すれすれでいいの。女の子らしくね」
 らんさんは大袈裟に笑うんでなくちょっと口の端を上げる。えりこは驚きで目を見開いたままだ。この人、本当にえりこの踊りを知ってるんだ。そして指摘されたことは多分正しい。民族衣装の構造まで知らなきゃこんなこと言えないし。
「歌子姫があなたに目を付けたの、わかる。地味に上手いから気になっちゃう」
「じ、地味に上手い?」
「外国人講師の講習会、行ってみたら。あなたもっと上手くなると思う」
 えりこは圧倒されて何と返事をしたらいいかわからなかった。何だろうこの人。初めて会ったのにほとんど自己紹介も無くこんなことずけずけ言われてえりこは非常に戸惑ったが、一方でこれがらんさんという人だと思い知らされて、民舞人としての資質やら度胸やら、器の違いを実感した。この人には敵わない気がする。直感でそう思った。
「ああ待ち合わせのことはね」
 らんさんは軽く髪をかきあげて首を傾げる。
「合宿から帰ってすぐ学校で歌子姫と会ったんだけど、葉書を投函しながら珍しくそわそわしてて、ああ、合宿中えりこさんを怒らせちゃったって言ってたから、謝罪するんじゃないかなって……あの子ああ見えて案外素直なところも有るんですよ。しばらく様子がおかしかったもの。えりこさんが酷く怒ってると思ってよっぽど動揺してるんだわ。私、歌子姫に呼び出される時はいつもこの場所だったの。水曜日、ブックスルーエの前に、1時。近くにあの子の好きな喫茶店があるから、ね。私家が吉祥寺だから、買い物がてらえりこさん来てくれるかどうか、見に来ちゃった。私もいい加減人のことに首を突っ込み過ぎですね」
彼女はそう言って笑った。
「あのう、私は別に怒ってなんか……」
えりこはそわそわしながら言った。
「歌子さんが蘭子さんを好きなのはしょうがないし、蘭子さんよかったら一緒に会って下さい。私に構わずお二人で仲良くされたらいいんじゃないですか?」
「あ、やっぱり怒ってる」
らんさんは口に手を当ててまじまじとえりこを見た。口元は笑ってるようだ。
「いえだから別に……!」
「米倉さんをね、怒らせちゃうから」
らんさんは目を細める。よ、米倉さん?
「S大の部長さん。嫉妬深いお姉さまで、ちょっと困っちゃう」
えりこはかっと頭に血がのぼった。ら、らんさんと付き合ってるS大3年のお姉さまだ! 動揺しながらも、言うべきことは言っておかねばと思ってえりこは口を開いた。
「あっあのっ。歌子さんのこと、好きでもないのにこんな、待ち合わせ場所に来たりなんかして、でもやっぱり蘭子さんが一番大事なのはS大の部長さんで、こんなの歌子さん可哀相です」
えりこがやっとのことで言うと、らんさんは腕を組んで興味深そうにえりこを見た。
「そうねえ」
 らんさんは太めの眉をちょっと上げて、それからロシアンペザントダンスで男性ソロの間待っている女性のポーズのように、片手で反対の腕の肘を抱えその手の人差し指を顎の先に付けた。
「私は歌子姫が好きよ。えりこさんもでしょ」
「好きって……私は友達として」
「私もよ」
「……」
「友達が大事な人と喧嘩して、心配するのは当然でしょう」
「でも歌子さんは蘭子さんのこと、友達以上に思ってるんじゃ……」
「あの子はそういうんじゃないの。ちょっと男性恐怖症気味なだけ」
「なだけって」
「恋愛対象が女なわけじゃなくて、男に免疫が無いから怖がってるの。優しくしてくれる女の方が付き合い易いってだけよ。歌子姫のような小学校から短大まで女子校って女にとっては」
 ……小学校から短大まで?! そ、そうだったのか。
「ま、嫌な女も大勢いるけど。でもちょっとくらい女に優しくしてもらったことが有るわけでしょ。だけど男には優しくされた記憶より、酷いことされた記憶の方が圧倒的に多いわけよ。まあ皆が皆歌子姫のように感じてるわけじゃないでしょうけど、あんな綺麗な子でもよ、近付く男は痴漢かひったくりか盗撮魔、あとは暴言吐く変質者くらいだったって、泣いて口惜しがってた」
 えりこはちょっと胸が痛くなった。痴漢かひったくりか……えりこにも覚えはあるが、歌子姫は見た目が細くて背が低くて弱そうだから、綺麗かどうかは関係無くそういう卑劣な犯罪者に狙われ易いのだ。もしかしてそれであんなに周囲に対して攻撃的で、敵ばかり作ってしまうんだろうか。弱く見られたくなくて虚勢を張ってるんだろうか。えりこは少し彼女の事を勘違いしていたのかもしれない。
「でも短大でサークルに入ってからは普通の男と接するチャンスも増えたし、多分、歌子姫のヒスにめげない優しい男が現れたら、あの子恋だってすると思うわ。これまで彼女と接してきた感じでは、あの子十分男好きよ」
「お、男好き?!」
 えりこは考え込んでしまった。お、男好きだなんて。まあ普通の女の子だっていうことのらんさんなりの表現なのかな。そういうことなら、なんとなく説得力が有るように感じた。
「私があなた達のことにあれこれ口出すべきではないけど、私と歌子姫のこと誤解はして欲しくなかったの。それじゃ、ね、またパーティか何かで会いましょう」
「ら、蘭子さん、あの」
 聞きたい事があまりにもたくさん有り過ぎて、らんさんを呼び止めてみたもののえりこは何と言っていいかわからなかった。そのままもじもじしているとらんさんは笑って、小さな鞄を体の側面にぴたっとくっつけるようにきをつけをし、丁寧に頭を下げた。思わずえりこも頭を下げた。な、何か言いようの無いすごい人だった。

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written by Nanori Hikitsu 2013