ラウンドの女王編p29

51師団リール(Reel of the 51st Division、イギリス)はスコットランドのカントリーダンスの中でも有名と思われる「リール」というダンスの一つで、名前の通り軍隊で踊られていたようだ。必ず8人で踊る。隊形はロングウェーズフォーメーション(「ライン」と言うのもロングウェーズフォーメーションのこと)。4組のカップル(つまり8人)が長方形の陣を作り、一組ずつ順番に、皆が立っている間をかいくぐる。ちょっと頭を使うリールの中ではややわかり易い構成なので1年生も入れる事が多い。えりこが先頭の1番目の組に入って、えりこの次が花音の組だ。踊りながらフィギュアのわからない1年生に指示して、強引に手を取りぐるんと回してあげたりする。そう、まだ今年コールをしていない曲なので本当は基礎ステップから彼らはわからないのだ。でも今夜はダンシンクオールナイトなのでかたいこと言わずに好き勝手踊ればいい。1年生には難しいかと思ったリールステップも案外見よう見まねで似たような事やってるし、2年のえりこが思っていたより1年生は踊れるのだ。
 えりこの番が終わり、皆で輪になってぐるぐる回っていると花音が隣でえりこの手をきゅっと握る。吹き飛ばされないよう必死でつかまっている。その力の入れようが突然少し愛おしくなった。
 花音の組の番になって、出番の終わったえりこは一旦ステップを止めてつっ立っている。この先は2番の組の男子がえりこの前に来た時に踊ればいいのだ。そして踊っている子が誰の前で踊るかわかるように手を出したり声をかけて方向を指さしたりし、身振り手振りで強引に踊りを進める。いや、本当は強引なのは良くない。男子はパートナーの女子の手を取って女子の行くべき場所へ連れて行ってあげてから急いで自分のポジションへ行く。あくまで自然に、自然に。えりこは花音が踊っているのを見ていた。白っぽい色のストッキングが細く筋肉のついていない足を包んでいる。向かいの男子と一緒に不器用にパ・デ・バスクを踏む凹凸の無い棒のような足は、足首のところでクッションのように上下運動の激しさを打ち消し、パタパタ音を立てることなく静かに床に触れていた。菊地じゅんとえりこで手引きしたお陰で無事えりこの右隣に花音が入って来て、輪になって六人でぐるぐる回る。ふう。何とかなった。花音がちらとえりこの方を見たので、えりこはにこっと笑いかけた。花音は少し目を細め、軽く頭を下げた。ちょっと先輩らしくなったかな、自分とえりこは、ほんの少しだけ得意になる。愛想無いと言われるえりこが後輩に笑いかけたり、こっちから声をかけたり、大分できるようになった。サークル活動って結構人を成長させるもんなんだなと思う。
 51師団リールが終わると花音はまた遊行さんの所へ行ってしまった。話しかけてみれば良かったかなと思ったが、彼女が遊行さんと話したがってるのを邪魔するのも悪いと思って、割って入るようなことはしなかった。

 皆がだらけてきて選曲もマニアックになってきた頃、植津と深田くるみとえりこの三人は体育館の隅にかたまり、来年度の役職の話し合いをしていた。時間は夜10時。植津とえりこが指導部長、深田くるみが指導副部長を志望していた。指導部長も指導副も普段の仕事は同じようなもので、福徳大の指導部も含めて皆で等しく仕事を分担しているようなものだ。だからそれほどはっきり上下関係が有る訳じゃない。今日の例会の基礎ステップ練は誰が担当、明日のコール練指導は誰が担当、といった感じで、基本皆で話し合って物事を決める。ただ意見がまとまらなければ指導部長が最終決定権を持つ。福徳大と大野女子大の指導部長は対等。まあでも、男子を立てる傾向は有る。
 深田くるみは自分はリーダータイプじゃない、サポートする方が得意だということで指導副部長を希望しているんだそうだ。えりこと植津、どちらかが指導部長になって、ならなかった方が「指導部員」となり、他の役職と兼任するのはどうかということで今のところ話がまとまってきている。
 じゃあどっちが指導部長にふさわしいか、いや深田は本当にリーダーに向いていないのか、という話をしていた時だった。

「ちょっとえりこさん」
後ろから声を掛けられ振り向くと、柳沢が立っていた。
「どういうことなんですか。俺何も聞いてませんよ」
 夢中で話し合いをしていた三人はきょとんとして彼を見上げる。
「ごめん柳沢、ちょっと大事な話だから」
植津がさっさと彼を追い払おうとしたが、皆に何度も妨害されていいかげん彼も苛立っているのか、いつになく強気にえりこに迫って来た。
「こっちも大事な話なんです。たった今花音ちゃんに言われてもう俺何が何だか」
「何の話? 花音ちゃんが何て?」
「ラウンド選手権のパートナー、花音ちゃんが組んで欲しいって。えりこさんも賛成だって」
「え? あ……ラウンド選手権?」
突然言われてえりこも頭を切り替えるのに時間がかかり、ろくすっぽ返事もできない。
「俺はえりこさんに申し込んだんですよ? 何で他の子と組ませるんですか? それもえりこさんの口から断ってくるならともかく、何で勝手に花音ちゃんと話つけて、俺の知らないところで決めちゃって、こんな形で俺振られなきゃいけないんですか? 酷いじゃないですか」
 えりこはやっと思い出した。ハンデとして花音にパートナー選びの優先権を譲って欲しい、と京は言って、えりこはなんだかんだでそのことを承諾していたのだ。で、何で柳沢なんだか知らないが、まあ彼は1男の中では上手い方だから花音は抜け目なく確実なところを押さえたんだろう。てっきり上級生、しかも三年の指導部と組みたがってえりこにその説得を手伝え、ということかと思っていたのだった。それで花音が指導部長の遊行さんとさっきから話していたのかな、……とかなんとなく適当なことを。
「ご、ごめん。花音ちゃんが何考えてるんだか私ちゃんとわかってなくて……」
「わかってないって……」
 いつもぼーっとした感じの彼にしては珍しく感情的に顔をしかめ、ぴょんとえりこの正面に座った。
「何考えてるかわかんないのにいいって言ったんですか。俺とは初めから組みたくなかったってことですか」
「ううん……その、1女とも仲良くしたいし、いやその、ほら、自分が楽しく踊って満足、っていうだけじゃ駄目で、他の人の踊りを見て皆で盛り上がろうっていう考えには賛成できるなって私心から思ったからその流れで、花音ちゃんが組みたい人と組むっていうのに反対する理由も無くて、ほら1年生が折角」
「なるほどそういうことですか」
ふと柳沢が冷静に戻ったように見えたのでえりこは一瞬安心したが、油断し過ぎた。そうすんなり終わらなかった。
「つまりえりこさん、花音ちゃんみたいな可愛い女の子に好かれたくて、俺を売ったんですね」
「は……?」
「俺と踊るより花音ちゃんに好かれる方が嬉しいんですよね。えりこさんってそういう人ですよね。さっきから彼女の事ばっかり見てて」
「ちょっと待ってよ。それは誤解だってば」
「このあいだまで歌子姫のことばっか見てたのに、次は花音ちゃんですか。先輩がそういう人だってのはまあ仕方ないですけど俺、残念です」
ごくごく静かな口調で言いたい事だけ言うと柳沢はまたぴょんと立ち上がって、とっとと体育館の外に出て行った。

「な、何だったの?」
深田くるみが目をパチクリさせながらつぶやいた。
「どういうこと? 柳沢えりこのこと好きだったの?」
植津もあっけにとられたように言う。
「ち、違うよ! ラウンド選手権のパートナーの話だよ!」
「でもあいつ、なんで自分がこんな形でえりこに振られなきゃいけないんだって言ってたよ?」
「そういう意味じゃないってば。でも私、パートナー申込まれてたのを断っちゃったことになるんだね……」
えりこも呆然としながら言った。何か、歌子姫のことなんかでバタバタしていたから後回しにしてしまったけど、そんなに急いで決めなきゃいけないことだったんだろうか。花音も花音だ。柳沢と組みたいなら言ってくれればこっちだって手順を踏んで、自分から柳沢に相談したのに。とはいえ、多分彼がえりこに申込んでいたのを彼女は知らなかったに違いない。女子には誰にも言ってなかった気がするし。
 でも……柳沢が言った程えりこは花音に夢中になっていない。あんな風に言われたのは心外だった。でも、一瞬花音の色香に迷ったのも確かだった。京が意味ありげに花音を目の前にちらつかせてきたから……いいや、その前にえりこは承諾したんだった。京の意見に感銘を受けて。断じて花音のせいではない。彼女が柳沢くんと踊りたいんだったら自分は応援しよう、という結論に達し、顔を上げたところ、1女の高槻るりあが向こうにいるのに気付いてはっとした。るりあは無言だが困ったように眉を下げて、何かのジェスチャーで手をぐるぐる回し、体育館の外を指さしている。何? 追いかけろって? ああもう、えりこさんは。早く柳沢追っかけて、誤解を解いてくればいいじゃないですか。えりこさんも柳沢と踊りたいんだって言えばいいじゃないですか。何か彼女はそんなことを言っているように見えた。しかしだな……。
 その時ブルガリアのガンキノホロ#2の前奏が静かに鳴り始めた。悲しくも意志の強そうな調べのコパニッツァ(11/16拍子のブルガリアの踊り)とこの前ふとさかなちゃんが表現した、えりこのコール曲だ。
「えりこさーん」
「先輩!」
 だらだらしていた1女達がわっと集まって、チェーンの先頭を空けてつながりこっちに手を振っていた。例会で曲がかかった時、その年のコーラーがリーダー(チェーンの先頭)を務める慣例が有って、えりこはそれに反応してしまった。いやもちろん今はいつもの例会じゃなくてオールナイトパーティなのでそんな決まりは無い。だけど1女が……その中に花音も混じっている。彼女はチェーンの最後尾にくっついて、空いている左手をあげえりこの方にわずかに笑いかけて来る。切れ長の目。もうお風呂に入ったのかメイクを落として、アイラインも引いていないけれど返ってさっぱりしたようなきれいな顔。そうだよね……後輩の女の子達が呼んでるんだから。行かなきゃ。ついえりこはそう思ってしまって……。

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written by Nanori Hikitsu 2013