ラウンドの女王編p24

何かへらへらしながら宿に戻った記憶は確かに有るのだが、いつの間に布団に潜り込んでぐうぐう寝てしまっていたのだろう。気が付くと頭がすっきりしていて、視界も良好……あれ? 視界が良好……。
「あーー。コンタクト……コンタクトしたまま寝てた? 私」
「え、えりこさん……」
「だ、大丈夫ですか?」
見ると1女の尚美と狩野メイコ、守る会とやらの子達がえりこの布団の脇に跪いていた。
「あれ? ふたり共どうしたの?」
「あ、あたし吉乃さんに知らせて来る!」
「えりこさん気分悪くないですか? 百草丸飲んだの、効いてきました?」
「う、うん……ありがと。大丈夫」
百草丸。メイコが部屋を出て行った。えりこはぼんやりしながら身辺を見まわす。よく寝たが。ええと、佐藤さんの持ってきたクエルボとやらを一口飲んで、酔っ払ってしまったんだなと頭の中を整理した。
「今、何時?」
「もう八時です。夕ご飯も済んじゃいました」
「ええっ! そんなっ。ご飯もう片付けられちゃったの?」
こんな状況で早速食事の心配をするとはやはり食べ盛りの若者なんだなとえりこは我ながら感心する。感心してる場合じゃないが。
「お腹空いたよー。っていうかコンタクト外して来る……」
えりこはごそごそ起き上がった。着替えた記憶も無いのでもちろん練習着のままだ。何か皆の前で醜態晒したりしなかっただろうか。そう考えると一気に気が重くなった。
 えりこが洗面所から戻って来たのとほぼ同じくらいに、尚美が吉乃さんを連れて戻って来た。
「えりこちゃん! 大丈夫?」
吉乃さんは眉を下げ心配そうな顔だ。
「はい、すみません……」
「佐藤さんには葵からも抗議してもらったからね! 先輩に言われたからって飲まなくていいのよ? えりこちゃん普段飲まないのに……強要された時は3年生に言いに来るのよ? OBOG会に正式に訴えようか?」
「い、いいえ! 強要された訳じゃあなくて――私としたことが仲良くなってつい、心を許してしまったというか……」
「え?」
吉乃さんは言いながら、思い出したように持っていたお皿の上の布巾を取った。
「おにぎりとたくあんだけど、食べる?」
「は、はい! いただきます。もーお腹ぺこぺこで」
「えりこちゃんが夜中に起きて食べるかもしれないから、って仲さんが握ってくれたの。ちょっと量が多いけど……」
 宿主の仲さんが若者だからと気をきかせて残った米で山のように作ってくれたようだ。でもえりこは昼にあんまり肉を食べていないし午後はへとへとになるまで踊ったし、今なら全部食べられそうだと思いながら、いただきますと手を合わせ遠慮なく頂いた。
 塩で握って、旅館で朝出て来る味付けのりを貼りつけた具の無いごく単純なおにぎりだがすごく美味しい。流石米どころ。握り方とかも何かコツが有るんだろうか。しっかり握られているところに仲さんの控え目だけど男らしい性格が表れているようにえりこには思えた。皆が黙って見守っている中えりこが四つ目のおにぎりに手を出した時、ドアがノックされた。
「はい……」
吉乃さんが返事をして、尚美がドアに駆け寄った。
「えりこちゃん、どう?」
部長の黄葵さんの声がした。えりこはちょっと安心し、こっちを見ている尚美に頷いて見せた。
 葵さんが入って来た。吉乃さんはさっきから心配そうな表情のままだが葵さんはえりこの顔を見てにこにこしていた。えりこは近視でコンタクトを外すと視力が0.3だ。人の顔もかなりぼやけて見える。しかしぼんやりとでも部長の頼もしい笑顔を見ると何だかとてもほっとした。彼女のスカートの鮮やかな紫が一層えりこの心を元気づける。
「あら元気そうじゃない」
「すみません、あの、ご心配おかけしてしまいましたか、ひょっとして」
「なーに。謝らなくて大丈夫よ。皆そんなに騒ぎにしてないし。気にしないで後で普通ーに出て来るといいわ。多分皆普通に接してくれるでしょ。あ。あのタヌキ親父にはちょっとばかり説教してやったからね」
 ホホホホと高らかに笑う葵さんを見てえりこは、逆に佐藤さんにはとっても申し訳ない事をしたような気持ちになってしまった。
「あ、そうだ私、コール練見てもらわないと!」
 えりこは急に思い出す。キャバリート・ブランコをコール前に指導部に見てもらい、最終チェックでオーケーを貰わないといけないのだ。その担当指導者は新見瞳さん。瞳さんとパートナーの近藤くん、今頃体育館で待ってるんじゃなかろうか。そう思うとえりこのおにぎりを食べる手が止まった。
「食べて食べて!」
地べたに置いてある皿を、吉乃さんがえりこの前に引き寄せてくれた。
「えりこちゃんさっきすごく一生懸命練習してたし、もう直す所無いと思うわ。瞳もこれでオーケーよって言ってた。今日はもう休んで」
「あ、大丈夫です……ありがとうございます」
誰にも声を掛けられなかったから気付かなかったけれど、指導部はちゃんと見ていてくれたんだ。えりこはちょっと感動してしまった。なのにそういう気持ちを上手く伝えられない自分がもどかしい。えりこはとりあえず四つ目のおにぎりを頬張り、五つ目はさすがに人目を気にして食べない方がいいかなと迷っていると、葵さんが、
「何個目か知らないけどいいから食べなさいな。えりこちゃん、踊りたいんでしょ? 食べたいだけ食べてからでないと部長として踊る許可を出せないわね」
「葵、でも」
「吉乃は心配性ね。あなたえりこちゃんにはちょっと過保護だわね。病気じゃないんだし本人が大丈夫って言ってるんだから大丈夫でしょ。えりこちゃんも二十歳の立派な大人。酒飲んで酔っ払ったって誰も文句言わないわよ」
「え、ええ……」
指導部長もえりこが踊るのを認めてくれたということだろうか。
「あの……ありがとうございます。葵さん、吉乃さん。近藤くんとあんまり合わせて踊ってないから、せめて一回だけでも、最後に合わせたいんです」
「わかったわ」
吉乃さんもやっと少し笑顔を見せた。
「でも、無理しないでね。おにぎり食べてからね」
「はい」
それからえりこは尚美とメイコの方に向き直って、
「尚美ちゃん、メイコちゃんありがとうね! もう私大丈夫だから、皆の所に行きな?」
「え。いいえ、全然そんな」
「私達えりこさん食べ終わるまでここにいます」
「あなたたちそろそろお風呂の順番回って来るんじゃない? 私がついてるから大丈夫よ。あ、吉乃は指導が忙しいんでしょ? 私後でえりこちゃん連れて行くから、先に体育館に戻って」
「え……そう?」
 吉乃さんはちょっと逡巡したがいつものようにご自分のすべきことの優先順位をさっと頭の中で整理して、えりこに問いかけるような目をしそれに対してえりこが頷いて見せるとすぐ立ち上がった。
 1女と吉乃さんが行ってしまうと部屋は静かになった。皆宴会部屋か体育館に行ってしまって、宿泊部屋に残っている人は少ないのだろう。あまりに静かなのでえりこはちょっと寂しくなってしまった。早く体育館に行きたい。えりこは目の前の五つ目のおにぎりに手を伸ばした。……まあさっさと踊りに行きたいなら残せばいいんだけれども。女子が五つもおにぎり完食することなんて誰も期待してはいまい。
 えりこがごちそうさまと手を合わせると、ゆったりそこへ座って見ていた葵さんが口を開いた。
「ね、こんな時にあれだけど、その後誰かに何か言われたりしなかった?」
 えりこは前日3年生から聞いた話を思い出した。
「ああ、はい、いえ。1女との関係は良好です」
「そう、なら良かった。私も一応部員のことは注意して見てるんだけどね……」
「私もはっきりはわからないんですけど、変な噂流した子が誰かとか、その目的とか、何となくわかってきたかもしれません」
「あ、そう? 私もちょっと順子を問い詰めて、名前は聞けなかったけど大体誰かわかった。その辺の事情、わかった気がするわ……うん、北野順子には口止めされてるから内緒よ、順子、その1女にちょっと注意したらしいのよ。あの子ちょっとコワイとこあるじゃない? 泣かしちゃったんだって」
「え……」
えりこは顔が引きつるのを感じた。予想はしたが本当に〆たのか。
「そ、そんなことしてサークル辞めちゃったら……」
「うん、私もね知ってたら止めたわよ。だけど、結果としてその子辞める気配無いし、今日も上級生の前でいつも通りにこにこしてる。その裏表がね、私ちょっとコワイなって」
 そ、そうなのか……多分間違いなく京ちゃんのことだ。しかし、順子さんや1女のことをコワイと言う葵さんだって結構怖いと思うんだ。常日頃の言動を見ていると。
「で、あの、嘘吐いたって認めたんですか?」
「見間違いでした、だって。まあそういうことでいいんじゃない? でもね、やっぱり1女は可愛いわよ。あたしから見れば。いろいろ事情は有るんだろうし、順子は順子でどうも何か考えてるみたいだし、これ以上えりこちゃんに手を出さないんであれば今回のことには目を瞑りたいわ。だから合宿中、ちょっと様子を見ていてもいいかしら? えりこちゃんは快く思わないかもしれないけど」
「いいえ! 初めから私も同じ気持ちです。何だかよくわからないけどこれ以上何もされないんだったら……」
別にそれ程までに許せない気持ちは無いのだ。今となっては訳がわからなくて不気味なだけだ。
「そう、ありがとう」
葵さんは目を細めて一層華やかに笑った。

 とりあえずコンタクトレンズはやめておいて、眼鏡をしてお皿を食堂に返しに行くと、宿主の仲さんが夜だというのに(しかももちろん室内である)真黒なサングラスをしたまま新聞を読んでいた。見づらくないのか? あれは多分、お洒落というか自己満足的なトレードマークだ。外して庭をうろうろしてることもあるし、かけたまま廊下を歩いていることもあるから一体どうしたいんだかよくわからないけれどまあ何か身体的な問題があるわけでも無いらしいし周囲からすればどっちでもいい。度の入ってないサングラスをかけられる時点で近眼のえりこより目がいいのは確かだ。しかしどのシチュエーションでかけるべきなのかといったことについては本人にしかわからない決まりがあるんだろうなあとえりこは薄々感じていた。もしかしたら単にシャイな人なのかもしれない。
「あ、えりこちゃん」
「すみません、ごはんに遅れてご迷惑かけてしまって……どうもありがとうございました」
「いやいや、食事代貰ってるしね。片付けの都合でおかずが無くて申し訳ないです。保健所の指導とかいろいろあって、本当はおにぎりを部屋に持って行くのもちょっとアレなんですけど」
「いえ本当すみません、すごく美味しかったです。ごちそうさまでした」
「仲さんのおにぎり美味しいんですよね」
葵さんがそう言ってお礼を述べようとすると、
「そういえば部長さん、玄関の外にさっき女の子がいたよ」
「女の子……うちの子ですか?」
「いや、違ったよ……今回の合宿に来てる子じゃないと思うけど」
「OGかしら?」
葵さんとえりこは顔を見合わせた。
「誰かに用事? って聞いたんだけどはぁとかええまあとか言って暗い中ずっと立ってるから、かわいそうだし、中に入るように言ったんだけどいいですってどこか行っちゃった」
ああ……仲さんがサングラスなんかかけた大柄なおじさまなんで怖がって帰っちゃったんだろうか。OGなら仲さんを知ってるし、女の子が一人で……他大の……って言ったら。えりこはすぐに歌子姫が一人でぽつんと立っている姿を思い浮かべ、不安になった。
 どうしたんだろう。本当に歌子姫なんじゃないか。えりこに会いに体育館へ行ったけどいなかったから宿まで来たんだ。仲さんにそう言えばいいのに……。あの歌子姫のことだからいいです、って帰ってしまいそうなのは想像がつくけれど。華栄大の合宿所に帰ったのならまあ追いかけて行くこともないかな、と考えて、えりこはメヒコスカートとダンスシューズを抱えて葵さんと二人で体育館へ向かった。
 だけど……気になる。何か有ったかな? 単に一緒に踊ろうってつもりで来ただけかな? 後で行ってあげた方がいいだろうか。明日の夜はオールナイトパーティなので歌子姫と二人きりにはなれないだろうし……。えりこはそわそわしながら彼女の事ばかり考えてしまって、それを葵さんは察知したのかにまっと笑いながらえりこに話しかけて来ない。葵さんが何を考えているんだか、えりこにはいつもよくわからなかったけれども。

 体育館に着くと指導部の新見瞳さんとえりこのパートナーの近藤がすぐ駆け寄って来た。葵さんがハイいってらっしゃいとえりこの背中を押すので、えりこは慌てて後ろに会釈してから二人の所へ向かった。いや付き添ってくれた部長さんに対してお礼が足りなかったかな。
「じゃあちょっと曲かけてみようか――えりこちゃんいい? キャバリート・ブランコ」
瞳さんが明るい声で言った。

 一回目で完璧に踊り切った。えりこは自分でも信じられない気持ちがしたが、右手を取り合って反対の手を開くエンディングのポーズを決めると瞳さんが懸命に拍手をしていて、あまり話した事の無い福徳大3年の指導副部長仁科さんまで「いいんじゃない?」と声をかけてくれたところで、えりこの心は言いようの無い自信に満たされた。仁科さんときたら厳しいというよりこの人も実はシャイで普段なかなか人を褒めないんだ、とえりこはにらんでいたが、その仁科さんがいいと言ってくれるなんて、えりこでなくても有頂天になるだろう。
 えりこはまさに頭の中“Top of the World”で、思わずパートナーの近藤と握手してしまった。うん。こいつのことも男は楽でいいよねなんてなじってしまったが、いつももたもた踊ってるやる気の無い奴が今日は目を合わせて来たりして、向き合って同じタイミングでジャンプ・ホップをしながらわくわくしてしまった。ここここ、これが案外難しいんだよね! どっちの足を上げてどっちに回るかとか。女子はこれに手の動きが付くからまたややこしいんだけど。そういう会話を言葉を通さずにできてしまう。近藤はあれでも陰で一生懸命練習していたんだろうと思う。ぶっ倒れてるえりこのことを気にしてくれていたんだと思う。全然関心の無い相手とこんな風に頷き合って踊れるはずがない。反省した。えりこも自分の事ばかり考えていたなと。このキャバリート・ブランコはちょっとの間しかパートナーと触れ合う事も無いから今まで別々に練習していたけれど、一緒に踊るという意味が単に同じ動きをするとか対称の動きをとるとかそういったことではないんだと改めて知った気がする。まあ今更だけどね。こんなこと、フォークダンスやってる人にとっては常識でもあるのだ。それであっても何度も何度も再会する感動ではある。だから、ちょくちょく忘れてしまうことにもあまり後悔は無い。

前に戻る

次へ

トップに戻る

written by Nanori Hikitsu 2013