ラウンドの女王編p23

バーベキューの片付けも終わり、夏の日はまだ高いけれど田んぼの中の道を歩いて皆で宿へ向かう。えりこは植津と何でもないようなことを話しながら、少し晴れ晴れとした心持になっていた。いつもより無邪気に笑っていたと思う。ちょっと話せる後輩ができたことが自信になったのか、植津派の子達が何を言っていようが許せる気がする。こんなに皆がえりこの味方になってくれる中で、よもや再び中傷されることも無いだろう。ほらえりこと植津だってこんなに仲が良い。どんな悪意だってこの仲を裂いたりできない。そんな風に感じて。
「お京、それは無し! モスコフスカヤ乱用は禁止だって」
植津がいきなりえりこの反対隣にいる集団の会話に割って入った。えりこははっとして、そちらを向くと、1女の京が植津の方を振り返ってにこっと笑った。
「あれは一本しかありませんからね。じゃ、新潟らしく上善如水にしときます? あれなら買い出し係の足利くんに言っておけば手に入りますよ」
「駄目。ビールだってば」
「そうだ、今夜から合宿にいらっしゃる佐藤先輩がクエルボ持って来てくださるんですって。植津さん無くならないうちに」
「なあに、花音まで人を酒呑みみたいに……って、クエルボですって?! 冗談でしょ」
「大声出しちゃ駄目ですよー。菊地じゅんさんの耳に入ったら……」
 何の話かえりこにはよくわからないが、とりあえず出て来た固有名詞はほぼ全部酒の名前である。はあ。
 お京ちゃん花音ちゃんはえりこの方には見向きもせず、嬉しそうに植津と話している。もちろん飲み会の計画などえりこには入って行けない話題だが、ふと疎外感を覚えた。いやいや、こんなのいつものことなのに。同期とはいえ植津はえりこだけの友人じゃないし、彼女が誰と仲が良かろうと口出しするいわれも無い。皆仲良くするべきだ。しかしさっきまでえりこと二人でしゃべっていた植津はすっかり1女の京と花音の間に取り込まれてしまい、えりこはぽつんと取り残された。もしかして、あれ、京達意図的にやってる?
 京と一緒にいる花音ちゃんは民舞では珍しくきちんとメイクする、ちょっと目つきはきついがなかなか綺麗な子だ。福徳大男子が陰で行っている美人の子投票でこの間1位になったらしい。陰でやってる割には結果が周知されているが。女から見ると断然1位だと思っていた3年の世羅吉乃さんが2位というのだから、多分男と女で女の子を見る目も少し違うのだろう。
 ちなみに3位は意外なことに2女の菊地じゅん。女っぽさも有ってサバサバしたところも有って男女問わず皆じゅんが好きだ。まあ多分、この三人がそれぞれ学年一ということなのだろう。
 それはともかくえりこが花音について知っているのはそれくらい、と言うよりその人気投票1位のイメージだけがえりこの中で一人歩きしている。京に関してはあまり知らない。花音とよく一緒にいることと、あとは高槻るりあの教えてくれた、将来指導部長になりたがっているという話、あと、植津派だということくらい。恥ずかしながらえりこは1年生とそれ程親しくなかったのでほとんど表面的な会話しかしていなかった。だからそれだけの情報に左右されてその子を色眼鏡で見てはいけないと思う。また何かえりこに攻撃を仕掛けてくるか(いや、あの噂の出所が彼女だと無意識に決めつけてしまったがまだ判断してはいけない)注意して見ていよう、ちょっと面倒だけれど。えりこはそう決めたが、彼女は元来本人が思っているよりのんきなもので、その深刻さもいつまでも続かないに違いない。

 いよいよ明日5日目はキャバリート・ブランコ(メキシコ)のコールが有る日だ。今日午後のレクリエーションの後は夕食まで自由行動だったので、えりこはひたすら自主練を繰り返して大分へとへとになっていた。踊りのような体を使うことに関しては、頭脳を使う作業よりももっと効率を考えてしなければならないように思う。練習を繰り返せば上手くはなるがその分体力を消耗して回復に時間もかかり、あと一歩で習得できる! と思って無理するとリズムについて行けなくなったり、足ができても腕が痛くて動かせなくなったり、下手すると足の筋肉を痛めて何日も踊れなくなってしまうという最悪の事態に陥ったりする。コール時はパートナーの近藤と組んで1曲通してデモしなければならないので、最後まで間違えず力尽きずに踊り切る練習をするとやはり途中気に入らない部分や間違える所が有る。そうなるともう一度最初から通す。間違えるたびに最初から。そんなことを繰り返していると当然体が疲れて、頭も回らなくなってしまう。すると頻繁にフィギュアを間違えるようになる。こんなことが延々と続く。地獄だ。ドンドコドンドコいうキャバリート・ブランコの音楽が頭の中をぐるぐる回る。メヒコのスカート振りは本当に重くてつらいのだ。キャバリートはそこまで難しい踊りじゃないかもしれないがきっちり踊ろうとすると結構きつい。えりこはまだ弱っちいから連日筋肉痛だし。暑いから汗だくになって頭がかっかする。あー後で近藤と合わせてみよう、歩幅とかタイミングとか顔の向きとかもっと揃えたいし、そういうことはぶっつけ本番でできないこともないが打ち合わせておいた方がいいに決まっている。そんなことを考えながらとうとう床にへたりこみ、ふうとため息を吐いたところで背後から大きな声がした。
「おおえりこ、その格好はメヒコか!」
バックパックをどーんと床に放りスーパーのビニル袋を下げて立っている男性は、去年サークルを引退した福徳大4年の元指導副部長、佐藤先輩だった。
「テキーラ持って来たぞ、テキーラ。おまえにぴったりじゃないか。ホラこれ持ってアトールステップやってみろ!」
「先輩……」
このタヌキ親父、いきなり何だ。えりこは思わず反抗する。
「明日のコールはキャバリート・ブランコですから、酔っぱらいステップは出て来ません」
「いいからいいから、これ飲んでやってみろって。おまえテキーラ飲んだ事もないのにメヒコが踊れると思うなよ」
どういう論理か知らないし何が可笑しいのかわからないが、佐藤さんは丸っこいヒゲ面でガハハと笑っている。既に酔っぱらってるんじゃないかこの人。
「春合宿でやったエル・ハラベ・タパティオは憶えてるか? いやおまえ1年だったんだっけ、2月だから。じゃ無理かな」
「はあ?」
「アトールステップだよ。ちょっとやってみろって」
「え? ええと」
えりこは思わず立ち上がった。まともに挨拶するタイミングも逃してしまったままだが元指導副部長にやれと言われたらとりあえずやるしかない。
 アトールステップ。別名酔っ払いステップ。メキシコ国ハリスコ州の踊り「エル・ハラベ・タパティオ」、一般的にはメキシカン・ハット・ダンスという名で知られて日本でもテレビCMなんかで曲がかかることのある割と有名なカップルダンスがあるのだが、それに出て来る基礎ステップだ。右足を右にステップ、左足を右足の後ろにクロス(交差するように)してステップ、右足ステップ、左足のヒールを床に擦るように打ちつけて左斜め前に蹴り出す、そして以上を左足から左右反対に同じようにし、このセットを何度も繰り返す。女子はこれに手が付き、スカートの左右を持って蹴り出す足と同じ方の手を振り上げながらふらふらっと歩くと千鳥足で歩いているように見える。タパティオは男が女に求婚する踊りで、男が馬に乗って来てすごいだろうとアピールしたり、女に酒を飲ませて口説こうとしたりし、それに対して女は初めつれない態度を取るがやがて男の差し出したソンブレロという大きな帽子を受け取ってプロポーズに承諾する。といった筋だ。この中の、男が酒を持って来て二人でしたたかに酔っ払う場面でアトールステップが出て来るのだ。
 とりあえず足の運びに関してはそう難しいステップではないので昔教わった通りちょこまか歩いてみると、
「もっと腰入れるんだよ。蹴り出す足と一緒に腰、タンタンタで引いて、左足蹴り出した勢いでそのまま左足一歩目、それと一緒に腰から踏み込んで!」
いやいやいや……。
「あのう、何で私アトールステップやらないといけないんですか」
「いいから。この酒瓶持ってやってみろ」
「こんなの持ってたらスカートが振れないじゃないですか!」
「一度テキーラの重さを感じてみろ。こいつは強いぞ! ひとなめで天に昇った気分だ。足はもつれてひっくり返りそうになるが、ぎりぎりの足さばきで自然に体重支えて踏みとどまる。蹴った瞬間上体反らして! おら酒持ってこーい。いいぞその調子だ!」
「は、はい」
「酒飲んで踊るとどうなる? 体に回る。血がたぎってくるだろう。おまえは情熱のメヒカーナだ。しみったれた顔するな。おまえは妖艶な美女だ。愛と美を振りまけ。タタンタンタ・タタンタンンタ・タタンタンタ……そうだいいぞ! いかすぜセニョリータ!!」
 何だかよくわからないが佐藤さんに言われるまま右手でテキーラの瓶の首を持ち左手でメヒコスカートを持って必死でアトールステップを繰り返していると、だんだん自分がテキーラに酔ったような気がしてきた。酒を飲まないえりこも微酔いを味わったことがないわけではない。その状態を思い起こすと頭がぼーっとして体が熱くなった。よ、酔っぱらいそう。本当に。

「おまえ案外見どころ有るじゃないか。おまえ次の春にエル・ハラベ・タパティオのコールしろよ。うちに有るメヒコの最高峰だぞ。おまえならメヒコの女王になれる!」
佐藤さんはご満悦だ。今度はメヒコの女王か。
 気が付くと佐藤さんは胡坐をかいてテキーラの蓋を開けていて、紙コップでチビチビ飲み始めた。あーあ、一人で何やってるのか。
「残念ながら私は他大の影響を受け過ぎてて、うちの伝統の踊りは踊れませんけどね」
えりこはつい嫌味を言ってしまった。佐藤さんは紙コップを傾ける手を止め、眼鏡の奥から上目遣いにえりこを見た。な、何ですか? あなたがそう言ったんでしょ。
「えりこ、指導部だけが民舞じゃないぞ?」
「は? はあ」
「おまえは堅苦しい指導部にいるにはもったいないんじゃないかと俺思うんだよな。おまえはもっと外に出て……引退しても踊り続けて、学校の中だけじゃなく活躍していける人間のような気がしてな」
「佐藤さん……」
 佐藤さんは小汚いジーンズの膝をぼりぼり掻いて、反対の手でTシャツの襟を引っ張ると、ごしごし首筋の汗を拭った。
 ……そういう意味だったのか。自分の大学か他大学かという狭い話ではなく、本来のフォークダンスに近いもの……を目指せとこの人は言っているのか。
「だけどなえりこ」
佐藤さんはコップを床に置く。
「これだけは憶えとけ。おまえが大野女子のフォークダンス部出身ということには意味が有る。どこへ行っても、パーティの時の記帳の所属欄には大野と書け。引退したら大野OGとか」
「何でですか? さっきの話と……」
「いや、フォークダンスってやつはな。民族の踊りだ。共同体の踊りだ。おまえはうちの共同体育ちのフォークダンサーってことだよ。習ったステップは共同体独自の、あるいは間違った変な癖のついたものかもしれない。でもブルガリア現地の踊りも村によって全部違う。共同体によって守りたいものはどうしても有るんだ。正しいものに近い踊りを求める事ももちろん重要だけど、自分の踊っていたものがおまえの根っこであることも事実だ。おまえは三年間確かにここにいた。おまえは俺達の仲間だ。おまえには俺という先輩がいた。そのことはずっと忘れるな。おまえには気に入らない点が有るのも承知してるがこれがうちの指導部の考え方だよ」
「はい……」
「ちょっと飲んでみるか? これ美味いぞ」
「はい」
えりこが素直に紙コップを受け取ると、佐藤さんはわずか1cm程テキーラを注いでくれた。
「え、これだけですか」
「おまえこれ飲んでから同じセリフ言ってみろ」
えりこはビールでも飲むくらいの気持ちでくいとテキーラを飲み込んだ。次の瞬間喉が焼けつき、かあっと頭が凍った。
「な、何ですか、これ結構」
「お? いけるか。もっと飲むか」
「いえもう、そのちょっとだけにしてください」
……。
……。

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written by Nanori Hikitsu 2013