ラウンドの女王編p20

そう、吉乃さんはずっと福徳大3年指導部長の遊行さんと付き合っていることを部員に隠してきたのだ。今は全然そんなことはないのだが、実はちょっと前までフォークダンス部ではサークル内での恋愛はタブーだった。実際はどうだったのかえりこは知らないが少なくとも公にできることではなかったらしい。しかしそろそろさすがに時代錯誤だろうということで今やそんな風潮はがらりと変わって過去の慣習を知らない人もいるくらいだ。とはいえ古い体質の指導部やそこに入ろうという人達は考えが古く、必要以上に隠す人がいまだにいる。それに加え、大野女子と福徳大の指導部長同士、個人的な慣れ合いが表面に出てはいけないという真面目な吉乃さんらしい考えで、吉乃さんと遊行さんの交際は同期にすら完全な形で隠されたままだったのだそうだ。もちろんえりこも知らなかった。当然隠されて来た同期の皆さんはあまり面白くないのに違いない。先日やっと二人がカミングアウトした時、打ち明けてくれたらフォローも応援もできたのに、と部長の葵さんは拗ねていた。

「さっきから聞いててえりこちゃんのすっとぼけようがあまりに天然だったから言うことにするけど」
北野順子さんがえりこの方をしみじみと見て言うので、えりこは思わず畳の上に正座した。
「とある1女が言うにはね、この間強化練の後、遊行が飲み会に行かずに帰っちゃった日が有って……有ったかしらね? で、えりこちゃんは普段から飲み会来ないでしょう? その日二人が国分寺のコンコースのおにぎり屋の前で待ち合わせて二人きりで仲良く南口方向へ出て行ったから、後をつけてみたら……」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
えりこは思わず口を挟んだ。
「そんな事実は無い、のね?」
「はい! 二人きりで帰ったことなんかありませんし、待ち合わせてどっか行くって……」
「で後をつけたらプランタン方面に消えたって」
「誰よそんな馬鹿なこと言ったの」
葵さんは不快そうな顔をした。
「それはちょっと、ね。もっと事実を確認してから。で、続きが有るのよ。それを聞いた1女達は騒然としたんだけど、黙って聞いてたさかなちゃんがね」
「順子」
吉乃さんが順子さんの肩を叩いた。
「名前を伏せるのなら全員伏せないと。今の話じゃそんな噂立てた1女はさかなちゃん以外の誰かってしぼられちゃうでしょう?」
吉乃さんは全く動揺も見せずに淡々と指摘する。ああそうね、私ったら、と興奮気味の順子さんは手でパタパタと自分を扇いで、ペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「えっとその1女が、それはないよー、人違いじゃない? 吉乃さんと付き合ってることも最近までずーっと隠し通した遊行さんが、大野大生のうろうろしている国分寺の、おむすび重吉の前なんかで待ち合わせて、デートするわけないじゃん、たーっと噂が広がっちゃうよ。その日二人に何してたか聞くとか、三年生にその日本当に遊行さんが飲み会に行かず怪しい行動をとってたか聞いてみるとか、私が聞いてみようか? 本当にただの勘違いかもしれないよ、って行ったら皆黙って、それから、そうよね、あのえりこさんがまさかね、遊行さんだってそんなことする人じゃないしって口々に言い出した。えりこちゃんは普段から1女の信望厚いし、さすがさかなちゃん。いえ、あの子、場の雰囲気変える力が有るわね」
 さかなちゃん。本名は秋山寿子という1年生の子なのだが、どういうわけか手作り風の水色の魚のバッヂをどんな服の時にも付けているので皆彼女をさかなちゃんと呼んでいる。背が小さくショートヘアに眼鏡をして、決して口数は多くないのだがいつも明るい顔でにこにこしているすごく性格の良い子だ。彼女が味方してくれたのはえりこにとって非常にありがたい。彼女みたいな子が一人いるだけで女子集団というのは何か疑惑にとらわれてもすぐ我に返って良識を取り戻すものだと思う。まあ大野女子はそれなりにお勉強した真面目な女の子の入る大学だから、変な悪意をまき散らす子ってそう多くはないのだ。
「じゃ、それで話のカタは付いたのね?」
「うん、まあそうなんだけど、例の1女はでもとかだってとか小声でぶつぶつ言ってた」
「まあ順子ったら最後までよく張り付いてたわね」
「でもその1女、悪意有りそうね」
葵さんはお気に入りのクッションでも抱えるようにソバがら枕を胸に抱いて言った。
「うん、悪意有るわね」
順子さんも頷く。吉乃さんは黙って心配そうにえりこの顔を見ていた。
 悪意って……皆さんは何を言われるんだろうとえりこが3女の顔を順々に見ていると、順子さんはもどかしそうに「あーーー」と言って、さすがの葵さんも枕に半分顔を埋めて苦笑いした。
「だからね、えりこちゃんのことを良く思って無い1女が、噂をでっち上げてえりこちゃんを陥れようとしたってこと、だと思うんだけど、違うかな。えりこちゃんショック受けてないかなって皆心配してるのよ」
吉乃さんが言いづらそうに解説してくれて、やっとえりこは状況を理解した。そうか、えりこは吉乃さんのことを心配していたが、信頼関係の有る吉乃さんと遊行さんは話せば誤解も解けるだろうし、そんなにダメージも受けなかったのかもしれない。ダメージという点で言えば、単純に1女の信頼を損ないそうになり、吉乃さんに恨まれ他の3女まで敵に回しそうになったえりこの方がはるかに危機的状況だったのだ。何で? 誰が何の為にそんなことを? 1女の誰かが遊行さんのことを好きだから? でもそれなら攻撃は吉乃さんの方に行ってもいいはずだ。何でえりこがターゲットに?
「まあ別に、吉乃さんの誤解が解けたならいいんですけど……」
だけど1女に恨まれるような覚えは無くて、困ったなとえりこは思った。
「全くダメージを受けていないみたいよ。のんきな人だこと」
「えりこちゃんてやっぱ図太いわよね。あんな噂流されたのに」
葵さんと順子さんが口々に遠慮の無いことを言うので吉乃さんが慌てててフォローした。
「あの人達なりに感心してるのよ。えりこちゃんてやっぱり強いんだなあって……」
「私は別に……」
強くなんかない。ただ冷たいだけだ、えりこは心の中で呟いた。人に嫌われるのはそりゃ嫌だけど、無理して好いてもらわなくても構わない。そう思っているだけ。サークル活動をする上で実害が有るなら何とかしないといけないけど……いや、周囲から孤立させられそうになったのは確かに実害だ。えりこはその頃になってようやく気が付いて、心の中がもやつき、いらっとした。ちょっと遅いけれど。大人しくしているからといってえりこは気が弱いわけではないのだ。
「えりこちゃん、あなたのことはあたし達が守ってあげるから」
葵さんはえりこの心を見透かしたように言った。
「こっちから何かしようと思わないでね。中傷が続くようなら私が部長の立場から厳重注意するし」
「そうよ。3女はえりこちゃんの味方だから安心して。制裁を加えるのは私達の務め……いえ、とにかく副部長の春香にも話しておくわ」
「何か有ったらいつでもすぐに言ってね。身の危険を感じたら大声を出すのよ。えりこちゃん滅多な事じゃ大声出したりしなさそうだから心配だけど」
 えりこがどう見られているか知らないが順子さんと吉乃さんも頼もしいお言葉を下さった。この方々にそう言ってもらえると、何も期待していなかったえりこも何となくほっとした。


 さて合宿4日目。
 順子さんがもしやその1女をこっそり体育館裏に呼び出してシメたりなんてしてくれちゃったのだろうか。いやまさかとは思うが。とにかく次の日にはえりこが中傷されることもなく、1女は以前と変わらずえりこさんえりこさんと話しかけてくれた。だから、何だったんだろうと思いつつもえりこは確かに葵さん達のおっしゃる通りのんきで図太いんだろう、誰が変な噂を流したのかも気にしなくなってしまった。ぐじぐじ悩んでも仕方の無いことでいつまでも足止めをくらっていないのがえりこのいい所だ。

 高槻るりあは1女だが大野女子大の中でも背が高く、小柄なさかなちゃんと並んでいると殊にスタイル良く見える。軽く165センチ以上有るんじゃないか。二人はえりこの傍にくっついて、2女の深田くるみの「ホラ・フェテロール」のコールを受けている。ホラ・フェテロールはルーマニアの民族舞踊で、単純に「女性の踊り」という意味である。東ヨーロッパの言語はどの国も割と似ているところがあるようで、ルーマニアやイスラエルで「ホラ」という言葉はブルガリアで「ホロ」、マケドニアで「オロ」、セルビアで「コロ」、ギリシャで「ホロス」、ロシアでは語尾が長くなり「ハラヴォート」となって、共に大勢で連なって隣の人と連手し左右へ動く踊りを指す。
 「フェテロール」はルーマニア語で「女性の」、といった意味で、ダンスュール・フェテロール・デ・ラ・クリハルマなどの踊りの名前にも出て来る。ホラ・フェテロールだなんてざっくりした曲名で呼んでいるが日本の民舞界では無限に有るはずのホラ・フェテロールの中から或るひとつの曲と踊りを指す。まあとにかくつまり女性が踊る踊りなので、福徳大の男子はこの間別の男性曲を練習している。女子ばっかりでコールを受ける数少ない機会である。
フェテロール
ゼンスコ
アクチーク
順にルーマニア、マケドニア、アルメニアの言葉で「女性の」、といったニュアンスを持つ言葉。この間チヨコが反発して大騒ぎしたばかりだが、フォークダンスというのは男女の踊りが大きく違っていて、男は男らしく、女は女らしく踊るものである。激しい踊りでも女子は内腿を締め膝を内向きに入れ、大股を開いたりしない。男子とほとんど同じ動きをするにしてもしなやかに腕を動かし手指を繊細にくるりと返し、体全体で柔らかな曲線を描く。首をかしげ手に持ったチーフをひらひら振って、できるだけ小回りの回転でコマネズミのように男性の手の下を駆け回る。えりこがこれまで見て来た女性の踊りのイメージはそういったものだ。
 男性の踊りは勇壮、くらいしか思いつく言葉が無いが、女性曲はいくつも頭に思い描く絵というものが有る。優美な女性、活発でかわいらしい女性、家事をする女性、女らしく身支度に没頭する女性、悲しみの中に死を覚悟する女性、男をからかう女性、不機嫌な女性、きまぐれな女性。こんなに女性の踊りばかり多様にイメージできるのはえりこが女だからで、男は男で様々に演じ分けているのかもしれないけれど。
 そう、踊るということは演じることでもある。女が女らしく振舞うこと自体がそうあろうとする演技。えりこにはそう感じられることがあった。それは男の為でも社会の為でもない。女自身の理想としての女らしさ。えりこの目にそれは一つの価値観として貴く輝いて見えた。時代遅れと言われようと。

 高槻るりあの踊りは、えりこの目から見てとても女らしかった。いつもヒラヒラした格好をしているチヨコと対照的な、ユニクロのTシャツにジーンズという、すっきりした服装をしていて、長身で骨ばった体の彼女はそれを格好良く着こなしているのだけれど、踊りは1女の中で一番女らしかった。あまり話したことの有る子じゃないので、彼女がどんな性格なのかえりこは未だによくわからない。面倒見の悪い先輩だなと自分でも思う。ただ踊りを見ている限りでは、繊細で我が強く、気も強い、と思う。感覚が優れているというより頭が良くてちゃんとわかってやってる。
 ……なーんて、そんなこと踊りでわかったら苦労しない。大抵そういう風に見えるというだけのことだ。とはいえ頭が良さそうというのは間違いないんじゃないかと思う。毎日何曲も習うのにコールを受けた踊りはちゃんと覚えていて、次にその曲がかかった時はかなり正確に教わった通り踊っているからだ。えりこには無理だ。
 るりあのスカートから伸びた細長い脚が片膝を曲げつま先の位置まで意識して持ちあげられていている様を見る。左足片方で立って、右足かかとを左足のふくらはぎあたりまで持ち上げ、右足のつま先を自然にピンと伸ばしつつ右斜め40度くらいに向けて、「く」の字を作るようにかかとを左側にわずかに入れ込む。同じ足を上げるだけの動作でもこれだけで大分印象が違う。こうしたらきれいだよ、とるりあに教えたのはえりこだ。彼女はそれ以来ずっとそうしている。その彼女の足の運び方がきれいなので、えりこは時々そうしてるりあの脚を見ていた。その美しさは別にえりこの手柄ではないが、彼女がこれを美しいと思って受け入れてくれたことは嬉しかった。
「えりこさん、ターン反対ですよ」
るりあが言った。
「え? あ! ごめん」
ぼーっとしていたので間違えた。えりこはるりあとさかなちゃんの間に入り手を繋ぎ直す。女子は全学年で20人以上いて、全員で手を繋いでオープンサークルになると随分広い円になる。オープンサークルとは円を完全に繋がず一部を切るサークルで、シングルサークル(一重円)を作る場合イスラエル以外の多くの国の踊りがこの形だ。切れてる円(チェーン)の、一番右端の人が「リーダー」。チェーンには何人連なってもいいけど各チェーンの一番右の人が必ず先頭となり皆に踊りの指示を出す。イスラエルは本来完全な円になるらしい。実際踊る時は切れてることが多いけど。

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written by Nanori Hikitsu 2013