ラウンドの女王編p16

第4章:泥沼のThere's a kind of Hush


※ダンス用語のいくつかに説明図へのリンク(別窓)を貼りましたが読み飛ばして頂いても大丈夫です

フリータイム。特にきまりも無く例会担当がいろんな曲をかける時間である。ラウンドダンスが立て続けに何曲もかかっていた。次の曲は"There's a kind of Hush"。前期例会にえりこがコールした曲だ。その年のコーラーは他の踊りを忘れた部員が見ながら踊れるように、できるだけ踊りに加わる習慣が有る。それも強制ではないしフリータイムは座って休んでいてもいい時間なのでしばらくぼんやりしていたえりこだが、1男の生意気な奴が声をかけて来た。
「えりこさん、この曲いいですか」
「あっお願いします」
「お願いします」
挨拶して、えりこは柳沢と手を取り合った。男子の方から踊りに誘いに来るとは珍しい。
 前奏が始まって、すぐオープニング。そしてバンジョーポジションつまりダンスパーティの時男女で組む例のクローズドポジションから男性LOD(ラインオブダンス、進行方向、踊りの大きな輪を上から見て反時計回りの方向)向き、女性ALOD(anti-LOD)向きになる。クローズドポジションから右腰接近になるようにちょっとずれる、といった形。そして第1パートが始まった。
 あれ? とえりこは意外に思った。この人、上手いんじゃないか? よく憶えているというのもあると思うけれど、リズムが正確で、ツーステップターンなんかも普通1年生と組む時えりこが2倍頑張って回さないとターンしきれないのに、彼は自分の力でちゃんと回りきっている。体重のかけ方がよくわかっているように感じる。
「ねえ、えりこさんて」
耳元に顔を寄せて来て、柳沢は不意打ちをくらわせてきた。
「レズなんですか」
あまりの直接的表現にえりこは口から心臓が飛び出るかと思った。なんだいきなり! 返事ができないでいると柳沢は続けた。
「歌子姫がすごい顔で睨んでるんですが」
見ると確かに歌子姫は、あからさまに不機嫌そうな顔をして柳沢の方を睨んでいて、二人の視線に気づくとすっとむこうを向いた。えりこはひどく動揺していたが、すぐに平静を装い、咳払いをした。
「あのねえ柳沢くん」
カップルを組んでいる時、二人で何を話していてもあまり人に聞こえることは無い。顔が結構近いので内緒話もできるし、向かい合っているので二人の世界に浸ることもできる。ロマンチックといえばロマンチックなのかもしれないが恋人同士で踊るのでもなければそこにロマンスなんて無い。皆無だ。えりこと後輩の男が二人でハッシュを踊ったところで誰も二人の仲を誤解する人はいないし、現に二人はとんでもない話をしていた。
「レズとかさ、あんまり軽々しく言わないでよ。男ってなんでそうすぐそういうこと想像して面白がるわけ?」
へえ、と柳沢は踊りに気を取られながらだから決して余裕の有る状態ではなかったはずだがいつものぼんやりした細い目で周囲の上級生のお手本を見つつ、それでも話し続けた。
「案外そういう話平気なんだえりこさん」
「からかってるわけ?」
いらっとしてえりこは柳沢を睨んだ。
「別にエロい目で見てる訳じゃないですけど」
柳沢は再びえりこの目を見た。
「でも歌子姫のこと好きなんでしょ」
「好きって……」
えりこは何と言おうか散々迷った。確かに好きだ。でもレズかと問われると困惑する。周囲はそう見ているのだろうか。えりこは女の子が好きだって。いや、好きなんだけど。そうは言っても……。
「大抵の女は、可愛い女の子のこと好きだよ」
えりこは言った。
「でも私はそんな恋愛体質じゃないし」
「体質っすか」
「な、なによ……」
「じゃあさあ、えりこさんって、ひょっとして、マリア?」
「は?」
……いや、意味が通じてしまった。大野女子大はプロテスタントの学校だがえりこの卒業した高校はカトリックの女子校だった。別にえりこは処女懐胎したわけではないがマリアとはつまりそういうことだ。ここでもっと一般的な言い方をされたら踊りを中断しこいつをはっ倒した上でセクハラ被害を訴えるところだったが、しれっとこんなことを言われたら黙り込んでしまうしかない。
 曲は中盤に差し掛かっていた。カーペンターズの"There's a kind of Hush"は間奏が秀逸だ。ここが踊りを一層良くしている。いつも踊りが盛り上がってわくわくする部分だが今日のえりこは動揺して自分が何を踊っているかわからなかった。柳沢には見よう見真似でも女子をリードするなんて高等なことできないのではあるがえりこも彼が周囲に合わせてなんとなく動くのに任せ、手を広げ柳沢の手の下をくぐり、バタフライポジション、また手を広げて上げ……また第2パートに戻って、そして第1パートへ。そしてとうとうエンディング。その間二人は一言も口をきかなかった。一体こいつ、何考えてるんだろう。えりこは怒ってみせることも笑い飛ばすこともできず、柳沢も何も言わない。
 そうだよ! 私は彼氏いない歴イコール年齢だよ! 文句有るか! 心の中で叫びながらえりこは、いつもと変わらぬクールな顔でパートナーに「ありがとうございました」と挨拶して、とっとと同期のところへ戻った。それからどっと冷や汗が出た。
 下級生の男なんかの言葉に動揺するなんて。菊地じゅんあたりなら豪快に笑い飛ばして終わりになるところなんだろうが(彼女がマリアなのかどうかは知らないが)、彼は相手を選んでいるのだ。大人しそうな、女子校出の女を馬鹿にして、からかったのだ。いつもお高くとまってる女の鼻っ柱へし折ってやったとでも思っているのだ。えりこは酷く口惜しくなった。だから男なんて。多少俗世間を知ってるだけで全ての真理を掌握しているかのように勘違いして、世間知らずの人間を劣ったもののように思いこんでる。未成年の餓鬼にえりこや歌子姫の何がわかるというのか。彼が多少何か世間について知っているとしたら、反対にえりこのように育った人間の世界や論理を知らないということだ。多数派の論理を絶対と思って満足しているなら彼はそれまでの人間ということ。一丁前に酒なんて飲んで大人になったとでも勘違いして、世界を手に入れたとでも思ってるけれど、えりこの心はあんなやつらの決して手の届かない所に有る。好きなように笑えばいい。
 えりこが突っ立っていると同期のめぐに肩を叩かれた。
「えりこちゃん、どうかした?」
「え、ううん。なんでも」
「顔色悪いよ?」
何だか胃が痛い。ちょっと興奮したせいだろうか。でも我慢できない程ではない。この場から逃げ出して柳沢のやつに弱みを見せることになるのも嫌だ。えりこは我慢することにした。
「えりこさん、こっち座りましょう。これ頂いてきました」
気が付くと歌子姫が紙コップに麦茶をいれて持って来てくれていた。何も知らない歌子姫の笑顔を見てえりこはほっとした。彼女といい、常に他の子を気にかけてくれるめぐといい、えりこの周りには優しい女の子が一杯いる。やっぱり女子の方がいい。よかった大野に入って。えりこには女子校が肌に合ってる。

 柳沢のせいで午後の練習は本当に最悪なものになった。だけどやっと例会は終わる。ラストパートでイスラエルのマナブー(Ma Naavu)がかかった時、チェーンの一番後ろについていたえりこのもとに、歌子姫が駆け寄ってきて、右手を差し出した。普段はそっちを見なくてもすっと手を繋ぐことは可能だったけれど、振り返ってじっと歌子姫の方を見ると、彼女はえりこの掌を下に向けた左手に上に向けた右手を下から重ねてきて、「お願いします」と言った。これは言っても言わなくてもいい挨拶だが言った方が丁寧だ。
「お願いします」
えりこも言った。すると歌子姫はにこっと笑った。
 右足前にトータッチ(つま先で地面をトンと触る)、右足右前にトータッチ、右足をうしろへステップ、左足を右足に揃えて、右足を前へ踏み込んでスウェイ。という風に始まる。割と簡単なのでえりこも頭では覚えていない。ほとんど体で覚えているのだ。動かすのは自分の足ばかりのようにも見えるが、体の向き、腕の動かし方、呼吸、全てが隣の人と連動している。意味も無く手を引っ張ったりすると隣の人は引っ張られた方向へ足をステップしてしまうので踊りが変わってしまう。一番右の人、リーダーに合わせてチェーンは進み、マナブーの静かな調べが、夏の夕方の蒸すような空気の中、進路を穏やかな終演へと導く。
「えりこさん」
いきなり歌子姫が頭をえりこの肩に預けんばかりに近寄せて、何かに酔ったようにつぶやいた。それは音楽になのか、踊りになのか、何か魔法じみた不思議な空気が体育館には漂っている。夕方の強い光が体育館の窓から入って来て、人々の白いTシャツを赤く染めた。皆の影が床の上に踊っている。影絵のようだな、とえりこは思った。
「私、えりこさんと踊れて嬉しい」
そう言うと歌子姫はさっとえりこから離れ、適切な距離を取った。多分、今歌子姫がえりこに接近し過ぎた分、歌子姫の後ろについている2男が引っ張られてペースを乱したはずだ。それを見てえりこはちょっと笑った。今フォークダンスを踊っているんだなと実感した気がして。
「今日は来てくれてありがとう」
えりこは言った。その言葉はえりこの左隣にいる歌子姫に向けて言ったものだったが、えりこの右側にいる植津も聞いていて、何故だかきゅっとえりこの手を強く握った。普段だったら踊りの合図だと勘違いされるのでそういうことはしないのだけれど。それだけでさっきまでの最悪な気分がどこかへ行き、えりこは何だかハッピーな気分になっていた。

 体育館を軽く掃除して、この日の練習は終わり。皆連日の猛暑とそこそこハードな運動にもめげず元気な足取りで宿に帰って行く。まだ日も長く午後6時は大分明るかった。それでも影の長さや一瞬突きぬける風のわずかな涼しさの中にはほんのり秋の気配がして、通り過ぎていく季節を嫌でも感じずにはいられない。舗装されていない道の砂ぼこりすら愛おしい。
 十代の頃えりこは毎日が新鮮で、それは嫌な事も小学生の頃とは比べものにならないくらい多かったけれど、これから次々新しいことに出会って、全てが良くなっていくんだ、その喜びは永遠に続いて、悲しみはやがて終わるんだというような変な錯覚を抱いていた。だけど今のえりこは、永遠なんて無いし終わらない悲しみだって有ることを知っている。この合宿も半分終わってしまった。短大生の歌子姫は来年の春卒業する。そうかえりこも来年で現役は終わり、民舞から離れなければならないのだ。えりこはこれまでいつだって未来に期待して、別れればまた出会えばいいなどとわかったようなことを思って平気でいた。もちろんまた出会いもあろう。でも若い時の時間は、人やものごととの出会いというのは、ひとつひとつがかけがえのないことなのだと認めざるを得ない。えりこは普段こんな感傷主義ではないのだけれど。隣を歩いている歌子姫の横顔を見ているとなんだか寂しくなってきてしまった。
「歌子さん、また会えるかな」
ついえりこは自分から声をかけてしまった。歌子姫はえりこの方を向いて嬉しそうに目を輝かせた。
「ええ、今夜だって。宿で夕ご飯食べたらまた来てもいいかしら」
自分から話を持ち出したのに、えりこはちょっと考えてしまった。えりこにとって自分のところのサークルが大事なのと同じで、歌子姫にとっても華栄の民舞は大事にした方がいいのだ。何かサークル内でごたごたしている様子ではあるが、せっかくの夏合宿という大イベント、仲間とちゃんと話し合って、仲良く過ごした方がいいに決まっている。もちろんよそに遊びに行くのも貴重な体験だけれど、あまり彼女の仲間と過ごす時間を奪ってしまうのも悪いんじゃないか。華栄の子達も歌子姫と仲直りしたいと思っているかもしれないし。
「ごめんね歌子さん、今日は2女で話し合いするかもしれないし、よかったら明日の夜また会おうよ」
自分の口調は偉そうじゃないかなと心配しながらえりこは言った。歌子姫は素直にええと言った。その様子が少し寂しそうで、えりこは胸が痛くなった。えりこだって彼女と一緒にいたいけれど。でもこうやって突き離すのは別にえりこが歌子姫を教育してやろうなんておこがましい考えからじゃなくて……もしかしたらやっぱりそういう上から見ているところはあるのかもしれないけれどそういうつもりじゃなくて、彼女の時間を尊重したい、のだ。そうなんだ。自分ではそのつもり。
「それじゃ、えりこさん、明日夜また会えたら、ね。私来るわね。うちに来てもいいけど、うちより大野の方が、居心地いいわよね……?」
「あ……そっか……ううん、私はどっちでもいいよ!」
「じゃまた明日考えましょう」
「一人で帰って大丈夫?」
「うん、まだ6時だし」
「じゃあまた明日ね」
「ええ。さよなら」
歌子姫はダンスシューズの入った巾着袋を胸に抱いたままぺこりと頭を下げ帰って行った。1女達が黙ってその様子を見ている。誰も何も言わなかったけれど何となくよその大学の人に対して馴染めないような、歌子姫を受け入れるのに抵抗があるような、変な空気だった。まあ、大野女子は結構排他的なサークルだから仕方が無いのだけれど。

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written by Nanori Hikitsu 2013