ラウンドの女王編p10

「まったく、えりこってば!」
体育館から宿へ向かって早足で歩きながら、植津はずっと怒っていた。
「何怒ってるの」
「もう! えりこは! あの子おかしいわよ。えりこに色目使って、息も触れ合うほどべたべたくっついて、ゆ、指までからめて手なんか握っちゃって」
「ええ? ちょっと待ってよ。何の話? 私達ラウンド踊ってただけだよ?」
えりこは心底びっくりした。歌子姫がおかしいって。色目って。何のことだというんだ。
「ああ、そっか、植津ちゃん高校共学でしょ。私女子校だったけど、女の子同士で手繋いだりはよく有ったよ。それにフォークダンサーが手を繋ぐのは日常茶飯事じゃないの」
「じゃああんたは、例えば遊行さんと1年の柳沢が2人男同士で手を繋いで、体育館の片隅で見つめ合っていちゃいちゃしてても平気なのっ?!」
「いちゃいちゃって……それは嫌だなあ」
「でしょ? あんた達すごい雰囲気ヤバかったって」
「あ、でももし遊行さんに彼女いなかったら、別に男同士の恋愛を否定はしないよ」
「れ、恋愛って!!」
言い出した植津の方が真っ赤になってしまった。
「あんたそこは否定しなさいよ。あんたもしや、本当にそっちの……」
「ううん、別に私の場合はそういうんじゃないよ。私恋愛とかよくわかんないし。歌子姫は好きだけどね」
「ああもう、女子校育ちは!」
「だってうえちゃん、うちは女子大だよ」
そう言ってえりこは笑った。本当に、こんなこと笑い話でしかなかった。長く女の園にいると共学の子と少し感覚が違ってくるのかもな、くらいには思ったが。しかしえりこは先程自分が「歌子姫は好き」だと発言したことをふと思い出し、あれ、と思った。……いつの間にこんなに自然に好き、と思うようになったのか、よくわからなかったのだ。あのきれいな子のことを。ただ単に、一緒に踊ってとても楽しい時間を過ごした。それだけなのに。よくわからなかったが、えりこは歌子姫の低く澄んだ歌声を思い出して、ちょっと焦った。


****************

 そんなこんなで合宿2日目。えりこのゴニーツァのコールは無事終了した。えりこは大荷物になるにもかかわらずちゃんとルーマニアの民族衣装を持って来ていたのでコールではそれを着用した。刺繍入りブラウスに、アンダースカート、前後に二枚のエプロンのように垂れたオーバースカート。これは十年以上前の先輩たちが手刺繍で作ったのを受け継いで部室で管理している、大変貴重なものだ。美しい東ヨーロッパの刺繍もどきの色彩を、えりこは非常に好んでいた。民族衣装はデモの時やパーティの時の他は、コーラー(皆の前で踊りの説明をする「コール」をする人)しか普段着ることができない。だから女子の憧れでもある。きれいな衣装を見て1女も関心を持ってくれるかな、と思って、彼らを見ると、一番手前にいてえりこと目が合った尚美がびっくりしたように飛び上がった。
「え、何……」
「あ、いいえ……」
尚美は照れたようにもじもじしてうつ向き、スカートの裾を指で手繰っている。
「ゴニーツァどうだったかな」
「ええ、難しかったけど、憶えました……」
「え、もう憶えたの?」
「はい、だって、えりこさんの踊り素敵だから……」
すると狩野メイコと美登里までくっついてきて、口々にえりこを褒め称え始めた。
「私、2女の中でえりこさんの踊りが一番上手いなって思ってました」
「私も」
えりこはびっくりした。何だ何だ? 今までと何だか空気が違うじゃないか。
「何? どうしたの? 皆ヘンだよ?」
尚美は狩野メイコと目配せし合い、ね、ね、と頷くと、
「私達、えりこさんを守る会を結成したんです」
「は? 守る会?」
「ええ、大野女子のラウンドの女王、えりこさんを他大の人に奪われないよう、特に相川歌子からえりこさんを守るべく、手を取り合ってお守りする会を立ち上げました。私達頑張ります」
「……」
こういう時どうしたらいいかさすがのえりこにもわからなかった。
 尚美達はいかにも女子校のノリでキャッキャしている。実は彼らは、前々からえりこの踊りに惚れて先輩と仲良くしたがっていたけれど、なにしろえりこは愛想が無いので周りも盛り上がれず、物静かなお姉さま的存在として遠巻きに眺めているだけだった。しかし昨夜体育館に歌子姫が乱入して、えりことの間柄が何だか不穏な事態にになっていることが1女の間で噂になり(いや体育館に1女はいたのだ)急遽えりこを守ろうという気運が高まったらしい。女の子との付き合いには慣れているつもりだったが、なんとも最近の若い子のことはよくわからない。ひとつ学年が違っただけでかなりの世代差を感じる年頃でもある。えりこは戸惑った。
 ふと見ると、チヨコがじっとえりこの方を見ていて、この子もまた何か突拍子もないこと言い出すんじゃないかとえりこは身構えた。
「えりこさん、練習着に着替えるんですか」
「うん、汗かいちゃうからそろそろ」
チヨコはさっとえりこにくっついてきて、更衣室の方に引っ張って行った。
「私ゆうべ歌子姫について華栄の合宿所まで行ったんですけど、えりこさんに伝言頼まれたんです。今日はうちに遊びに来ませんかって」
「え? あ、そう。ありがと……」
「行かれるなら私案内しますよ。ほとんど一本道ですけど」
「あ、本当?」
えりこは悪くないな、と思っていた。歌子姫と踊るのはすごく楽しかった。また彼女と踊りたい。しかし……1女の守る会とやらが何か言って来ないだろうか。
「昨日はむこうの飲み会楽しかった?」
「ええまあ、普通の飲み会でしたよ」
「そっか、それなら行ってみてもいいかな……」
「でも、歌子姫はあのまま部屋に引っ込んじゃって、その後顔出しませんでした」
「ふうん」
「だから歌子さん、今日も飲み会のお誘いじゃなくて、えりこさんと踊りたいんじゃないかなぁ……」
「へえ……」
チヨコが案外まともに物ごとを観察しているのに驚いた。明日えりこはブルガリアのガンキノ・ホロ#2のコールが有るので、今夜は指導部のもとでコール練をして、OKをもらったらすぐ向こうへ行って、あっちでガンキノホロの自主練をしてもいいな、とえりこは思った、歌子姫のブルガリアも見てみたいし。
「じゃ、今日私のコール練終わったら、一緒に華栄行こうよ。チヨコちゃんも一緒に踊ろう」
「案内だけしたら私先に帰りますヨ」
「なんで? せっかくだし」
「邪魔したくないですもん」
「邪魔じゃないよ」
えりこが驚いてチヨコを見ていると、チヨコはじいっとえりこを見つめ返した。何だろう?
「えりこさんてよくわかんないな。何考えてるのかなって」
「あのねえ……」
えりこはため息をついた。
「変な噂立ってるみたいだけど、皆勝手にいろいろ決めつけないでよね。私と歌子さんは友達になったばかりで、そういう意味では盛り上がってる最中だけど、そりゃ男の子と仲良くするより女の子と仲良くする方が楽しいし、もちろん女の子は好きだけど、歌子姫の場合は踊りに憧れるところが大きくて、そこにすごく心を動かされて、まあもちろん綺麗だし個人的には好きだけど」
言いながら自分の言ってることがどんどん怪しげな方を向いて行くことに気付き、えりこは黙った。
「……まあその」
「ま、いいですけどね、別に。夜は他の1女に見つからないように行きましょうね」
チヨコはそれ以上追及せず、先に皆の所へ帰って行った。


 一般的に若者のフォークダンスサークルの男女比は、大体同じくらいではあるが5:4で男の方が多い。地域差はもちろん有ると思うし全部が全部ではないはずだがえりこの知っている団体の多くがそうなので多分そういう傾向が有ると思う。これはそのサークルが踊っているバルカンダンスの数にも関係が有って、学生以外の、例えばフォークダンス人口の最も多いと思われる主婦サークルなどはほとんどバルカンを踊らなくて、男性が少なく、9割方女性、男性が一人もいないという所も多い。一方学生はバルカンをかなり多く踊って女性が少ない。女性がバルカンを嫌っているということなのだろうか? 男性の方がバルカンを好むということなのか? バルカン好きの女子も大勢いるけれどどっちかというと少数派かもしれない。バルカンダンスは東ヨーロッパのバルカン半島の踊りのことで、リズムもフィギュアも小難しくマニアックでとにかく体力を使う。男女で組むカップルダンスより、圧倒的にベルトホールドなどで一列に繋がる「チェーンダンス」が多い。バルカンという地名の通り、ブルガリア、マケドニア、アルバニア、トルコ、セルビア、ギリシャ辺りの踊りを指すが、ルーマニアやアルメニア、アゼルバイジャンなども多分一緒に分類される。まあそれはいいとして、学生サークルの福徳・大野女子ではダンサーは女性の方が少ないので、ラウンドや西ヨーロッパのカップルダンスを踊る時女性が人数的に余ることはあまり無いはずなのだが、男子があまり踊りたがらず、そもそも踊りを知らなかったりして、結局誰とも組めずに踊れない女子が出る。この間チヨコが男子の踊りを踊るなと注意されたように、男子が余っている状況で女子同士で踊ることも禁止されているのだ。全ての踊っていない男子に意思確認をしてからでないと女子は女子と踊ることもできない。そしてまた、男Aが女Bにカップルダンスに誘われて断った曲を、男Aが女Cに誘われて、あ、この子タイプだなと思っても、応じてはいけない。これは断った女Bに対して失礼な行為だからだ。一度断ったらその曲は踊れない。そういうルールが有るくらい、踊りでカップルを組むこと自体が面倒なやりとりなのである。そういう訳で、初めカップルダンスが好きだった女子も、学年が上がるにつれ踊らなくなるものなのよね、と部長の黄葵さんが教えてくれた。
「何人に申込んでもパートナーを断られ断られ、男子が嫌々踊ってくれちゃったりして申し訳なくもなるし、そこまでして踊るのも面倒になっちゃったりするし」
「葵さんもそうだったんですか?」
えりこ達が聞くと、葵さんはのんびり笑って顎に指を置き、頷いた。
「だから1女や2女が男子の所へ駆け寄って踊って下さいって言ってるのを見ると、若い子は違うな、積極的だなって思うわ」
今はフリータイムで、曲が次々かかっているが強制参加ではない。ラウンドダンスのテネシーワルツが流れカップル好きの一年生が踊っているのを皆で観ていた。
 葵さんは随分年食ったようなことを言うがやはりえりこと一つしか違わない。ここにも世代間格差が有るのかとも思うが、それだけでなく確かに何かこう、この先輩は顔つきといいしぐさといいエレガントというか、一歩引いているというか、時折大学生らしからぬペシミズムを醸し出しているので発言には妙な説得力が有る。そうなのか。こうして一年生が何も考えず楽しそうに踊っているのも今だけの貴重な時間なのかもしれない。2女のえりこですら既にカップルダンスの面倒臭さには気付いていた。カップルダンスが嫌いで渋々踊っている男子と組む程嫌なことはない。だけどそれが、相手がいる、ということだ。一人でフォークダンスは踊れない。
「この間合同例会でかかってたんですけど」
1女の尚美が葵さんの座っているパイプ椅子の下に座り込んで、先輩を見上げて尋ねた。
「ラストワルツって、うちの大学には無いんですか? とっても素敵なワルツだった」
合同例会は毎年初夏に有る、関東フリー校合同のパーティである。フリー校とは全日本学生フォークダンス連盟非加盟大学のこと。
「ああ、ラストワルツ?」
葵さんはにこっと笑った。
「うちでもやってるわよ。最終コールよ。11月に3年生がコールするの」
3年が引退間際に最後にするコールで、このコーラーの座を巡って3年生の間で毎年バトルが有るという。2年の次期役職会議も相当面倒なバトルだが、3年もご苦労なことである。
「でも普段の例会でラストワルツかからないんですか? 私うちでは一度も見たことないですけど」
チヨコが不思議そうに言う。ラストワルツはラウンドダンスの華で大人気なので、よその大学ではパーティで必ずかけるし、例会でも普段からどんどんかける。よその大学のパーティや例会に遊びに行ったことが有る人なら必ず見たことが有る踊りのはずだ。
「ああ、それはね……」
葵さんが言いかけるのを、すかさず植津が引き取った。
「ラストワルツは神聖な曲なので、最終コールの時と夏合宿のオールナイトパーティの最後以外ではかけないことになってるのよ」
……。そう。例会担当で曲決めをしている2年生には周知の事実だが、かけちゃいけない曲なのだ。ラストワルツと、フィーリンと、ラブイズブルーの3曲は「3大ワルツ」と言って特別視して福徳・大野では普段の例会では絶対にかからない。昔の指導部が決めた妙な習慣の一つである。そもそもラブイズブルー(恋は水色)はワルツ(3拍子)じゃなくて4拍子の曲だ。何が3大ワルツだ……とつっこみを入れたい部員も多い。
 チヨコはまたそれですか、と不満げな顔をしたが、それは植津が決めたことじゃない。えりこもチヨコの不満はわかる。現実問題年に2、3回しか曲をかけないのでは踊りを誰も憶えられないではないか。しかしそういう実際性を完全に無視していて尚人を強引に黙らせえりこの心に深い感銘を与えたのは、植津の言った「神聖な曲」という言葉だった。
 確かにフォークダンスには神聖な空間というものが有るように思う。他の種類のダンスにそういうものが存在するのかえりこにはわからないが、例えばフォークダンスで見られる、輪を作って皆で手を取り合って踊る円、いわゆるサークルというものの中は神聖な空間なので、民舞人は輪の中を決して横切ったりしない。向こうへ行きたい時は円の外に出て移動する。この決まりは全国共通、どこのフォークダンスサークルに行っても徹底されている。そういう何となく恐れのようなものすら感じる空間を大事にすることで、混沌とした場所に秩序や規則性が与えられ、人の有るべき姿、辿るべき道筋が付けられ、そしてLOD(Line of Dance、進行方向、円の中心に向かって右手の方向)上に自然崇拝の時代からの人類の頼るべきもの、道標が自ずと示されるように思えた。
 まあ普段滅多にそんなこと考えないけれど、ね。
「そうそう、合同例会で吉乃さんと遊行さんがラストワルツ踊ってたけど、素敵でしたね。もし彼氏いたら」
尚美がちょっと恥ずかしそうに、
「一緒に踊りたい曲だなあ」
「でもさ」
今度は2女の菊地じゅんが身を乗り出してきた。
「あれって"最後のワルツ"でしょ? 何か不吉じゃない?」
そうなのである。エンゲルベルト・フンパーディングの有名なナンバー、ラストワルツは歌詞があまりおめでたくない。ダンスパーティの最後の曲を踊って知り合った男女が恋に落ちるまではいいけれど、だけど恋の炎はやがて消え彼女のさよならの言葉と共に僕の心臓は砕けてしまうのだ。歌詞は英語なのでよく聞いてみて欲しい。これを民舞人カップルがロマンチックに勘違いして、パーティで必ず一緒に踊る約束するわ、大学卒業後めでたく結婚した披露宴で踊るわ、ちょっとドリーマー過ぎるんじゃないかとえりこも思っていた。まあいい曲で素敵な踊りなので深く考えなければ別に自由にして頂いていいのだが。
「不吉なワルツといえばテネシーワルツもそうじゃない?」
2女の深田くるみも何故か目を輝かせて言った。
「ダンスパーティで友達に彼氏を紹介して、二人で踊らせたら、その場で二人が恋に落ちちゃった、って歌でしょ」
「うわ、不吉」
普段恋バナなんてしない冷めた2女集団だがこういう話になると俄然盛り上がる。
「テネシーワルツを耳にするたびにそんな悲しい思い出が蘇るなんて嫌過ぎる」
「あれパーティで必ずかかるよ。ラウンドパートになったら逃げ出しちゃうね」
「民舞で実際有りそうで怖くない?」
「あるある! 絶対そういうこと有るよ実際」
2女が盛り上がっている横で、夢を壊された1女が目を丸くしていた。いや本当申し訳なかったとえりこは後で反省したが。
 そういうえりこは、ぼんやりとゆうべのことを思い返していた。歌子姫と踊った"Could I Have This Dance"。一緒に踊ってくれますか、といういう意味だろうか。どういう歌詞だろう。歌子姫は英語でさらっと歌っていたけれど。今夜聞いてみようかな。ラウンドに限らずフォークダンス曲には歌の付いているものが多いから、いろいろ想像を巡らしながら踊るのも楽しかった。歌子姫と踊ったあの曲は、タイトルも謙虚で慎ましやかな、だけど心震わされる踊りだった。そんなに技巧の凝ったフィギュアではなかったかもしれないけれど、ロマンチックでゆったりとして、幸福感の漂う踊り。早く彼女に会いたい、とえりこは思った。その時Could I Have This Danceのメロディがえりこの頭の中に流れ出した。

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written by Nanori Hikitsu 2012