ラウンドの女王編p8

夏合宿が始まった。一面、黄色くなり始めた美しい水田――東京から離れ在来線でがたごとやってきたのは新潟県南魚沼郡。冬場はスキー客で賑わう土地は、この時期大学のサークルの合宿所になる。仲山ヴィレッジという個人経営の宿は小さな体育館を所有していて、ここ十年くらい福徳、大野女子フォークダンス部の夏合宿の面倒を丸ごと見てくれている。宿主は仲さんで、お祖父さんが山師をしていたからということで仲山という名前にしたんだとか。本当かどうかは知らない。
 新潟コシヒカリの産地であるこの辺りは道路沿いにずっと田んぼが広がっていて、形よく青々と並んだ稲の穂先は黄色くなり、風が吹くとめいめいに揺れた。稲と稲の間に一畝二畝里芋が植わっていて、黄色い稲穂の間に濃い緑の大きな葉が彩りを増し逞しく育っている様は、豊かな印象であり、東京からの客をのどかな気持ちにさせた。
 えりこはめぐ、菊地じゅん、3年の新見瞳さん、すみれさん、1年のチヨコと同室になったが、植津とは違う部屋になってしまった。せっかく役職のことを話そうと思ったのにな、と考えたけれど、やっぱり他学年の人が居るのに同じ部屋でそんな深刻な話はできない。どちらにしろどこかで2女で集まって話し合いをしなければならないのだ。
 合宿日程は5泊6日。4日目には河原でバーベキューをする。えりこのコール(皆の前で曲を教える)は3曲。
2日目にルーマニアのゴニーツァ。これは簡単。
3日目にブルガリアのガンキノ・ホロ#2(ナンバーツー)
5日目にメキシコのキャバリート・ブランコ
もちろんコールまでの間コーラーは各自自主練。5日目の夜はオールナイトで踊り6日目は午前中に全コール曲をかけて終わり。随分盛りだくさんで大変な合宿だなとえりこは思う。今年はこのハードスケジュールに来年度の役職を決める話し合いが加わる。こっちはちょっと気が重い……。
 早速練習着、つまりTシャツとひざ丈スカートに着替えた。今回は合宿に合わせて2女(2年女子)でお揃いのスカートを各自手作りした。えりこはそんなに裁縫は得意でないのであまり出来は良くないが、何故か豹柄で揃えたので他に見たことも無い。既に愛着が有る。大野女子大では練習用スカートもできの良い物は代々受け継いで使っている。今までは上級生に貰ったものを3着着回していたが、ようやくオリジナルが加わったのだ。
 或る程度裾の広がるスカートにTシャツ、スカートの下にはいわゆるペチパン……女子高生がミニスカートの下に履いているもの、そしてTシャツの上にベルトを緩く締めて、バックルを背後に回す。ストッキングにダンスシューズ。これが正統派・民舞女子のダンススタイルだ。
 一日目の午後からしっかりコールが有って、お祭り気分は置いといてとにかく練習し、基礎ステップを体に叩きこむ。暑さなんてなんのその、汗を流しながら皆真剣に踊っている。ああやっぱりこういう真剣な空気好きだなとえりこは思う。九月だけどえりこの夏はまだまだこれからだ。

 仲山ヴィレッジの人が用意してくれた冷たい麦茶を一年生が持ってきた。彼らはお茶係。そういえば去年えりこもやったのだった。各自持ってきたマイカップやサークルで用意した紙コップでお茶を飲み飲み合宿は続く。この合宿で目玉の一つになっている、男子のプリシャドカ1000回というイベントが既に始まって、体育館に休み時間ごとに増えていく床に倒れた1男の山がこのサークルの風物詩でもある。
 プリシャドカというのは一般的にはロシアの踊りの中で技を見せることを言うのだが、一番よく見かける技がスクワットなのでこれをプリシャドカと言うことも有る。我が福徳・大野ではプリシャドカと言えばスクワットを指す。 民族舞踊における男性パートは男らしさを表現する勇壮な動きが多く、腕立て伏せやらスクワットやらが踊りの中に遠慮なく出て来る。それに耐えられる強い体を作る為、男子はこの合宿の6日間で合計1000回のスクワットプリシャドカをすることになっている。やり方は、膝を折って完全にしゃがむ、そして膝を伸ばして地面を蹴り一瞬宙に浮いて完全に立ち上がる。ここの完全な立ち座りの手を抜いてはいけない。しゃがむ時に両手を体の前で∞の形に回し、立ち上がってぱっと開く。つまり1,2でしゃがみ3、4で立つ。いや、実際の踊りを見ると1、2、1、2でしゃがむ→立つを延々と繰り返したりするので早いペースの連続スクワットと思って頂ければ結構。踊りの中で出て来るプリシャドカスクワットには実際はもうちょっと細かいポーズが付くのだがそれは省略。
 まあ一日200回やれば余裕で合宿中に終わるのだが、たかがフォークダンスというお気楽気分の抜けない一年生にはちときついだろう。
 男子がプリシャドカをしている間、女子は横でピルエット練習。軸足に反対の足をかけてヒールを使ってくるんと360度回る。それだけ。プリシャドカに比べると楽では有るが、綺麗に回るのはやはり大変だ。とはいえやはり男子の方が踊りは体力を使う。その分男子はかっこいい踊りができて、やりがいも有るというものだろう。プリシャドカ1000回を終え、連日の飲み会に耐え、オパンケ(ブルガリアの革靴)一足作り終えたら一年生も立派な民舞人だ。ひと夏頑張ってくれたまえ。
「えりこさん今これで君も一人前の民舞人だ、頑張ってくれたまえとか思ったでしょ」
1男の柳沢忠勝にずばり言い当てられた。えりこは思わず動揺したがつんと澄まして別にそんなこと、と言った。 合宿中何度も時間を割く予定で今日第二回目のプリシャドカ練を終え、一年生たちがぐったり座り込んでいる中、柳沢はオレンジ色のタオルを首にかけ、ぼんやり突っ立っている。緑のTシャツにオレンジのタオルなんて、なんという暑苦しい色彩だとえりこは思ったが、こいつ自身は非常に細く背丈も有って、どこか冷めたところのあるクールな男なのだ。
「えりこさんてちょっとそういうところ有りますよね。冷めてるというか」
おまえが言うかと驚いたが、
「っていうか、本当は情熱的なのにクールな自分を演出しているというか」
「は?」
「いや本当えりこさんって面白い人なんじゃないかなと」
「……」
下手に反応するとまた変な指摘をされそうで、えりこは黙ることにした。クールな自分を演出? 自分は下級生からそういう目で見られているのか。えりこは内心どぎまぎしたが、それを知られるのは嫌だ。なるほど既に柳沢の言う通りのことを自分はしているのか。
「それより柳沢くん、プリシャドカきつくない? 何回できた?」
後輩の生意気な言葉にいちいち動揺するのも馬鹿馬鹿しい。それより彼らが合宿を期にサークルに根付いてくれて、できるだけ居心地良さを感じられる環境を整えてあげるのが、上級生となった自分の務めだ、とえりこは既に頭を切り替えていた。
「あ、一応300回終わりました」
「300……、すごいね」
えりこが黙ってしまったのは一瞬意味を見失ってしまったからだ。
「え、普通かな。すごいとかそれだけ?」
「あ、えーと、本当尋常じゃなくすごいね! 頑張ってるんださすが」
「適当なこと言ってません?」
「……ハァ」
まあえりこのようなぼんやりした人間でもちょっと考えたら6日間で1000回する予定のスクワットを1日目の夕方に300回済まして少しも疲れを見せない、というのは大変なことなんだろうなとわかる。そんなに筋肉も付いていなさそうに見えるのに実は逞しいんだなとは思ったが、それで男らしさに惚れ目をキラキラさせて感心してしまう程女子校育ちの女は単純じゃない。と思う。自分から聞いておいて何だが、えりこに関して言えばそれがどーした、なのだ。いや努力や才能は素直に尊敬するが、柳沢のようにしつこく称賛を要求されてもハァとしか言いようがないではないか。こいつやっぱり現代っ子なんだなとえりこは思った。自分も1学年しか違わないけど。

「柳沢くん、すごいね」
文末に星マークでもついていそうな調子で1女のチヨコが突如口を出してきた。ああ、この子もちょっと変わった子で。えりこは彼女の扱い方がわからなくていつも戸惑う。これまでいろんな女の子に会って来てあまり深く関わらない限り大抵の子とは仲良くできていたのだが、最近いろんな子と知り合って、自分の世界の狭さ、度量の小ささを知った気がする。まあつまり……ちょっと苦手なのだ。
「プリシャドカ300回もやったんだ。すごいー。インテェリゲンツィヤーかと思ってたら、実は文武両道っていうの、そのギャップがすごいよね。いいなあチヨコもやりたい。どうやるの? 教えてくれる?」
台詞を棒読みしたみたいな一本調子の声ではあるが、こうやって怪しい語彙を駆使して男子を立てるところはえりこより賢いことのできる女なのだと思う。
 チヨコというのは最近女子大生の間でも目立ち始めたいわゆるロリータ系のファッションの子で、顔の横の髪だけを頬の辺りでぷつりと切り揃えた「姫カット」をしている。えりこもチヨコに聞くまでは知らなかったが彼女のピンク色のひらひらは「ゴスロリ」というのとは違うらしい。「ロリータ」は「ロリータ」だが「ゴス」ではないのだそうだ。頭に変な帽子を乗せて毎日JRに乗って大学までやってくる。サークルの時もどこで見つけるんだかレースやリボンの付いたTシャツ(カットソーに入るのか?)に短いひらひらのチュールスカートを合わせて、小奇麗な格好で踊っているので、汗かいたりベルトが擦れて服を汚したりしないか、見ている方が心配だった。それに踊る時も長い髪を結わないので周囲の人は彼女の髪を引っ張ったり掴んだりしないよう気をつけねばならない。これが結構神経使うのだ。一応お願いはしているが一年生だから上級生はきつく注意しないし、髪を結わねばならない決まりも無いので周囲が気を遣えば済むことなのだけれど……。
 まあ、本人がどんな服装をしようと勝手なのだしそれについてえりこは特に何とも思わないけれど、そうやって目立つようなことをする子が目立たない性格をしている訳も無く、この保守的で皆一律に決まったことを決まった通りに行う人々の中でちょっと浮いているのは確かだった。

 柳沢が乞われるままチヨコにプリシャドカを教えていると、指導部員の三年生春香先輩がそろそろと寄って来て、えりこの肩を叩いた。
「えりこちゃん、ちょっと、ね」
「あ……はい」
えりこが黙認しているのはよくないと言いたかったのか。いやしかし……相手は一年生で、楽しんでやっていることにケチをつけるのも……。
「何ですか? 春香せんぱい」
愛想の良いチヨコは人の動きにいちいち反応してまとわりついて来る。こういう所は可愛いのだ。可愛いのだけれど……その分自分たちが悪いみたいでえりこは気が咎めた。指導部の意向はこの子に伝えない方がいい。そうえりこが決めた時、大きな声が横から飛んできた。
「女子は例会中、男子の人数が不足している時以外、男子の踊りを踊ってはいけません」
皆驚いて声の飛んできた方を向いた。そこにいたのは2女の植津だった。彼女は明るい表情でにっこりと笑っていたけれど、言葉はきっぱり容赦なかった。ああ……面倒なことになる。えりこは頭を抱えた。一年生たちはぽかんと植津の方を見ている。
「男子は女子の踊りを踊らないし、女子は男子の踊りを踊らないの。それが福徳・大野の伝統なの。ですよね? 春香先輩」
「え、ええ……」
そう、指導部の春香先輩はさりげなくそれをえりこに注意しに来たのだ。プリシャドカは男子の踊りなのだ。
 全く、こういう暗黙の了解は守りたい人だけが守っていけばいいのにとえりこは思っていたものだ。大野の子は自分たちのサークルでは男性舞踊を踊らない。どうしても踊りたい時は正式な例会や強化練、合宿ではなく個人的に体育館脇や空き教室、芝生前へ行くか、家で資料を読んで予習し他大の例会、他大のパーティへ行って踊る。それも多分創立以来の長い伝統ではなく、過去の誰かが個人的解釈で言い出したのを誰かが不文律化してしまったのだ。他大学ではあまりそういう話を聞かないし、女子が男子の踊りに入ったり男子が女子の踊りをしたりするのはむしろやる気の表れだった。
「ええ……? そうなんですか? どうしてですか?」
それまでにこにこしていたチヨコから笑みが消えた。……まずい。
「女子と男子の踊り方は違うの。正しい踊りを次の世代に伝えていくには、きちんとコールを受けて、女子の動き男子の動きの細かい所まで、女子は女子に、男子は男子に習うべきだと思います」
常日頃そういうことを考えていたのか、植津は澱みなく自説を披露した。だがこのチヨコという子も黙っていない。
「男の子に男性舞踊習うならいいじゃないですか」
「男性と同じ動きはできないでしょ。あなたが踊ってるのを他の男子や他の女子が見て、間違った解釈をして違う踊りが下に伝わったら困るでしょう」
「下の世代、下の世代って、いいじゃないですか」
「そういうものじゃないの。フォークダンスっていう踊りはね。伝統的なものなの。私達はそうやってこのサークルを守って来たんだから」
チヨコがあからさまに不機嫌なので植津もヒートアップしてしまったのかもしれない、いつもならここまでムキになったりしないのに。
「一年生だからわからないだろうけど、勝手なことされちゃ困る。もっと自覚して。先輩の言うことはちゃんと聞くこと。チヨコは口ごたえが多すぎる」
「何なんですか。植津先輩の考え方、私好きじゃない。そんなのアナクロニズムの懐古主義で、差別的だわ。年上だから偉いって、上から言うなんて浅ましいですよ」
あ、浅ましい……って。意味わかって言ったんだろうか。一応、辞書的な意味では、「品性が卑しい。さもしい。下劣だ。(大辞泉)」チヨコは敵意さえ含んだ目で植津を見た。その目に植津も少々怯んだようだが、彼女も決して譲らない。きつい目でチヨコを睨んだ。
「ね、もういいでしょ? それくらいにしましょう。そういうルールがある、ってことだけわかってもらえたら……チヨコちゃんにはチヨコちゃんの考え方が有るし」
おろおろしながら春香先輩が場を収めようとした。すると!
「春香先輩は植津先輩と同じ意見なんでしょ? それで注意しに来たんですよね。そっちが不利になったから曖昧にしてごまかすつもりですか!」
……これだ! えりこがこの子を苦手にしている理由。一年生に詰め寄られて、三年の春香先輩はとうとう泣き出してしまった。
さすがに他の部員達も異様な空気に気付いて、皆目を丸くしてこちらを見ていた。
「ね、チヨコちゃん。今は例会中なんだし。言い争う場所じゃないでしょ」
えりこは慌ててチヨコを春香さんから引き離した。
「えりこさんはどうなんですか!」
「えっ?」
鋭い目が今度はえりこを睨んだ。
「えりこさんも指導部の味方ですか」
「味方って……」
えりこがたじたじしていると、チヨコの後ろから手が伸びて来て、彼女の肩を掴んだ。
「もうやめろよ、チヨコちゃん。先輩たち困ってるだろ」
柳沢だった。
「だって、柳沢くん」
「役職の有る人は自分の好き勝手なことできないんだよ。おまえいつも先輩たちによくしてもらってんだろ。そういう態度良くないぜ」
「……うん……」
「ほら謝んな」
「ゴメンナサイ先輩」
あら。素直に謝った。でも……えりこには一概にチヨコが悪いようにも思えない所が有った。
 春香さんは飛んできた三年の吉乃さんに連れられて泣きながら向こうへ行ってしまった。植津はプンプン怒って体育館から出て行った。
「ちょ、ちょっと植津ちゃん、パートタイム始まる……」
えりこは声をかけるが、植津はばあんと音を立てて引き戸を閉めてしまった。騒動の元チヨコはさっとトイレの方へ消えた。えりこは最後に残った柳沢と目が合い、何だか申し訳ない思いでゴメンと言った。
「何謝ってんですか」
「うん……うまく場を収められなくてさ」
「責任感じてるんだ? 真面目なんですね。あれはチヨコちゃんが悪いでしょ」
MDデッキの所で泣いている春香先輩の方を見ながら柳沢は言う。
「いや、でも……何か落ち込んじゃうよ」
「えりこさん案外可愛いとこ有るんですね」
「えっ? 可愛い?! 案外?!」
どっちにつっこむべきか迷ってえりこは口ごもった。柳沢はというと笑っている訳でも気障なことを言って照れてる訳でもなく、いつも通りぼんやりした顔をして突っ立っていた。
 なんつー一年生達だ!

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written by Nanori Hikitsu 2012