ラウンドの女王編p6

第3章:キャバリート・ブランコの夏


※踊りのステップに関しては読み飛ばして頂いても結構です

大学体育館での強化練が続く。植津とえりこの無言の睨みあいは大野女子のフォークダンス部員の間で一つの見ものとなっていた。どちらかが指導部長の座を諦めるまでこれが続くのか、それとも普通に密談が行われるのか。まったく、普通に考えれば話し合うのが当然なのだが、このサークルには伝統的に変なルールができていて、役職選択に関して個々人熟考する期間を取る為(とえりこは吉乃 さんから聞いた)夏の強化練が終わり合宿が始まるまでははっきり自分の意思を表明したり個人的に話し合ったりしないことになっているのだ。誰がいつそんなルールを作ったのか今となっては知る人もいない。おおかた女子大にありがちな変な揉め事でも有って、その時から何となく避けるようになって、いつの間にかルールになってしまったのだろう。そういうことはこの部ではよく有る。このサークルは変に保守的なので、因習を打ち破ろうとする人は叩かれる。革新的な考えの人もたまに出て来はするけれど、そういう人の論理よりは意味の無い伝統の方が支持されるものだ。 えりこもそれがいいことだとは思わないけれど、そういうところも含めた、優しい上級生や素直な下級生に囲まれ、皆価値観も似て仲良く、そうそう揉め事も起こらない、変なルールに縛られた故に結束の固い共同体を彼女は好きでもあった。伝統や格式は共同体を守る――えりこはこのサークルに入ってそれを実感として知るようになった。まったく、東京に暮らす二十歳の女子大生とは思えない悟りようだ。
 強化練は一週間有って、この期間内えりこに割り当てられたコールは二日目にして終わってしまった。そこで彼女は暇さえあれば鏡に向かってメキシコのスカート振りを練習している――合宿中、彼女にとって初めてのメキシコのフォークダンスのコールで、「キャバリート・ブランコ(Cabalito Blanco)」という曲を担当することになっているのだ。
 キャバリート・ブランコとは、あちらの言葉スペイン語で「白い小馬」という意味。日本に有るメキシコの踊りはスペイン系のものが多いが、これはポルトガルの民謡「ファド」のひとつ、「ファド・ブランキータ」(白いファド)の音楽にスペイン系の振り付けをしたもの。詳しい事はえりこも知らないが、とにかくメヒコを踊る基礎練に不可欠なのが、今えりこが履いている、半円を四枚はぎ合わせた中心角720度のスカートを、両手でがっと掴んでぐるぐる振り回すスカート振りの技。こんな大仰な長いスカートはサークルでも三着しか所有しておらず、コーラーとデモメン(ステージ等でデモするメンツ)しか着る事は無いので実際にスカートを着たスカート振りができる人は少ないのだ。サークルにメキシコの曲は何曲か有るけれど、実は難しいスカート振りの技術を後の世代に引き継ぐ為、指導部に入る人間が一人はコールをやっておくことが望ましいということもあり、このタイミングでなんとなくいわくの有る配置なのである。えりこがキャバリート・ブランコをコールすることを決めたのは三年の現指導部である。彼らが何を考えているのかはえりこも知らない。
「ちゃんと綺麗な8の字を描いて……スカート後ろまで回ってないわよ」
メヒコスカート振り経験者の指導副部長、瞳さんがいつの間にか傍にいて、えりこのスカート振りを見ていた。スカートの両裾を掴んだ両手を体の前で30センチ程開けて固定、その形を保ったまま両手揃えて同じ側に、胸の前から体の後ろに回し、横倒しにした8の字(∞)の形に左右に、下から上、下から上と回す。上手くいけばスカートの裾がちゃんと後ろまで翻って波のように見える。すごく難しい。こりゃラウンドなんかやってる暇も無いなあ、とえりこは内心ため息を吐いた。足の方、ステップは、メキシコの場合フラメンコに通ずる系統の踊りなのかそれなりにややこしい。とはいえキャバリート・ブランコのステップはメキシコでも単調な方なのでえりこはもうほとんど習得した。あとはそれにスカート振りを組み合わせるのだ。いや、両足ジャンプと同時に両腕を左に伸ばす、など、足と手の動きが連動しているのでその辺は体で覚える。初めからそうしているので実質手も憶えているようなものだ。頭でも覚えないといけないがフォークダンスは体全体で覚えねばならない。三年生のやる「エル・ハラベ・タパティオ」のような記憶力体力を凄まじく使い事前練習がかなり大変な踊りよりは楽だが、スカート振りの無い「エバンヘリーナ」などに比べるとやはり難易度は高いように感じる。なんとかやりとげたい。これはカップル曲(男女ペアになって踊るダンス)だが男女は組む所がほとんど無く、ずっと離れて向かい有って同じ振りを踊っている。スカート振りの無い男子の方が楽という珍しい曲だ。そう言う訳でカップル曲なのにコール練はほぼ個人でやっていて、えりこはこうしてひたすら鏡に向かい一人スカートを振っているのだ。
「えりこちゃん、曲かけてみる?」
瞳さんが言った。
「パートナーの近藤くんと合わせてみたら」
「はい……」
瞳さんが小さなカセットデッキを持ってきてくれた。えりこは急いで近藤を呼んできて、彼の前に立った。女子と男子は同じ方向を向いて前後に立ち、前にいる女子の頭上で右手と左手、左手と右手をクロスして組む。オープニングはこの体勢から始まり、女子がステップホップでくるくる回りながら男子から離れ、適当な距離で向き合う。それから一巡踊るまで男女は手を組むことが無い。
 曲が始まる。「ステップ」というのは普通に足を前に出してその足に体重を乗せ歩くこと。「ホップ」は先に片足で跳び上がっておき(飛んでいる時点はまだ前のカウント)、地面から離れたのと同じ足で地面に着地すること(着地した時点が1、2、などのカウント)。そう、あくまでこの「着地」がホップ。ちなみに先にどちらの足で地面から離れたかに関わらず、両足で「着地」することをダンス用語で「ジャンプ」と言う。「ジャンプ」は両足着地のことで、決して「上に飛び上がること」ではない。これはダンスを踊る上で重要である。陸上競技の三段跳びの「ホップステップジャンプ」もそうなっているのであれを思い浮かべてもらうとわかり易いと思う(但し実際にはホップ・リープ・ジャンプという動きである)。はじめ右足で踏み切った場合、次に右足着地(ホップ)、左足着地(ステップ、もしくは両足が宙に浮き少々跳ぶのでリープ)、両足着地(ジャンプ)。これがホップステップジャンプだ。
閑話休題。
右右左左右右左左右右左左、右、左、右
 えりこはCW(クロックワイズ、頭上から見て時計回り)に半回転ずつしながら近藤から離れ、スカートを振りながらスタンプを踏んで向き合った。またゆっくり彼に近付き、互いにすれ違って、振り返って向き合う。フィギュアを間違えないよう、スカートを止めないよう、細心の注意を払って踊る。えりこにはまだこの踊りを楽しむ余裕は無い。それに指導部に見られているというのはかなり緊張するものだ。あっ。スカートの動きが止まってる……振らなきゃ! そしたら足が……! 手が……それでもってスカートってこんなに重かったっけ? もう腕が限界……動かない。フィギュアを一巡したところで瞳さんが曲を止めた。えりこはぜいぜい言いながら床に膝をついた。つ、疲れた……全体の三分の一も踊ってないのに。
「結構体力要るでしょ。休憩にしましょ」
瞳さんは笑っている。パートナーの近藤は突っ立ってぽかんとえりこを見下ろしている。そんな彼にえりこは、あんたはいいよね、スカート振り無いからと思わず八つ当たりしてしまった。
「ふうん、うちの大学とスカートの振り方が違うんですね」
えりこの頭上から別の声が振って来た。振り返ってみると、いつからいたのか、他大学のきれいな女の子がすぐそこに立っていて、静かにえりこを覗きこんでいた。
「あれ?」
えりこは床でへたばったまま少し考えた。見たこと有る子だけど誰だっけ。
「失礼しました。華栄女子短大フォークダンス部指導部長の相川です。お借りしていたハンガリーブーツ、お返ししに来ました」
相川さんは大きな袋を抱えている。長い髪を結わずにそのまま垂らしている。しかしその黒髪はよく手入れされているようで少しのくせも無く、毛先も切ったばかりのようにきれいに揃っていた。
「う、歌子姫……?」
華栄短大と言うのでやっと記憶が蘇った。S大のパーティ後の飲み会で見かけた、ラウンド選手権に出るというあの子じゃないか。あの春木氏と組むという……。
 歌子姫、というニックネームがえりこの口から出たせいか、彼女はえりこの方を見つめて微笑んだ。
「あら。ありがとう。丁度良かった。ハンガリーブーツだけは衣装部じゃなくて指導部の管轄なのよ。私が預かることになってたの」
「はい、指導部の新見瞳さん。ここでお渡ししても大丈夫ですか」
「ええ」
瞳さんは袋を床に置いて中をごそごそ確認している。ひょっとして5足のブーツをひとつひとつ憶えてるのか。目印か何か有るのかな。それから、
「はい、確かに受け取りました」
「貴重なものをお貸し頂きどうもありがとうございました。それとこれ、コンビニで買ったお菓子ですがよかったら皆さんでどうぞ」
歌子姫は丁寧に頭を下げた。
「まあありがとう。皆で頂くわね」
瞳さんはお菓子の入ったコンビニレジ袋を受け取った。
 えりこは全然知らなかったが、大野女子大所有のハンガリー舞踊用ブーツを、華栄がデモで使うというんで貸し出していたんだそうだ。それにしてもまさかこんなところであの歌子姫に会うとは思わなかった。ぼーっと見ていると、
「ちょっといいですか?」
「え?」
歌子姫はゆったりとした動作でショルダーバッグを降ろし床に置くと、ストッキングの足で近藤の方に近寄って行った。
 いきなり美人が寄って来たので近藤はたじろぎ、後ずさった。
「華栄のメヒコスカートはもうちょっと丈が長いんです。だから大野と少し振り方が違うみたいです」
そう言うや否や歌子姫は、一瞬浅く体を沈め、伸びあがると共にタアンと右足のかかとを床に打ちつけた。ヒールスタンプという動作。ストッキングだけの素足でやっているのにきれがいいせいできれいに決まった。普通ヒールの高い靴でないときれいにいかないものだが。
 他の踊りの練習をしていた部員たちが一斉に体育館の片隅に注目した。そこに見知らぬ他大の女の子が姿勢良く凛と立っているものだから、皆息を飲んだ。
「近藤くん、早く」
瞳さんに促されて近藤が思わず歌子姫に駆け寄ると、瞳さんがカセットデッキの再生ボタンを押した。キャバリート・ブランコが始まった。

 歌子姫の細い腕が伸びて、見えないメヒコスカートの裾を掴むと、そのスカートは徐々に広がり、歌子姫のウェストまわりに大きな半円を作った。半円はくるくると180度ずつ滑らかに回転した。そしてスタンプの音と共に、大きな大きなスカートがぐるんぐるんと弧を描いて回る。えりこはため息をついた。しなやかな手さばきに添って真っ赤なメヒコスカートがそこに本当に有るかのように回るその様が、スカートのしわや陰影までもが、えりこの目にはその時ありありと見えたのだ。
 さっきまで華奢な日本人形みたいだった歌子姫が、メヒコの太陽の下で堂々と踊る骨太の女のように見えた。女は男とすれ違う時まるで気を持たせるようにぐっと肩を引いて、顔の動きは控え目しかし視線はきょろっと挑発するように大胆で、パートナーには見えない位置のはずなのに明らかに彼を動揺させていた。
 すごい!皆唖然としていた。訪ねて来た他大の人が突然強化練に乱入し一曲踊ってしまったのだから多くの部員が引いているようだったが、えりこはそんなことに構わず身を乗り出して彼女を見た。圧倒された。魅了された。同時に自分が完全な敗北を喫したことを知った。
 フィギュアを覚えているとかスカート振りに慣れるとかそういう次元の話じゃない。歌子姫は確かに彼女なりのメヒコを踊っていた。もちろん我々学生は現地の踊りを見た事が無いので、代々受け継がれて来た紙の資料と口伝によってそれを知るしかない。だから歌子姫の踊りは本物のフォークダンスとはいえないのかもしれない。しかし確かにそれらしく見えるのだ。美しい型を無駄なく見せる「美」としてのダンス、見る者を圧倒する程自分らしさを表す身体表現としてのダンス、そして、民族性をそれらしく見せる「フォークダンス」としてのダンス。駄目だかなわない。えりこは頭に血が上った。
 歌子姫は乱れた髪をすっと撫でつけ、バッグを拾った。そして何事も無かったかのように涼しい顔で、お邪魔しましたと言うと、体育館を出て行った。

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written by Nanori Hikitsu 2012