ラウンドの女王編p2



とうとうコール当日だった。今日は金曜日で授業が無かったので、えりこは午前中から金曜日の例会会場であるF大の小体育館へ来ていた。新入生も大分新しい環境に馴染んだ初夏の頃。キャンパスは緑色に染まってたくさんの若者が行き交う。彼らは何を話しているんだろう?自分達のように、あの袋に入った竹刀やラケットを使って、これしかないと思うほど好きなことに打ち込んでいるんだろうか。えりこにとってこのフォークダンスしか考えられないくらいに。だけど、ああいうありふれた趣味じゃなくて、こういうマニアックな、豊かな色に彩られたどこまでも明るい世界、民族舞踊という世界にはまっている自分がちょっと嬉しくなったりもする。いやいや、ありふれてるなんて言ったら悪いかな。テニスの人達にはテニスがきっとこの世で一番素敵なスポーツなんだ。
そんなことを考えながら、えりこは部室に向かった。
部室にはF大の同期や下級生がたくさん来ていた。おっとよく見ると高幡さんも。彼は円卓の向こうのソファにふんぞり返って一心不乱に漫画雑誌など読んでいる。
「あっ。えりこさん、早いですね」
えりこ達が勧誘した一年生の男の子達は口々に挨拶してくれる。彼らがこうやってサークルに馴染んで部室に溜まっているのはなんとなく嬉しい。もっとここが好きになってくれたらいいなと思った。えりこは、今日コールだから早く来たんだ、と笑って説明するが、まだコールが何かということも、その大変さもよくわかっていない彼らは、あいまいに笑っている。そんなことより例会後の飲み会が彼らにとって重要なんだなあ……。コートを脱ぎながら、えりこはおかっぱの髪をうしろになでつけ、それからよしと気合いを入れると、うるさい彼らの後ろを通り抜けた。
「高幡さんこんにちは」
ソファまでたどりつくと、やっと高幡さんは顔を上げた。その神妙な表情にえりこはどきりとする。やはり今日のコールの練習をしていなくて、えりこの怒りを免れようと演技でもしているんだろうか?
「やあ、えりこちゃん早いね」
重い口調でそう言う彼は意外なまでに暗い顔をしていた。……騙されませんからね。えりこは気を奮い立たせ、
「コール練しましょう!資料読んできました?」
思い切り元気に言ってみる。だが返事は重かった。
「悪い、ちょっと今そんな気になれなくってなあ……」
体育会系ではないが文学青年にしては線が太い。あまりたくさん話をしたことは無かったが、同じサークルで一年のつきあいだった。その中で、彼がこんなに落ち込んだところは見たことがない。いつもぼんやりした感じの彼が、今日は少し雰囲気が違っていた。不安に思ってのぞき込むと、なんと彼は少し涙ぐんでいるではないか。えりこは本気で何か有ったんじゃないかと思い、息をのんだ。
「何か……有ったんですか?」
「いや、ほんと、悪ぃ……」
彼が涙をこぼしそうになったので、
「そうですね!暑いし!」
慌ててわけのわからないフォローをしてしまった。だが、次の瞬間、再び彼が視線を落とした先にある漫画雑誌をよく見ると、なんと少女漫画誌ではないか。……そしてそこには、涙を流す主人公らしき長髪の少女がアップで描いてあった。
『先生……』
高幡さんはついに嗚咽しながら、悲しげに顔をこわばらせてページを繰った。


***********

有無を言わさず小体育館に高幡さんを拉致し、フィギュアの確認をしていると、指導部の人達が再生デッキを運んでやってきた。彼らはいつも例会前の早い時間からここに来ているのだ。
「あれ、えりこちゃん……おお孝太も」
からかうようにF大三年の指導部長が言う。
「あ、孝太郎君めずらしい! いつもぎりぎりに来てるのに」
「おおかた今日は『りぼん』の発売日かなんかで、部室で読んでたんじゃないの?」
そう言うきれいな人は女子大の指導部長吉乃さんだ。そうか、高幡さんは少女漫画好きなのか。えりこは吹き出しそうになるのをこらえる。
「失礼な。『チーズ』だ」
「……」
前言撤回。高幡さんは少女漫画オタクだった。
えりこは正直言って一年生の頃はそれほどサークルにはまっておらず、出席率も悪かった。サークルの飲み会にもほとんど行ったことが無かった。だから上級生と接することもほとんど無く、お近づきになるのは恐れ多い感じがしていたけれど、話してみるといろんな人がいて楽しいかもしれない。こうやってひとり上級生に囲まれてみると、なんとなくくすぐったい気分だ。自分は今まであまりここに馴染んでなかったのかもしれないと彼女は思った。

うーん、と、吉乃さんが唸る。
「憶えてないねえ」
遊行さんが口を挟んできた。今日はF大の指導部長の遊行さんも手が空いていたので、えりこ達の練習を見ていたのだ。彼は三年生だが、二年間他の大学にいて、F大を受け直して入ってきた上、確か浪人もしているので、随分歳は上なんだそうだ。それだけにかなり大人っぽかった。そのせいか三年生の中で一番かっこよく見える。女子大の下級生にも人気ナンバーワンの先輩だった。
「あ、ごめんね世羅ちゃん。口出しちゃってさ」
遊行さんは笑って謝る。慣習として、他の指導部員が指導している練習に、別の指導部員は口を出さないことになっているのだ。
いいえ、すみません、指導不足でと吉乃さんはちょっと焦ったように目を伏せる。世羅吉乃さんは遊行さんと同期なのだが、とても立場を重んじる人なので、こういう時F大の指導部長を立てて言葉遣いまで堅苦しくなる。
その様子を見ていて、えりこはむっとし、彼女のパートナーを見た。孝太郎ってば!……と思ってしまってから、えりこは慌てる。三年生が皆そう呼んでるものだから。ええと、高幡さんは! 高幡さんのせいで吉乃さんの立場が無くなってしまったではないか。だがそんなことに頓着しない様子で、高幡さんはつっ立って資料を見ていた。これは、紙に文字で踊り方が書いてあるもので、指導部があらかじめコーラーにコピーしてくれていたものなのだ。家でちゃんと読んで憶えておけば、本来コール練ではフィギュアの確認をする場ではないのだから、もっと細かいこととか、カップルのパートナーと合わせる練習とか、できたはずなのだ。当日になってもこれじゃあ、まともにコールできるのかどうか。OBOGがコールを見に来た場合、コールの失敗で怒られるのは指導部なのだ。
吉乃さんはいつも気丈にしてみせているが、実はとてもものを気にする方なのかもしれない。このきれいな人が自分の指導力の無さを恥じて(おそらく)泣きそうになっているのを見ると、えりこはもう黙ってはいられなかった。
「高幡さん、もうそんなもん見なくていいです!」
つい言ってしまった。言ってしまってからしまったと思ったが、そこにいた三年生が一斉に押し黙ってしまった。全員目を見開いている。えりこはみるみる赤くなった。
「あのう……」
そこへふいに口をはさむ人がいて、皆の視線はえりこからそれた。
「シルバ#2(ナンバーツー)、曲かけていい……ですかね?あ、やっぱまずかった?」
いつの間に来ていたのか、今日二曲目のコールをする、三年生の人だった。

*************

その日の例会が始まる。部長の招集で整列、挨拶。今日は七年生にあたる女子大のOGが遊びに来ていた。元指導部長、元指導副部長といった面々である。よく遊びに来てくれる先輩達で、えりこも一年生の時から声をかけてもらったりして、顔なじみだ。簡単な準備運動になる踊り、マケドニアの「マケドンスコディボイチェ」などがかかり、フリータイムが始まり、いつものように例会は進行した。あらかじめフリータイムでかける曲を決めておき、カセットテープを頭出ししておき、例会のタイムテーブルをホワイトボードに書くのは二年生が交代で二人ずつ行う例会担当の役目だ。彼らが曲出しをする。女子大の植津、F大の近藤が今日の例会担当で、デッキのそばに陣取って体育館を眺めている。他の二年生や三年生の女子は、踊りながらも一年生をひとりひとりマークし、入れ替わり立ち替わり話しかけて楽しい雰囲気を作ろうと頑張っている。彼らが正式に入部届けを書いてこのサークルに馴染むまで、新勧は終わらない。毎回の例会後の飲み会も上級生は参加必修で、一年生の分の飲み代まで上級生で受け持つことになる。上級生にとってこの夏学期はかなりつらく厳しい時期なのだった。
「えりこ、着替えるの?」
デッキの傍を通りかかると植津が聞いてきた。コールをする時、その国の民族衣装を着る人は、例会を途中で抜けて着替えに行っていいことになっているのだ。だが、ルーマニアやブルガリアの曲をコールする人は衣装を着ることが多いが、今回のえりこのようにラウンドのコールで衣装を着る人はまずいない。普通はTシャツにギャザースカートという普段の練習着のままなのだ。えりこもそうするつもりで、何にも用意などしていなかった。というよりも、何を着たらいいと言うのか。
「まさか」
そんな風に軽口を言って笑ったものの、この時彼女の心中は興奮の渦。このコール、失敗してなるものか。
「おまえ今日は何だか意気込んでるなあ。」
もう一人の同期近藤忠は壁に寄りかかって笑っている。やはりわかるのだろうか。
「頑張ってねー。」
植津に見送られて、えりこは手を洗いに水道へ向かった。
トイレは皆のいるフロアから隠れるような場所に有った。鏡に向かって、自分の瞳をじっと睨む。今日は、失敗なんてさせない。高幡さんにも間違わせずに誘導して、何とか踊りきってみせる。そして説明はえりこが主導権を握る。これで完璧だ。頭の中で何度も踊りを再現し、細部までしっかりと脳に刻みつけた。こういう時はこうして、こうきたらこう。
ぶつぶつ言いながら小体育館のフロアに戻ろうとして、突然えりこは何かを踏んでバランスを崩した。
おっと危ない。見ると、倉庫のような小さな部屋の戸が開いていて、暗幕のような物が足下にまで伸びて廊下に横たわっていた。
こんな所になんで、と思いながら、暗幕を両手で持って、倉庫に押し込もうとすると、中が見えた。中はいろいろな物で埋め尽くされていて、どうやら他のサークルが倉庫として使っているようだった。電気をつけると、衣装ケースがたくさん積んであるのが見えた。これは演劇部だろうか?
「妖精」
とマジックで書かれた張り紙がガムテープで貼ってある箱が見えた。ふとした出来心だった。だが好奇心こそは何ものによっても留めることの出来ない生命力の糧。彼女は自然に、「妖精」の、埃を被った箱に手を伸ばしていた。

「次は、高幡さんと、四宮さんによる、"There's a kind of hush"のコールです」
例会担当植津の声に、ざわざわと部員達の話し声が広がった。高幡さんは既にフロアにいるのだろう。えりこは?という声が聞き取れた。登場する前の緊張感に満足して、えりこは自然に笑顔になる。さあ、息を吸って。
しきりのカーテンから登場したえりこの姿に、一同沸いた。
「かわいい!」と叫ぶのは一女。こらえきれずおもしろがって笑い出すのは一男と二年生。そして唖然とする三年生。大喜びで笑うOG。
女優笑いをしながら登場したえりこは、ピンクのサテンでできたワンピース、針金で縁取られた小さな羽、子供のおもちゃの金の冠(レース付き)といった出で立ちだった。
鳴りやまない歓声の中、一番引いていたのは高幡さん。(少女漫画オタクのくせに)。だがつかつかとパートナーに寄っていったえりこは、にこやかに高幡さんに笑いかけると、こう言った。
「私についてきてくださいね。頑張って回転させてあげますから。」
もうちょっと化粧を濃くしておけばよかったと、えりこは思った。高幡さんはだがくすりと笑った。

こうして彼女の初・カップル曲講習は彼女のリードで無事終了した。
OGに後で感想を聞くと、踊りもとても上手ねと言って貰えた。
「ちょっとカウントが先走ってたけど、息はぴったり……」
そうにっこり笑い、それから付け加えた。
「ステキよ。まるで女王様みたいだった。」

それからサークル内でのえりこのあだ名はこう決定した。
「ラウンドの女王」
……夏の始まりだった。



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written by Nanori Hikitsu 2004