突撃!万葉集講座


この小説の中で万葉集の歌が出てきているので、ちょっとだけ詳しくご紹介。お暇な方だけ読んでくださいね(^_^;
万葉集は、はっきりしたことはわかっていませんが、大まかに言って8世紀頃までの和歌(短歌、長歌、旋頭歌など)を集めた日本で最も古い和歌集です。雄略天皇、大化の改新の天智天皇天武天皇、藤原鎌足など、日本史の教科書に出てくるような人たちの歌が収録され、歴史と共に読むとドラマチックで面白いです。

同(おや)じ坂上郎女が京(みやこ)に向(のぼ)る海路(うみつぢ)にて浜の貝を見てよめる歌一首

我が背子に恋ふれば苦し暇(いとま)あらば拾ひて行かむ恋忘れ貝(万葉集6-964)


彼に恋して苦しくて仕方がない。時間があったら拾っていこう。恋を忘れさせるという恋忘れ貝を。


この「背子」は誰だったのでしょう。
この歌は、歌の配列の前後関係を見ると、大伴坂上郎女が異母兄である大伴旅人に会いに太宰府に行き、その帰りに京(当時の都、奈良)に向かっている途中に詠んだ歌のように思われます。郎女は時に三十歳前後。奈良時代ではもう中年→老年となっている歳ですが、みずみずしい感性の歌ですね。

大伴坂上郎女(おおともさかのうえのいらつめ)は、奈良時代の歌人で、万葉集に八十四首もの歌が残っています。
初め天武天皇の皇子である、穂積皇子に嫁ぎ(もちろん現代の結婚形態とは違いますが)、皇子の没後は藤原麻呂(藤原不比等の四男)の恋人となり、またのちには異母兄の大伴宿禰宿奈麻呂の妻になりました。上記の歌が詠まれたのはその大伴宿禰宿奈麻呂の死後だと思われます。その後もまだ恋人がいたのでしょうか?それとも、また別のなにか、苦しい慕情が彼女の中にあったのでしょうか。(彼女が太宰府に行ったのが天平二年西暦730年なので、おそらくその頃。)

なんともドラマチックな時代の、ドラマチックな人生を送った女性だったようですね。歌も、大胆で、堂々として、しかし品位のある、そして時に気弱で心揺れているかわいらしい女性をイメージさせます。なんとなく、桜木さんのイメージには合ってるでしょうか。桜木さんよりはもっと正直な感じですが。
甥の大伴家持(旅人の子)にも大きな影響を与えた歌人だといいます。

家持の有名な歌はいろいろありますが、私はこんなのが好き。

春の苑紅にほふ桃の花したでる道に出で立つ乙女(万葉集19-4139)


物部(もののふ)の八十(やそ)乙女らが汲みまがふ寺井のうへの堅香子の花(万葉集19-4143)
たくさんの少女達が入り交じって戯れながら寺の泉で水を汲んでいる。そのほとりにかたかごの花が咲いている。


・・・別の小説の中でこのイメージ使わせて頂きました(「グロリアの物語」)


大伴坂上郎女の歌には他にこんなものがあります。

恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うつく)しき言(こと)尽くしてよ長くと思はば(万葉集4-661)

恋しくって恋しくって、そしてやっと会えた時くらい、甘い言葉をたくさんちょうだいよ。末永くと思っているなら。

うわ。素敵な歌ですね。いい歌があまりたくさん有るんで、どれをここで紹介したらいいかわからないくらいです。皆様是非万葉集をひもといてみてくださいな。

ともあれ、

住吉に往きにし道に昨日見し恋忘れ貝言にしありけり(万葉集7-1149)

住吉まで通じるという道で昨日見つけた恋忘れ貝は、名前ばかりで効き目はなかったなあ。(柿本人麻呂?)

という歌が有るように、この恋忘れ貝に効果が有ったという話は無いようですね。(^。^;)



原文・・・吾背子尓 戀者苦 暇有者 拾而将去 戀忘貝

よみかた・・・わがせこにこふればくるしいとまあらばひりひてゆかむこひわすれがひ

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written by Nanori Hikitshu 2004