好きな和歌

私の好きな和歌を挙げてみます。古典から現代ものまで探していきたいと思います。


<人知れぬ恋>

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夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ

大伴坂上郎女(万葉集8-1500)

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夏の野のしげみに隠れて咲いている小さな姫百合のような、人知れぬ恋は苦しいものだなあ。
わかりやすくて好きな歌です。夏草の繁る野に、誰にも知られずに咲く姫百合(小さな赤い花だそうです)。隠していてもその燃えるような恋に、思いを胸に秘めた女性の強い情熱を感じます。淡々と歌いながら悲しい、けれど弱々しくない女性をイメージします。


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あしひきの山のしづくに妹待つとわが立ち濡れぬ山のしづくに

(万葉集2-107)大津皇子

吾を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくに成らましものを

(万葉集2-108)石川郎女

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なんともドラマチックなやりとりです。本当に千三百年以上前にこんなドラマがあったんでしょうか。人間の精神は基本的にあまり変わらないものですね。大津皇子は、当時の天皇(天武天皇)の息子で、有力な皇位継承者の一人でしたが、彼の母の妹で、天武の皇后である、菟野皇女(うののひめみこ・後の持統天皇)と天武天皇の間に生まれた草壁皇子というライバルがいました。母のいない大津皇子が結局政権争いに負けて、謀反のかどで自害させられます。
ここに出てくる石川郎女と同一人物かわかりませんが、或る女性に草壁皇子から贈った歌も残っています。

日並皇子の、石川女郎に贈り賜ふ御歌一首 女郎、字を大名児(おほなこ)と曰ふ
大名児を彼方野辺(おちかたのへ)に刈る草(かや)の束の間も我れ忘れめや (万葉集2-110)

一行目は万葉集各歌についている説明文です。
枝葉茂れる万葉集、形容・修辞まで訳すとわかりにくくなってしまうかもしれないので、歌の筋だけ拾うと、「大名児よ、つかの間も私を忘れないで」くらいの意味でしょう。
大名児は女性の呼び名で、一行目の説明には、草壁皇子が「石川郎女」に贈った歌とあります。この石川郎女という女性の「字(あざな・・・今で言うあだな。本名以外の呼び名)」を大名児と言うそうです。ただし、この大津皇子と歌をやりとりした「石川郎女」イコール「大名児」とは限りません。「石川郎女」というのはあくまで「石川さんとこのお嬢さん」といった感じの言葉なので、当時石川という氏(苗字)の人はたくさんいたのだから、石川郎女と呼ばれうる女性もたくさんいただろうし、現に万葉集の中に別人と思われる「石川郎女」は複数いるようです。でもこれが同一人物となると、三角関係かもしれません。私としてはどちらでもいいのですが・・・。

さて、この大友皇子と石川郎女とのやりとりですが、おおまかな意味は、

大津皇子の歌:愛しいあなたを待っていると、山の露にすっかり濡れてしまった。
石川郎女の歌:私を待って濡れてしまったというその露になれたらいいのに。

非常に美しいです。私はこの石川郎女の返歌が素晴らしいなと思います。「露になりたい」というのは現代ではなかなか出てこない発想のように思いますが、自分を待っている間に露に濡れてしまった恋人を温めてあげたい思いが、逆に彼を濡らした雫の、衣服に染みいっていくような、じわじわとした感覚と似ていると自分で思ったのでしょうか。

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秋の田の穂向の寄れるかた寄りに君に寄りなな言痛(こちた)かりとも

但馬皇女(万葉集2-114)

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これもわかりやすくて好きな歌です。人が何と言おうと、全身全霊を預けるように君に寄り添いたいという思いのストレートな歌。「穂」はやはり穂積皇子を意識しているのでしょうか?「寄れるかた寄りに−寄りなな」など、同じ意味の言葉を重ねて表現を深める万葉調が好きです。
但馬皇女は高市皇子の妃の一人ですが、穂積皇子と恋仲にあり、激しい思いを抱き続けていたようです。「言痛かり」と言っているのは、その関係がばれて人々から非難されている、あるいはもしばれたら非難されることを言っているのだと思います。(「こちたし」は人の口がうるさいこと。「こちたかりとも」は人が何と言おうと。) しかし添い遂げられぬ恋のまま、彼女は死んでしまいました。彼女の死後、穂積皇子が歌を残しています。

降る雪はあはにな降りそ吉隠(よなばり)の猪養(いかい)の岡の寒からまくに(万葉集2-203)穂積皇子

残っている穂積皇子の彼女に対する歌はこれだけのようですが、そんなに雪よ降るな、吉隠の猪養の岡に眠る彼女が寒い思いをするだろうに、という意味の歌で、皇子は猪飼の岡の前で歌を詠んでいるのではなく、多分、自宅の庭などで雪が降るのを見て、あそこもこんなに積もっているだろうなあと思いをはせているように想像できます。
直接彼女のことや彼女への思いでなく、彼女の墓を歌っているところにまた一種秘められた恋心の激しさと哀れさ、万葉の男の泥臭さを感じます。私の頭には冬の寒々しい奈良の山に雪が積もってゆく光景がありありと浮かんできます。本当に寒く悲しい孤独な光景です。



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written by Nanori Hikitsu 2006